第72話:王城からの脱出と次なる記憶
「ずらかるぞ」
俺は、ルナの肩を借りて立ち上がると、すぐにこの地獄のような実験室からの脱出を開始した。
アイカが去った直後、研究所の奥からけたたましい警報音が鳴り響き始めた。遠くから、複数の兵士たちが駆けつけてくる足音も聞こえる。
「チッ、騒ぎになるのが早すぎる!」
アイカが撤退する際に、わざと警報を鳴らしていったのだろう。俺たちをこの場所に閉じ込め、兵士たちに処理させるつもりだ。
だが、そう思い通りになるか。
「ルナ、グレイに指示された脱出ルートは覚えているな?」
「うん。こっち!」
俺たちは、迫りくる追手の気配を背中に感じながら、研究所の薄暗い通路を疾走する。
外に出ると、王都の夜空は、非常事態を告げる狼煙によって赤く染まっていた。王城だけでなく、街の城門も固く閉ざされ、王都全体が巨大な檻と化している。まさに厳戒態勢だ。
「クソッ、どこもかしこも兵士だらけだ……!」
俺たちは物陰に身を隠し、息を殺す。
グレイが用意した脱出ルートは、下町のさらに外れにある、今は使われていない古い下水道へと続いていた。そこまで、どうやってたどり着くか。
「ユウキ、あっちの屋根の上なら……」
ルナが、建物の密集した一角を指差す。
「……よし、行くぞ!」
俺たちは、人目を避け、裏路地から裏路地へと駆け抜けた。時には建物の壁をよじ登り、屋根の上を疾走する。眼下では、松明を持った兵士たちが、血眼になって俺たちを探していた。
心臓が、嫌な音を立てて脈打つ。魔力も体力も、もう限界に近い。
だが、隣で必死に俺についてくるパートナーの存在が、俺の心を支えていた。
どれくらい走っただろうか。
俺たちは、ついに目的の下水道の入り口にたどり着いた。錆びついた鉄格子をこじ開け、鼻をつく悪臭の中へと身を滑り込ませる。
追手の声が遠のいていくのを確認し、俺たちはようやく、汚泥の中で安堵の息をついた。
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王都郊外の森の中にある、隠れ家に戻った頃には、東の空が白み始めていた。
俺は、汚れた服のまま、ベッドに倒れ込む。全身が泥のように重い。
「ユウキ、水……」
ルナが、心配そうに水の入ったカップを差し出してくれる。俺はそれを受け取り、一気に飲み干した。
「……助かった」
疲労困憊。だが、心は不思議と満たされていた。
アイカとの決別。ゴーレムの撃破。そして、通信魔道具の起動パターンの入手。
失ったものも大きかったが、得たものもまた、計り知れないほど大きい。
だが、休んでいる暇はない。
王都に、もう俺たちの居場所はない。次なる一手を、打たなければ。
「ルナ」
俺が声をかけると、彼女はすぐに俺の意図を察したようだった。
彼女は、胸元で蒼く輝くペンダント『アストライアー』を、そっと両手で包み込む。
「……次の場所を、教えて」
ルナが静かに祈るように意識を集中させると、ペンダントが淡い光を放ち始めた。
やがて、彼女の脳裏に、新たな「記憶」の場所が、ぼんやりとしたイメージとなって浮かび上がる。
「……荒野……。黒い、山……。そして、角の生えた人たちの、街……」
角の生えた人たち。
その言葉に、俺は息を呑んだ。
この世界で、その特徴を持つ種族は一つしかいない。
「――魔族、か」
ペンダントが示す次の目的地。
それは、アークライト王国とは長年敵対関係にある、「魔族領」の入り口に位置する、国境の街だった。
王国から追われ、今度は敵国である魔族の領地へ。
それは、これまで以上に危険で、そして無謀な旅になることを意味していた。
下手をすれば、王国と魔族、その両方から命を狙われることになる。
俺は、隣に座るルナの顔を見た。
彼女の瞳には、確かに不安の色が浮かんでいる。だが、それ以上に、俺と共に行くという、揺るぎない決意の光が宿っていた。
「……面白くなってきたじゃないか」
俺は、自嘲気味に、しかし確かに笑っていた。
王国の闇を暴くために、敵国である魔族の領土へ。
もはや、常識も、国境も、俺たちの前には意味をなさない。
「行くぞ、ルナ。準備をしろ」
「うん!」
俺たちは、互いの存在だけを頼りに、さらに危険な、そして世界の真実に迫るための、新たな旅へと向かう覚悟を決める。
夜明けの光が、二人の顔を、強く照らし出していた。




