第96話:王都の激震
ユウキたちが魔族領で新たな危機に直面していた、その頃。
アークライト王国の心臓部、王都では、一人の老騎士が放った火種が、ついに抑えきれないほどの激震を引き起こそうとしていた。
聖騎士団副団長、ゲルハルト。
彼は、若い衛兵レオンが命がけで集めた情報――王子派閥の不正な資金の流れを示す帳簿の写しと、第三研究所へ「納品」された者たちのリスト――を手に、己の執務室で静かに怒りを燃やしていた。
リストには、スラムの孤児や、軽犯罪を犯しただけの若者たちの名前が、無機質に並んでいた。彼らは、国の未来のためでも、正義のためでもなく、ただ王子の歪んだ野望の「材料」として、闇に消えていったのだ。
「……これが、この国の『正義』だというのか」
ゲルハルトは、固く拳を握りしめた。
マサルから託された合言葉。『偽りの太陽は沈み、真実の夜明けが来る』。
今こそ、その夜明けをもたらす時だ。
彼は、国王への謁見を強行した。
玉座の間に響き渡る、ゲルハルトの怒りに満ちた声。
「陛下! これが、第一王子殿下が進める、非道な計画の動かぬ証拠にございます! これ以上、殿下の横暴を許しては、この国は内側から腐り落ちてしまいますぞ!」
ゲルハルトが突きつけた証拠の数々に、玉座に座る国王は顔を青ざめさせ、ただ狼狽するだけだった。
そこに、悠然とした足取りで、第一王子本人が姿を現す。
「これはこれは、副団長。血相を変えて、一体どうしたのかな?」
王子は、ゲルハルトが突きつけた証拠を一瞥すると、心底つまらなそうに鼻で笑った。
「どうしたもこうしたもございません! 殿下、あなたの罪は、もはや隠し通せるものではない! 即刻、全ての計画を中止し、その身を裁きに委ねていただきたい!」
「罪、だと?」
王子は、面白い冗談でも聞いたかのように、肩をすくめた。
「これは、魔王を打ち倒し、この大陸に恒久の平和をもたらすための、聖戦だ。そのための、多少の犠牲は『必要経費』に過ぎん。それを理解できぬとは、副団長も老いたものだな」
その、あまりに傲慢で、人の命を何とも思わない言葉に、ゲルハルトの中で、最後の何かが切れた。
彼は、長年仕えてきた王家への忠誠を、その場で完全に捨て去った。
「……もはや、言葉は不要のようですな」
ゲルハルトは、ゆっくりと腰の剣に手をかけた。
「我が名は、ゲルハルト・シュタイナー! アークライト王国聖騎士団副団長として、この国の正義を穢す逆賊、第一王子に、天誅を下す!」
その宣言を合図にするかのように、玉座の間の外から、剣戟の音と怒号が響き渡った。
ゲルハルトの呼びかけに応じ、王子のやり方に不満を抱いていた聖騎士団の半数が、ついに公然と反旗を翻したのだ。
王城は、瞬く間に戦場と化した。
---
その喧騒は、地下深くの牢獄にまで、微かな地響きとなって伝わってきた。
独房の冷たい床の上で、マサルは静かに目を閉じていた。
遠くから聞こえる、剣と剣がぶつかり合う甲高い音。兵士たちの怒声。そして、時折混じる、断末魔の悲鳴。
(……始まったか)
マサルは、全てを理解した。
ゲルハルト副団長が、動いたのだ。
自分が、レオンという若き協力者を通じて放った、小さな、小さな火種。それが、ついに王都全体を揺るがす、大きな炎となって燃え上がった。
多くの血が流れるだろう。
多くの命が失われるだろう。
その引き金を引いたのは、他の誰でもない、自分自身だ。
その罪の重さに、マサルの肩がわずかに震える。
だが、後悔はなかった。
偽りの平和の下で、声なく殺されていく人々がいる。その現実から目を背け、安穏と暮らすことなど、彼にはもうできなかった。
「ユウキ……」
マサルは、まだ見ぬ友の名を、静かに呟いた。
お前が、外で戦っているのなら。
俺は、この牢獄の中から、お前のための道を切り開く。
外の喧騒が、さらに激しさを増していく。
王都の激震。
それは、偽りの王政の終わりを告げる、産声のようにも聞こえた。
マサルは、静かに立ち上がり、鉄格子の向こう側を見据える。
次なる一手は、もう打たれている。あとは、その時が来るのを、待つだけだ。




