第63話:情報屋との取引
ルナの温もりによって、俺は再び立ち上がることができた。
アイカへの裏切りに対する怒りも、絶望も、消えたわけではない。だが、それはもう俺の足を止めるための鎖ではなく、前へ進むための燃料に変わっていた。
冷静さを取り戻した俺は、すぐに行動を開始した。
必要なのは、情報。そして、その情報を効率的に集めるための「駒」。
「ルナ、少し出てくる。ここで待っていてくれ」
「……うん。気をつけて」
俺の目が、もう死んでいないことを確認したルナは、心配そうな顔をしながらも、力強く頷いてくれた。
俺は再び『【無名:ミスディレクション】』で姿を変え、王都の裏路地を抜けて、あの酒場『黒猫の尻尾』へと向かった。
合言葉を告げ、案内された個室の扉を開けると、情報屋グレイはテーブルの上でナイフを磨きながら、ニヤリと笑って俺を迎えた。
「よう、旦那。研究所の潜入は上手くいったのか? 死にそうな顔で帰ってきたって噂を聞いたが、ずいぶんスッキリしたじゃねえか」
「ああ。おかげで、とんでもない『お宝』を見つけることができた」
俺は、グレイの向かいにどかりと腰を下ろした。
「お宝、ね。そいつは良かった。で、今日は何の用だい? まさか、ただの世間話じゃねえだろ?」
グレイの目が、値踏みするように細められる。
「取引だ」
俺は、単刀直入に切り出した。
「あんたに、またデカい儲け話を持ってきた」
「ほう?」
俺は懐から、辺境伯の日記と砦で見た記憶を元に書き起こした、王立魔道具研究所の地下で行われている非人道的な実験の概要を記した羊皮紙を取り出した。ただし、核心的な部分は全て伏せてある。
「これは、あんたへの『前金』だ」
俺が羊皮紙をテーブルの上に滑らせると、グレイは訝しげにそれを受け取り、目を通し始めた。
そして、読み進めるうちに、彼の表情からいつもの軽薄な笑みが消えていく。
「……おい、旦那。これは、何の冗談だ? 王立研究所の地下で、生体実験……? しかも、古代の魔道具の復活のため、だと?」
グレイの声には、もはや笑いの色はなかった。情報屋として、この情報が持つ本当の「ヤバさ」を、即座に理解したのだろう。
「冗談に見えるか? 俺は、この目で見てきた」
「……信じられねえ。だが、あんたが嘘をつくとは思えねえな。で、このとんでもない情報を俺にくれて、何が望みだ?」
グレイは、ゴクリと喉を鳴らした。
俺は、この瞬間を待っていた。
「調べてもらいたい人間がいる」
俺は、一呼吸置いて、その名前を告げた。
「――【大賢者】、アイカだ」
その名を聞いた瞬間、グレイは椅子から転げ落ちそうになるほど、激しく目を見開いた。
「なっ……!?【大賢者】様だと!? 正気か、あんた! あの人は、王子殿下の懐刀で、この国の英雄の一人だぞ!」
「その英雄サマが、例の生体実験を主導している」
俺の言葉に、グレイは完全に沈黙した。
彼の頭の中で、情報の価値と、それに伴うリスクが、猛烈な勢いで計算されているのが手に取るように分かる。勇者、それも【大賢者】のスキャンダル。失敗すれば、消されるのは自分だ。だが、成功すれば……。
やがて、グレイの顔に、再びあの獰猛な商人の笑みが戻ってきた。
「……ハッ。ハハハ! あんた、本当に最高だぜ! 疫病神かと思えば、とんでもない金のなる木を隠し持ってる! 面白い、その話、乗った!」
グレイは、興奮を隠しきれない様子で立ち上がった。
「いいだろう! このグレイ様が、あんたの目となり耳となり、【大賢者】様の動向から、生体実験の詳細、パンツの色まで、根こそぎ暴いてきてやるよ!」
「頼んだ。結果次第で、さらにデカい『本命』の情報もくれてやる」
「へっ、期待しないで待ってな!」
俺は、満足げに頷くと、席を立った。
グレイは、もはや単なる協力者ではない。俺が情報を与え、動かす、俺の「駒」だ。
人間不信の俺が、他人を駒として使う。それは、皮肉なことかもしれなかったが、今の俺には必要なことだった。
俺は、冷徹な思考を取り戻した自分を自覚しながら、隠れ家へと戻る。
ルナが待つ、あの温かい場所へ。
そして、次なる一手のために。




