第80話:奪われた魔石、そして新たな『鍵』
「どうしたんだい、ユウキ君。君のその場しのぎのスキルでは、私の練り上げた戦術は、超えられないようだね」
ゼノンの嘲るような声が、渓谷に響き渡る。
まずい。完全に、手詰まりだ。俺の奇策は、この男の知略の前にことごとく見破られ、無力化されていく。このままでは、俺たちが消耗しきるのが先だ。
(……まだだ。まだ、手はある)
俺は、この絶望的な状況の中で、最後の賭けに出ることを決意した。
それは、俺のスキルと、魔族の幻術、そしてこの地形を組み合わせた、一か八かの奇策。
「リリス! 聞こえるか!」
俺は、岩陰から叫んだ。
「もう一度、幻術を! 今度は、奴の足元に、底なしの沼の幻を!」
「えっ……!? でも、そんなことをしたら……」
リリスの戸惑う声が聞こえる。同じ幻術は、一度見破られた相手には通用しにくい。
「いいからやれ! 俺を信じろ!」
俺の必死な声に、リリスは一瞬だけためらった後、「……わかった!」と力強く答えた。
再び、ゼノンと兵士たちの足元で、空間が陽炎のように揺らめき始める。
「また幻術か。芸がないな」
ゼノンは、鼻で笑った。
「そんなものに、二度も――」
彼が、そう言いかけた、その瞬間。
俺は、ルナから供給される最後の魔力を振り絞り、スキルを発動させた。
「――お前の立っている『理屈』ごと、崩れてしまえ!」
『【無名:地盤沈下】』。
だが、狙いは兵士たちではない。ゼノン、その本人の足元、ただ一点。
そして、俺が操作したのは「地面」の強度だけではなかった。
(「概念:地面」と「概念:幻術」を、強制的に『同調』させろ!)
ズブッ、と。
ゼノンの足元が、本当に沼に沈むかのように、不自然に陥没した。
リリスが見せた「沼の幻」と、俺が起こした「地盤沈下」という現実。二つの事象が同調し、彼の認識を、ほんの一瞬だけバグらせたのだ。
「なっ……!?」
初めて、ゼノンの顔に、純粋な驚愕の色が浮かんだ。
彼が、足元の異変に気を取られた、そのコンマ数秒の隙。
それこそが、俺が作り出した、唯一にして最大の勝機だった。
「――今だッ! 全員、かかれぇぇぇっ!」
岩陰から、オルデンの咆哮が響き渡る。
その号令を合図に、今まで息を潜めていた魔族の戦士たちが、獣のような雄叫びを上げながら、一斉に王国兵たちに襲いかかった。
指揮官であるゼノンの思考が、一瞬だけ途切れた。
その隙を突かれた王国兵たちは、もはや統率の取れた精鋭部隊ではなかった。魔族たちの、人間離れした身体能力と、復讐の炎に燃える猛攻の前に、次々と薙ぎ倒されていく。
渓谷は、あっという間に、血と断末魔の悲鳴に満たされた。
「……見事だ、ユウキ君」
部下たちが全滅していく中で、ゼノンは、陥没した地面から体を引き抜きながら、まるで美しい芸術でも見るかのように、俺に拍手を送っていた。
「私の負けだ。まさか、幻術と君のスキルを同調させ、私の認識を誤作動させるとは。私の計算を超えていたよ」
俺は、魔力を使い果たし、ふらつく体を壁に預けながら、荷馬車を指差した。
「……魔石は、渡してもらう」
すると、ゼノンは、不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、それかい? 残念だが、それはただの『おとり』だよ」
「何……?」
オルデンが、荷馬車の扉をこじ開ける。
だが、その中は、空っぽだった。あるのは、ただの重石代わりに積まれた、ガラクタの山だけ。
「本命は、とうの昔に、別のルートでこの渓谷を抜けている。君たちがこのおとりに夢中になっている間にな」
ゼノンは、優雅に衣服の埃を払う。
「今回は、部隊を失った私の負けだ。だが、君たちの目的も、潰させてもらった。痛み分け、といったところかな」
彼はそう言うと、懐から転移用の魔道具を取り出した。
作戦は、失敗した。
魔族たちの間に、落胆と怒りの空気が広がる。
だが、俺は、ゼノンのその余裕綽々の態度を見ながら、最後の情報を引き出すために、【概念の翻訳者】を発動させ続けていた。
(……今回は、な。だが、この程度の『石』は、まだいくつもある)
(所詮、あれらは『天を穿つもの』を共鳴させるための、ただの増幅器に過ぎん)
(本当の『鍵』は、もっと別の場所……。確か、魔族領の奥深くにあるという、始祖の祭壇に……)
ゼノンの、勝利を確信した思考の断片。
それが、俺の脳内に、新たな情報として刻み込まれていく。
「では、また会おう、ユウキ君。次に会う時は、君のその面白いスキルも、完全に対策させてもらうよ」
光と共に、ゼノンの姿が消える。
後に残されたのは、壊滅した輸送部隊の死体と、作戦が失敗したという、重い現実だけだった。
「クソッ! 逃げられたか!」
オルデンが、悔しそうに地面を殴りつける。
だが、俺は、静かに口元に笑みを浮かべていた。
「……いや、勝ちだ。俺たちの、な」
俺は、ふらつく足で立ち上がった。
「魔石は奪えなかった。だが、俺はもっと重要な情報を手に入れた」
俺は、オルデンとリリスに向き直り、告げた。
「魔石は、一つじゃない。複数ある。そして、それらを共鳴させるための、別の『鍵』が、あんたたちの故郷――魔族領の、さらに奥深くにあるらしい」
その言葉に、オルデンとリリスは、息を呑んだ。
失われた魔石。そして、新たに示された、希望の在処。
俺たちの戦いは、まだ終わってはいなかった。




