第79話:リーダーの知略
作戦決行当日。
タルガ郊外の渓谷は、張り詰めた静寂に包まれていた。俺とルナ、そしてリリスたち『月影』の一族は、岩陰や木々の上に身を潜め、息を殺してその時を待っていた。
俺の心臓が、嫌なほど冷静に、しかし力強く脈打っている。初めての、チームを率いての作戦。失敗は許されない。
やがて、渓谷の入り口から、統率の取れた足音が響いてきた。
現れたのは、十数名の王国兵に護衛された、厳重に封印された荷馬車。そして、その先頭を、まるで散歩でもするかのような優雅な足取りで歩く、一人の男。
銀髪に、黒い長衣。
『影の猟犬』リーダー、ゼノン。
「……やはり、来たか」
俺は、奥歯を強く噛みしめた。最悪の想定が、現実のものとなる。
輸送部隊が、渓谷のちょうど中ほど、俺たちが仕掛けたキルゾーンに足を踏み入れた。
「――今だ!」
俺の合図と共に、リリスたち幻術の使い手が一斉に術を発動させた。
瞬間。
渓谷全体が、地響きと共に揺れる。崖の上から、巨大な岩石がいくつも崩れ落ち、輸送部隊の行く手を塞ぐ、という大規模な幻術。
「な、なんだ!?」
「崖崩れだ! 退避しろ!」
王国兵たちが、明らかに狼狽し、陣形を乱す。よし、計画通りだ。
だが、ゼノンだけは、微動だにしなかった。
彼は、降り注ぐ岩石の幻を、まるで路傍の石でも見るかのように冷めた目で見つめると、静かに、しかし渓谷全体に響き渡る声で言い放った。
「――騒ぐな、愚か者ども。これは幻術だ」
その一言で、兵士たちの混乱がピタリと止まる。
「敵は、この近くに潜んでいる。おそらくは、崖の上。弓兵、幻術の発生源と思われる場所へ、威嚇射撃」
ゼノンの、あまりに冷静で的確な指示。
まずい、と俺が思った瞬間には、数人の弓兵が崖の上――リリスたちが潜む場所へ、一斉に矢を放っていた。
「くっ……!」
リリスたちが、咄嗟に身を隠して矢を避ける。幻術が乱れ、崖崩れの幻が陽炎のように揺らいだ。
作戦の第一段階が、こうも簡単に見破られるとは。
こいつ、俺の想像以上に、切れる。
「ユウキさん!」
リリスの、焦ったような声が風に乗って聞こえる。
このままでは、幻術部隊が先にやられる。作戦を変更するしかない。
「ルナ、頼む!」
「うん!」
ルナがペンダントを握りしめ、俺の体に魔力が流れ込んでくる。
俺は、予定よりも早く、第二段階を発動させた。
「――崩れろ!」
『【無名:地盤沈下】』。
弓兵たちが立つ足場、その一点に狙いを定め、スキルを発動させる。
ズブッ、と音を立てて地面が沈み、弓兵たちの体勢が崩れる。狙いが逸れた矢が、明後日の方向へと飛んでいった。
「ほう……。来たか、現象操作」
ゼノンは、その光景を見ても、一切動じなかった。それどころか、その口元には、面白い玩具を見つけたかのような、不気味な笑みさえ浮かんでいる。
「やはり、君のスキルは、特定の『現象』そのものを操作する能力らしい。実に厄介だ。だが、発動には予備動作と魔力が必要。そして、一度に操作できる範囲は、それほど広くない」
俺のスキルの本質を、たった一度見ただけで、そこまで正確に分析するというのか。
背筋に、冷たい汗が流れる。
「全隊、散開! 斥候は、術者の位置を特定しろ! 足元に常に注意を払い、決して足を止めるな!」
ゼノンの的確な指示が、矢継ぎ早に飛ぶ。
兵士たちは、彼の言葉に、まるで手足のように反応し、即座に陣形を組み替えていく。
俺が『【無名:平衡感覚阻害】』で斥候の動きを止めようとすれば、別の兵士がすかさずその斥候を庇い、盾を構える。
俺が重装兵の足元を崩そうとすれば、ゼノンはそれを先読みし、その兵士を別のルートへ動かす。
知略と知略の、応酬。
俺のその場しのぎの奇策が、練り上げられたゼノンの戦術の前に、一枚、また一枚と剥がされていく。
「どうしたんだい、ユウキ君」
ゼノンの、嘲るような声が聞こえる。
「君のその場しのぎのスキルでは、私の練り上げた戦術は、超えられないようだね」
緊迫した攻防の中、俺は初めて、明確な敗北の予感に包まれていた。
この男は、アイカとは違う。
論理や合理性だけでなく、実戦の経験に裏打ちされた、本物の「指揮官」だ。
俺は、じりじりと、しかし確実に、このリーダーの知略によって、追い詰められていた。




