第81話:始祖の祭壇
渓谷での激しい戦闘から、半日。
俺たちは、リリスたち『月影』の一族に導かれ、再びタルガの街の地下にある隠れ家へと戻っていた。
洞窟内には、作戦の失敗と、仲間を失いはしなかったものの、多くの負傷者を出したという重い空気が漂っていた。魔族たちは、傷ついた仲間を手当てしながらも、悔しさと無力感に唇を噛んでいる。
俺とルナも、魔力と体力を使い果たし、今はただ壁に背を預けて荒い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
作戦は、失敗だった。
ゼノンの知略の前に、俺の即席の作戦は打ち破られ、目的であった「魔石」の奪取は叶わなかった。
「……若者よ」
重い沈黙を破ったのは、長のオルデンだった。彼は、杖をつきながらゆっくりと俺の前に立つと、その深い瞳で俺をじっと見据えた。
「お主の知略、見事であった。ゼノンという男が、それを上回ったというだけのこと。誰も、お主を責めはせん」
慰めの言葉。だが、今の俺には何の慰めにもならなかった。
俺は、顔を上げずに、静かに口を開いた。
「……いや、まだ終わってはいない。俺は、最後の最後で、奴から新たな情報を引き出した」
俺の言葉に、オルデンだけでなく、周囲で聞き耳を立てていた魔族たちの視線が一斉に俺に集まる。
「ゼノンは、俺たちの作戦が失敗したと、勝利を確信していた。その油断が、奴の思考を饒舌にさせた」
俺は【概念の翻訳者】で読み取った、ゼノンの思考の断片を、正確に、そして冷静に、彼らに伝えた。
「第一に、奴らが輸送していた『魔石』は、一つではない。複数存在する。今回のは、そのうちの一つに過ぎない」
「第二に、それらの魔石は、禁忌の魔道具『天を穿つもの』を共鳴させるための、ただの増幅器でしかない」
そして、と俺は一呼吸置いた。
「第三に、それらを共鳴させ、完全に機能させるための、もう一つの『鍵』が存在する。その『鍵』は――」
俺は、オルデンとリリスの顔をまっすぐに見つめて、告げた。
「あんたたちの故郷、魔族領の、さらに奥深くにあるという、『始祖の祭壇』に眠っているらしい」
その言葉を口にした瞬間、部屋の空気が凍りついた。
オルデンは、信じられないというように目を見開き、わなわなと唇を震わせている。リリスもまた、息を呑み、言葉を失っていた。
「し、始祖の祭壇……だと……?」
オルデンが、掠れた声で呟く。
「なぜ、人間の、それも王国の犬である『影の猟犬』が、その名を……。それは、我ら『月影』の一族にのみ、口伝で伝えられてきた、伝説の聖地のはず……」
「伝説、か。だが、奴らはその場所を、確かに知っていた。そして、そこに『鍵』があることもな」
俺の言葉が、伝説を現実に引き戻す。
オルデンは、しばらく天を仰いで何かを考えていたが、やがて、苦々しい顔で事実を認めた。
「……いかにも。伝説によれば、始祖の祭壇には、我ら魔族の始祖が遺した、大いなる力が眠るとされている。それが『鍵』である可能性は、高い」
その言葉に、周囲の魔族たちが色めき立った。
「ならば、我らだけでその『鍵』を!」
「そうだ! 人間の力を借りる必要などない!」
一人の屈強な戦士が立ち上がり、俺を敵意に満ちた目で睨みつけた。
「長よ! この人間を、我らの聖域に立ち入らせるおつもりか! こいつは、我らにとって不倶戴天の敵である、人間だぞ!」
その言葉を皮切りに、他の魔族たちからも、次々と反対の声が上がる。
「そうだ、人間など信用できるか!」
「こいつも、我らを利用しようとしているだけかもしれん!」
彼らの人間に対する憎しみと、聖域を汚されることへの強い抵抗感。それは、当然の反応だった。
俺は、そんな彼らの内輪揉めを、冷めた目でただ眺めていた。
「……好きにしろ」
俺は、静かに立ち上がった。
「あんたたちが協力する気がないのなら、俺は俺のやり方で、その祭壇とやらを探すまでだ。道案内がいないなら、少し手間がかかるだけのこと」
俺の、あまりに突き放した態度に、魔族たちは一瞬、言葉を失う。
俺は、そんな彼らに背を向け、ルナに声をかけた。
「行くぞ、ルナ」
俺たちがこの場を去ろうとした、その時。
「――待て」
オルデンの、威厳に満ちた声が、洞窟全体に響き渡った。




