第66話:罠、あるいは招待
三日後の夜。
月が、まるで巨大な監視眼のように、王都の空高く昇っていた。
俺とルナは、王都郊外の森に隠された「第三研究所」の前に立っていた。古びた石造りの建物は、月明かりに照らされて、巨大な墓石のように不気味なシルエットを浮かび上がらせている。
「……静かすぎる」
俺は、物陰から建物の様子を窺いながら呟いた。
グレイの報告書にあった通りなら、ここは王子派閥の暗部そのもの。もっと厳重な警備が敷かれていてもおかしくない。
だが、どうだ。
見張り台に人影はなく、巡回する衛兵の姿も見当たらない。それどころか、建物の入り口であるはずの重い鉄の扉が、わずかに開いている。まるで、誰かが俺たちの来訪を待ちわびているかのように。
「ユウキ……罠、だね」
隣で息を潜めていたルナが、確信に満ちた声で言った。彼女の『気配察知』も、この異常な状況を明確に捉えているのだろう。
「ああ、罠だ。あるいは――ご丁寧な『招待状』、だな」
俺の脳裏に、アイカの涼しげな顔が浮かぶ。
俺がグレイに調査を依頼すること。そして、この場所、この日時に現れること。その全てを、彼女は予測していたのかもしれない。
大賢者。その頭脳は、俺の想像を遥かに超えている。
罠だと分かっていて、このまま引き返すか?
いや、それはあり得ない。
ここで逃げれば、俺はまた、見えない敵の掌の上で踊らされるだけだ。それに、俺はもう決めたのだ。彼女の口から、直接真実を聞き出すと。
なぜ、俺を裏切ったのか。
なぜ、平然と非道な実験を繰り返せるのか。
あの、屈託なく笑っていたはずの少女は、どこへ消えたのか。
その答えを得るためには、このあからさまな罠に、乗るしかない。
「……行くぞ」
俺が覚悟を決めると、ルナは何も言わずに、俺の手を強く握りしめてきた。
その小さな手の温もりが、俺に最後の問いを投げかける。
本当に、行くのか? その先には、さらなる絶望が待っているだけかもしれないぞ、と。
俺は、ルナの顔を見た。
彼女の瞳には、不安の色はあったが、恐怖はなかった。
「ユウキが行くなら、私も行く。私たちは、パートナーだから」
その瞳が、そう語っていた。
そうだ。俺はもう、一人じゃない。
この温もりがある限り、どんな闇にだって立ち向かえる。
俺は、彼女の手を強く握り返した。
「ああ。行こう」
俺たちは、もはや隠れることもせず、堂々と正面から、開かれた鉄の扉へと向かった。
ギィ、と錆びついた蝶番が軋む音を立てて、扉がさらに開く。
その先には、薬品のツンとした匂いが漂う、どこまでも続くかのような長い、長い廊下が、まるで舞台への花道のように、俺たちを誘っていた。
俺たちは、一歩、また一歩と、その闇の中へと、迷いなく足を踏み入れていった。




