第65話:黒猫の報告書
王都の隠れ家に戻ってから、数日が過ぎた。
俺は、聖騎士マサルの心に植え付けた疑念という名の種が、どう芽吹くかを冷静に観察しながら、情報屋グレイからの連絡を待っていた。
アイカ。相川愛歌。
あの日、研究所の地下で見た光景が、目を閉じると今も鮮明に蘇る。
『出来損ないの勇者の排除は合理的判断だった』
その無慈悲なテキストが、俺の心を繰り返し焼き付けた。
怒りは、消えていない。
だが、ルナが繋ぎとめてくれたおかげで、俺はその怒りに呑まれることなく、次の一手を考えるための冷静さを保つことができていた。
「ユウキ、大丈夫?」
俺が窓の外を睨みつけたまま動かないのを見て、ルナが心配そうに声をかけてくる。
「……ああ。問題ない」
俺は短く答え、彼女の頭を一度だけ撫でた。この温もりがある限り、俺はもう道を踏み外さない。
その時だった。
コン、コン、と扉をノックする、合図の音が響いた。
グレイからの使いだ。
俺が扉を開けると、フードを目深にかぶった小柄な男が、無言で一通の封蝋された手紙を差し出し、そのまま闇に消えていった。
俺はすぐに部屋に戻り、震える指で封を解く。中に入っていたのは、グレイの走り書きが記された、数枚の羊皮紙だった。
「……どうだった?」
ルナが、固唾を飲んで俺の顔を見つめている。
俺は、報告書に目を通し――そして、その内容に奥歯を強く噛みしめた。
『黒猫の報告書:対象【大賢者】アイカについて』
そこに記されていたのは、俺の想像を遥かに超える、おぞましい事実だった。
報告書によれば、アイカは週に一度、夜陰に紛れて王都郊外にある古い施設に通っているという。その場所は、表向きは「王立魔道具研究所」の廃棄物処理場として登録されているが、グレイの配下が見たものは、全く違う光景だった。
『――通称「第三研究所」。その実態は、生体実験の「失敗作」を処理するための場所であり、同時に、スラムの孤児や犯罪者といった、いなくなっても誰も探さない人間を、新たな「実験体」として仕入れるための拠点となっている』
報告書の、淡々とした文字が、俺の心に突き刺さる。
廃棄。仕入れ。まるで、物のように人間を扱う、その言葉の響き。
アイカは、あの美しい顔で、涼しい瞳で、そんな地獄の釜の番人をしているというのか。
そして、報告書の最後は、こう締めくくられていた。
『次回の訪問予定日時:三日後の夜半。月が最も高く昇る頃』
三日後。
その文字が、俺の目に焼き付いて離れない。
「……ユウキ?」
俺の全身から、隠しきれないほどの怒気が立ち上っているのを感じ取ったのだろう。ルナが、不安そうに俺の腕にそっと触れた。
俺は、報告書を握りしめ、震える声で言った。
「……行くぞ、ルナ」
「え……?」
「三日後、その『第三研究所』とやらに、俺たちも行く」
これは、罠かもしれない。
グレイの情報網を逆手に取った、アイカの巧妙な罠の可能性もある。
だが、それでも、俺は行かなければならない。
なぜだ、アイカ。
なぜ、お前が。
なぜ、俺を裏切った。
その答えを、俺は、彼女自身の口から聞かなければならない。
たとえ、その先に待っているのが、さらなる絶望であったとしても。
俺は、かつて友と呼べるかもしれなかった少女との、直接対決を決意した。
それは、俺の過去に、そして、この不条理な世界に、本当の意味で決着をつけるための、避けられない戦いの始まりだった。




