第70話:大賢者の誤算
キィィン、という甲高い共振音の残響が消え、ドーム状の空間に静寂が戻った。
目の前には、ついさっきまで圧倒的な威圧感を放っていた黒曜石のゴーレムが、ただの瓦礫の山となって転がっている。
「……はぁっ、はぁっ……」
俺は、魔力と体力を使い果たし、その場に膝をついた。全身が鉛のように重く、指一本動かすのも億劫だ。
「ユウキ!」
ルナが、安堵と心配が入り混じった声で駆け寄り、俺の体を支えてくれる。
俺は、荒い息を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先には、巨大な制御装置の前に佇む、アイカの姿があった。
彼女は、こちらを振り返ることなく、ただ、信じられないものを見るかのように、目の前の瓦礫の山を呆然と見つめていた。
その表情に、いつもの冷静沈着な仮面はなかった。
俺は、最後の力を振り絞り、【概念の翻訳者】を発動させる。
> **【概念:対象アイカの思考】**
> **【概念:予測不能な事象への強い困惑】**
> **【概念:『構造解析』と『共振破壊』という未知の概念への驚愕】**
> **【概念:ユウキのスキル『無名のスキルメーカー』の脅威レベルを最大に再設定】**
> **【概念:計画における最大の『リスク要因』としてユウキを再定義】**
……初めてだ。
こいつが、これほどまでに動揺しているのは。
俺の地味なスキルが、この天才大賢者の完璧な計算を、初めて上回った瞬間だった。
やがて、アイカはゆっくりとこちらを振り返った。
その瞳には、もはや俺を「不良品」と見下す色はなかった。代わりに宿っていたのは、理解不能な脅威に対する、明確な「警戒」の色だった。
「……非合理だわ」
彼女の唇から、絞り出すような声が漏れた。
「あなたの存在そのものが、私の論理を、世界の理を、狂わせる……」
それは、彼女なりの敗北宣言だったのかもしれない。
アイカは、懐から小さな水晶玉のような魔道具を取り出した。通信用の魔道具か。
「王子殿下にご報告を。そして、ここは一度、退くべきね」
彼女は、あくまで合理的な判断として「撤退」を選択した。
その水晶玉に魔力を注ぎ込もうとする。
その瞬間、俺は最後の勝負に出た。
疲労困憊の体に鞭を打ち、スキルを維持し続ける。
『【無名:魔力傍受】』。
このスキルで、奴の通信を、その魔力の波長を、根こそぎ記録してやる。
アイカが魔道具を起動させる。
俺の脳内に、特殊で、複雑な魔力の波形パターンが、データとして流れ込んできた。
> **【魔力パターン記録中…】**
> **【対象:王家専用高セキュリティ通信魔道具】**
> **【起動シーケンスの魔力波長パターンを記録完了】**
―――やった。
「……シルヴィア、ボルグ、レオンの三名を以てしても、対象の捕獲に失敗。私のゴーレムも、未知のスキルにより破壊されました。対象の脅威レベルを、最大級に引き上げ、再度の作戦立案を進言します」
アイカは、水晶玉に向かって淡々と報告を終えると、再び俺の方を見た。
その目には、もう何の感情も浮かんでいない。ただ、邪魔なノイズを処理するかのような、冷たい光があるだけだ。
「さようなら、ユウキ。次に会う時は、あなたのその非合理な存在を、完全に消去するわ」
彼女がそう言うと、その足元に複雑な魔法陣が展開され、一瞬の光と共に、アイカの姿は跡形もなく消え去った。
後に残されたのは、俺とルナ、そしてゴーレムの残骸だけ。
俺は、全身の力が完全に抜けていくのを感じながら、口の端に、確かな勝利の笑みを浮かべた。
「……勝ったのは、俺たちだ、アイカ」
俺は、彼女が王子と交信するために使った魔道具の「鍵」を手に入れた。
これさえあれば、奴らの通信を傍受し、今後の動きを先読みできるかもしれない。
情報戦において、これ以上ないアドバンテージだ。
「ユウキ、しっかり!」
ルナが、俺の体を必死に支える。
「ああ、分かってる。……ここも、もう長居は無用だ。ずらかるぞ」
俺たちは、アイカが残した地獄のような実験室を後にし、グレイが用意した脱出ルートへと、急いで向かうのだった。




