第71話:聖騎士の決断
その頃、王城の一角にある聖騎士団の執務室で、一人の男が深く思い悩んでいた。
勇者【聖騎士】、マサル。
彼の脳裏には、数日前に市場で出会った、茶髪の青年の言葉が、棘のように突き刺さって離れなかった。
『あんたの言う正義とやらが、誰かを不幸にしていないと、どうして言い切れる?』
あの時、青年が放った凍るような声と、その瞳の奥に宿っていた深い絶望の色。
そして、彼が口にした、王立魔道具研究所に関する不穏な噂。
ただの噂話だと、最初は自分に言い聞かせていた。王子殿下は、誰よりもこの国の未来を考えておられる、正義感に溢れた方だ。その方に限って、不正などあるはずがない。
だが、マサルの心には、拭い去れない疑念の種が植え付けられていた。
友人だったユウキの、不可解な失踪。
そして、あの青年の言葉が、奇妙に重なって聞こえるのだ。
「……俺は、聖騎士として、見過ごすわけにはいかない」
もし、万が一にも、あの噂が真実だとしたら?
王子殿下の名誉を守るためにも、そして何より、己の信じる正義を貫くためにも、この目で真実を確かめなければならない。
マサルは、覚悟を決めた。
彼はまず、聖騎士の権限を使い、王立魔道具研究所の視察を申し入れた。表向きの理由は「魔王軍の脅威に対抗するための、新兵器開発の進捗確認」だ。
研究所の所長は、聖騎士の突然の訪問に狼狽しながらも、マサルを丁重に迎え入れた。
「素晴らしい研究成果です。ですが、これだけの研究を維持するには、莫大な予算が必要でしょう。会計記録を拝見しても?」
マサルがそう切り出すと、所長の顔が明らかに引きつった。彼は「それは機密事項でして……」と口ごもるが、マサルは「国家の安全保障に関わる問題だ」と、聖騎士の権限を盾に、半ば強引に会計記録の閲覧を認めさせた。
分厚い帳簿を、一枚、また一枚と捲っていく。
そのほとんどは、ごく普通の研究資材の購入記録や、人件費の支払い記録だった。
やはり、ただの噂だったのか。マサルがそう思い始めた、その時。
彼の指が、ある一点で止まった。
『第三研究所 維持管理費:金貨五千枚』
不自然なほどに巨額な支出。しかも、その支出項目は、毎月のように計上されている。
「所長、この『第三研究所』とは、どこにあるのですか? 私の知る限り、王立の研究所はここ一つのはずですが」
マサルの鋭い問いに、所長は滝のような冷や汗を流し始めた。
「そ、それは……その……極秘裏に進められている、別の研究施設でして……」
「ならば、その研究記録もあるはずですね。見せていただきたい」
「記録は……ございません。全て、口頭での報告となっておりますので……」
嘘だ。
これだけの予算を動かしておきながら、記録が一切ないなど、ありえない。
マサルの正義感が、警鐘を鳴らす。この金の流れは、明らかに異常だ。
あの青年が言っていた「変な実験」とは、この存在しないはずの「第三研究所」で行われているのではないか?
マサルの心の中で、王子への絶対的な信頼が、ガラガラと音を立てて崩れ始めていた。
親友だったユウキは、もしかしたら、この国の闇に気づいてしまったから、消されたのではないか?
王子殿下は、本当に俺たちが信じるべき「正義」なのか?
「……分かりました。今日のところは、これで失礼します」
マサルは、それ以上所長を問い詰めることなく、研究所を後にした。
だが、彼の心は、すでに決まっていた。
この国の正義が、もし歪んでいるのだとしたら。
それを正すのが、聖騎士である俺の務めだ。
たとえ、その相手が、敬愛すべき王子殿下であったとしても。
マサルは、王城へと続く道を、まっすぐに見据えた。
その瞳には、もはや葛藤の色はなかった。
ただ、己の信じる正義を貫くという、揺るぎない決意の光だけが、強く、強く燃えていた。
彼は、王子に直接、真偽を問いただすことを決意したのだ。




