第88話:祭壇の守護者
魔族領に足を踏み入れてから、幾星霜が過ぎたように感じられた。
瘴気に満ちた森を抜け、凶暴な魔獣の縄張りを迂回し、敵意に満ちた魔族の集落をやり過ごす。リリスの案内と知識がなければ、俺たちはとっくにこの魔境の土に還っていただろう。
そして、長い旅の果てに、俺たちはついに目的地へとたどり着いた。
目の前に広がるのは、巨大なクレーターの底に沈んだかのような、広大な古代遺跡。崩れかけた石柱、風化した神殿、その全てが、人の手によるものではない、遥か古の文明の存在を物語っていた。
「……ここが、『始祖の祭壇』があると言われている、古代遺跡『ネル・ヴァーナ』」
リリスが、畏敬の念を込めて呟く。
俺たちは、遺跡の内部へと慎重に足を踏み入れた。
外の瘴気が嘘のように、遺跡の内部は澄んだ空気に満ちている。だが、それは心地よいものではなく、むしろ時が止まったかのような、不気味な静寂を伴っていた。
遺跡の最深部。
ひときわ開けた広場の中央に、それはあった。
黒曜石を削り出して作られたかのような、巨大な祭壇。その表面には、見たこともない複雑な紋様がびっしりと刻まれている。
そして、祭壇全体が、淡い光を放つ半透明のドーム状の結界に覆われていた。
「……これか」
俺が祭壇に近づこうとした、その時。
ルナの胸元で、ペンダント『アストライアー』が、これまでとは比較にならないほどの強い光を放ち始めた。
「ユウキ、ペンダントが……!」
「ああ。この奥に、何かがある。おそらく、ゼノンが言っていた『もう一つの鍵』が」
俺は、結界に手を伸ばした。
だが、指先が触れる直前、バチッ!と激しい衝撃が走り、俺の手は弾かれる。強力な防御結界だ。力ずくで破るのは、アイカのゴーレムと戦った後では不可能に近い。
どうやって、この結界を破るか。
俺が思考を巡らせた、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……!
遺跡全体が、地響きを立てて揺れ始めた。
俺たちが立っている広場の地面が、ゆっくりと、しかし確実にせり上がってくる。そして、その中から現れたのは――
「嘘……でしょ……」
リリスが、絶望に染まった声で呟いた。
それは、巨大な人型の石像だった。いや、石像などという生易しいものではない。
身の丈は十メートルを超え、全身は風化し、苔むした石で覆われている。だが、その所々からは、錆びついた金属の骨格や、複雑な歯車のようなものが覗いていた。その両腕は、巨大な城壁すらも砕かんばかりの、巨大な鉄球となっている。
それは、生命の気配を一切感じさせない、古の「兵器」だった。
古代兵器は、その頭部にある、ただ一つの巨大な水晶の瞳を、ゆっくりと俺たちに向けた。その瞳には、知性も感情もない。ただ、侵入者を排除するという、永劫の時を経てプログラムされた、冷たい殺意だけが宿っていた。
「……で、出た……。伝説は、本当だったんだ……」
リリスは、恐怖に腰を抜かし、その場にへたり込んでいた。
「『始祖の祭壇』を守る、古の番人……。一族の誰も、指一本触れることさえできなかった、不滅の守護者……。だ、だめだ……勝てるわけない……!」
彼女の絶望は、もっともだった。
目の前のゴーレムが放つ威圧感は、アイカが作り出した黒曜石のゴーレムとは比較にならない。長い年月そのものが、この兵器に神話的な強さを与えているようだった。
ルナも、緊張に顔をこわばらせ、俺の服の裾を強く握りしめている。
だが、俺の心は、不思議なほど冷静だった。
俺は、絶望するリリスを一瞥すると、その視線を再び目の前の巨大な守護者へと戻した。
そして、その巨体を、まるで獲物を品定めするかのように、頭の先から爪先まで、じっくりと観察し始めた。
(……なるほど。デカいだけの、ただのカラクリ人形か)
確かに、その巨体とパワーは脅威だ。正面からぶつかれば、一瞬でミンチにされるだろう。
だが、俺の戦い方は、そんな馬鹿正直なものではない。
「……おい」
俺は、へたり込んでいるリリスに、静かに声をかけた。
「いつまでそうしてるつもりだ。立て」
「で、でも……! あれは……!」
「黙って見てろ」
俺は、彼女の言葉を遮った。
「伝説ってやつを、俺のやり方で終わらせてやる」
俺は、不敵な笑みを浮かべると、【無名のスキルメーカー】を起動させた。
どんなに強大な敵であろうと、必ず弱点はある。どんなに複雑なカラクリであろうと、その構造には理屈がある。
その理屈を暴き、構造を理解し、内部から崩壊させる。
それこそが、俺の地味で、しかし最強のチートスキルの真価なのだから。
俺は、目の前の「伝説」をどう料理してやるか、その攻略法を、冷静に、そして楽しむように、組み立て始めていた。




