第82話:オルデンの決意とリリスの誓い
「――待て」
俺たちが隠れ家を去ろうとした、その背中に。
長のオルデンが放った、威厳に満ちた声が突き刺さった。
洞窟内の魔族たちのざわめきが、ピタリと止む。
俺は足を止め、ゆっくりと振り返った。
オルデンは、俺に敵意を向ける屈強な戦士たちを、その深い瞳で静かに見据えていた。
「……お主たちの言い分も、分かる。人間は、我らの同胞を狩り、故郷を奪った憎むべき敵だ。その憎しみは、決して消えるものではない」
オルデンは、一度言葉を切り、そして杖をトン、と一度だけ床に突き立てた。
「だが、目を覚ませ。我らだけで、王子や大賢者に勝てるのか? 渓谷での戦いを忘れたか。この若者の知略がなければ、我らはゼノンという男の前に、ただ蹂躙されて終わっていた。それも、また事実ではないか?」
その言葉に、反対の声を上げていた戦士たちが、ぐっと言葉に詰まる。
オルデンは、さらに続けた。
「この若者は、確かに人間だ。その目は、我らと同じように、他者を信じられぬ者の濁った目をしている。だが、その行動はどうだ? 彼は、見返りを求めることもなく、危険を冒して、このわしの、たった一人の孫娘を救ってくれた。これもまた、紛れもない事実だ」
オルデンの視線が、俺を捉える。
「人間というだけで、全てを否定するのは、我らを狩る人間たちと同じ、愚かな行いだ。我らが見るべきは、種族ではない。その者が持つ『力』と、その魂がどちらを向いているかだ」
彼は、一族の者たちに向かって、力強く宣言した。
「この若者こそが、我らの復讐と再興を成し遂げるための、天が遣わした『鍵』なのかもしれんのだぞ!」
長の、魂を揺さぶるような言葉。
それでも、戦士たちの間には、まだ戸惑いと反発の空気が残っていた。長年植え付けられてきた人間への不信感は、そう簡単には消えない。
その、重い空気を切り裂いたのは、一人の少女の、凛とした声だった。
「――お爺様の、言う通りです」
リリスだった。
彼女は、一歩前に出ると、一族の者たちをまっすぐに見据えた。その小さな体からは、誰もが息を呑むほどの、強い覚悟が放たれていた。
「ユウキさんたちは、私たちと同じです。理不尽に全てを奪われ、それでも、運命に抗おうとしている。これはもう、人間とか、魔族とか、そういう問題ではありません」
彼女は、俺とルナの方を振り返り、そして、再び一族の者たちに向き直った。
「これは、全てを奪った者たちに対する、私たち自身の戦いです。だから――私も、行きます」
リリスは、自分の胸に手を当て、誓うように言った。
「ただの案内役としてではありません。この『月影』の一族の未来を背負う、一人の戦士として。ユウキさんたちと、共に戦います」
その言葉は、もはやただの少女のものではなかった。
一族の未来を憂い、その身を賭してでも戦うことを決意した、次代の指導者の言葉だった。
彼女の覚悟に満ちた瞳と、その気迫に、あれほど強硬に反対していた戦士たちも、ついに沈黙し、ゆっくりと武器を下ろしていった。
俺は、その光景を、ただ黙って見ていた。
人間不信の俺の心に、彼らの言葉が響いたわけではない。
だが、彼らがそれぞれの立場と誇りをかけて下した「決断」の重さは、嫌というほど伝わってきた。
隣で、ルナがリリスの手を、ぎゅっと握りしめている。その瞳には、友の覚悟を応援する、温かい光が宿っていた。
やがて、オルデンが俺に向き直り、深く、深く頭を下げた。
「……若者よ。我らの覚悟、見届けてくれたな。どうか、我らの未来を、そしてリリスを、お主のその力で導いてはくれまいか」
「……言ったはずだ。これは、利害の一致による、一時的な共闘関係だ。あんたたちの未来なんぞ、知ったことか」
俺は、ぶっきらぼうにそう言い放った。
だが、その声には、もう以前のような完全な拒絶の色はなかった。
「俺は、俺の目的のために、あんたたちを利用する。ただ、それだけだ」
俺の言葉に、オルデンは、満足そうに、そしてどこか楽しそうに、再び笑みを浮かべた。
こうして、俺たちの魔族領への旅に、新たなパートナーが加わることが決まった。
それは、俺の計画にも、そして俺自身の心にも、予測不能な変化をもたらす、新たな一歩となるのだった。




