第83話:牢獄の聖騎士
その頃、ユウキたちが魔族領への旅立ちを決意していた、遥か東のアークライト王国王都。
その地下深くに広がる牢獄で、一人の男が、冷たい石の床の上で、深い絶望に打ちひしがれていた。
勇者【聖騎士】、マサル。
手足にはめられた魔力封じの枷が、彼の誇りだった聖なる力を無慈悲に奪い去っている。
(……なぜ、こうなった)
信じていた王子に、反逆者の汚名を着せられ、投獄された。
自分が信じていた「正義」は、権力者の都合の良い言葉遊びに過ぎなかった。
親友だったユウキは、きっとこれと同じ絶望を味わったのだろう。いや、彼の絶望は、俺の比ではなかったはずだ。彼は、誰にも信じてもらえず、たった一人でこの国の闇と対峙していたのだから。
『あんたの言う正義とやらが、誰かを不幸にしていないと、どうして言い切れる?』
市場で出会った、あの謎の青年の言葉が、今も耳の奥で木霊している。
あの青年こそが、ユウキだったのだ。俺は、友の悲痛な叫びに、気づくことさえできなかった。
「……クソッ!」
マサルは、無力な自分への怒りに、拳で石の床を殴りつけた。だが、枷が擦れて皮膚が裂け、鈍い痛みが走るだけだった。
絶望。後悔。無力感。
負の感情が、彼の心を完全に支配しようとしていた。
だが、その闇の底で、一つの思いが、消えかけの炎のように、かろうじて揺らめいていた。
(まだ、終われない)
ユウキは、生きている。そして、戦っている。
ならば、俺も戦わなければならない。この牢獄の中からでも、俺にできることがあるはずだ。
偽りの正義に鉄槌を下し、真実を明らかにするために。そして、友に、犯した過ちを償うために。
マサルの瞳に、再び光が宿った。
彼は、顔を上げ、鉄格子の向こう側をじっと見つめた。
定期的に、二人の衛兵が見回りに来る。そのうちの一人に、マサルは見覚えがあった。
数ヶ月前、ゴブリンの群れに襲われていた村を、マサルが救ったことがあった。その時、足を負傷して動けなくなっていた若い見習い兵士がいた。マサルは、その兵士を背負って、安全な場所まで運んだのだ。
今、見回りをしている衛兵の一人が、まさしくその時の若者だった。
マサルは、機会を待った。
そして、数時間が過ぎ、その若い衛兵が一人で見回りに来た、その瞬間を狙った。
「……おい」
マサルは、声を潜めて呼びかけた。
「……! マサル様……」
若い衛兵――名をレオンという――は、驚きに目を見開き、周囲を気にするように慌てて声を潜めた。彼の目には、英雄の無残な姿に対する、同情と困惑の色が浮かんでいた。
「頼みがある」
マサルは、鉄格子越しに、必死の形相でレオンに語りかけた。
「俺は、罠にはめられた。この国は、俺たちが信じているような、正義の国じゃない。王子殿下は、その裏で、恐ろしい計画を進めている」
「そ、そんな……! 王子殿下が……?」
レオンは、信じられないというように首を振る。
「信じられないのも無理はない。俺も、そうだった。だが、これは真実だ。俺は、この目で真実を確かめたい。そのために、お前の力を貸してほしい」
マサルは、自分の聖騎士の位を示す胸の紋章を、枷で傷ついた指でなぞった。
「この聖騎士の位も、名誉も、もういらない。俺はただ、真実のために戦いたい。……頼む。かつて、俺がお前の命を救ったことに、少しでも恩義を感じてくれるのなら」
それは、聖騎士としてのプライドを全て捨てた、一人の男としての、魂の願いだった。
レオンは、激しく葛藤していた。
目の前にいるのは、命の恩人であり、尊敬する英雄。だが、彼の言葉は、王国への反逆を意味する。
長い、長い沈黙。
やがて、レオンは、固く、固く、唇を噛みしめた。そして、覚悟を決めたように、マサルの目をまっすぐに見つめ返した。
「……分かり、ました」
その声は、震えていたが、確かな意志が宿っていた。
「俺は、あなたに命を救われた身。そのご恩は、決して忘れていません。……俺に、何ができますか」
その言葉を聞き、マサルの瞳から、一筋の涙が静かに流れ落ちた。
それは、絶望の涙ではなかった。
暗闇の牢獄の中で、初めて見つけた、小さな、しかし確かな希望の光に対する、感謝の涙だった。
「……ありがとう」
こうして、牢獄の聖騎士と、一人の若い衛兵との間に、秘密の協力関係が結ばれた。
それは、王国の心臓部で燻る、小さな、しかしやがて大きな炎となって燃え上がる、反乱の火種が生まれた瞬間だった。




