第62話:闇を照らす光
その夜、俺は悪夢にうなされていた。
アイカの冷たい声が、頭の中に響き渡る。
『出来損ないの勇者の排除は合理的判断だった』
違う。そんなはずはない。
俺たちが日本にいた頃、彼女はいつも図書室の隅で静かに本を読んでいた。クラスの誰とも馴染もうとしない俺に、唯一、気さくに話しかけてくれたクラスメイト。
『黒崎君の考え方、面白いね』
そう言って、屈託なく笑っていたはずじゃなかったのか。
場面が切り替わる。
親友だった斎藤が、恋人だった美咲が、俺を裏切ったあの日の光景。
『あなたって、最低の人間ね』
軽蔑しきった視線が、俺の心を抉る。
やめろ。
もう、やめてくれ。
俺は、底なしの闇の中を、ただ一人で落ちていく。
誰も信じられない。誰も愛せない。
孤独。絶望。憎悪。
黒い感情が、俺の意識を完全に飲み込もうとしていた。
その、深い闇の底で。
ふと、自分の手が、温かい何かに包まれているのを感じた。
それは、か細く、しかし確かな温もり。
この温もりを、俺は知っている。
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ルナは、眠りながらも苦しげに呻くユウキの姿を、ただ黙って見つめていた。
自暴自棄になり、自分を突き放そうとした彼の姿は、かつての自分と重なって見えた。
信じていたものに裏切られ、全てを失い、心を閉ざすしかなかった、孤独な自分。
(……一人に、しない)
彼女は、どうすればいいか分からなかった。
気の利いた言葉をかけることも、彼を慰める魔法を使うこともできない。
彼女にできるのは、ただ一つだけ。
ルナは、床に投げ出されたユウキの冷たい手を、自分の小さな両手で、そっと包み込むように握りしめた。
そして、一晩中、その手を離さなかった。
かつて、彼が自分の心の闇を照らしてくれたように。
今度は自分が、彼の闇を照らす光になるのだと、心に誓いながら。
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夜が明け、窓の隙間から差し込む朝の光が、俺の瞼を優しく揺さぶった。
重い意識が、ゆっくりと浮上してくる。
悪夢の残滓が、まだ頭の中にこびりついていたが、不思議と、昨日までの絶望感は薄れていた。
最初に感じたのは、自分の右手が、温かいものに包まれているという感覚だった。
俺は、ゆっくりと視線をそちらへ向ける。
そこには、俺の手を両手で大事そうに握りしめたまま、すぐそばの床で、こくりこくりと小さな寝息を立てているルナの姿があった。
どうやら、一晩中、こうしていてくれたらしい。
その、健気な姿を見た瞬間。
俺の意思とは関係なく、【概念の翻訳者】が、眠っている彼女の無意識の思考を拾い上げた。
> **【概念:対象ルナの思考】**
> **【概念:ユウキへの揺るぎない信頼と献身】**
> **【概念:彼が再び立ち上がってくれることへの絶対的な肯定】**
> **【概念:何があっても、彼と共に在りたいという純粋な願い】**
悪意も、打算も、憐れみさえもない。
ただ、ひたすらに純粋で、温かい、光のようなデータ。
アイカの裏切りによって再び凍り付いた俺の心が、その温かい光に照らされて、ゆっくりと、しかし確実に溶かされていくのを感じた。
馬鹿な奴だ。
あんなに突き放したのに。
裏切られるかもしれないと、あれほど言ったのに。
それでも、こいつは俺を信じると言うのか。
俺の、パートナーでいると。
俺は、空いている左手で、眠るルナの亜麻色の髪を、そっと撫でた。
彼女は、くすぐったそうに、少しだけ身じろぎした。
そうだ。
俺は、一人じゃなかった。
たとえ世界中の人間が俺を裏切ったとしても、この少女だけは、きっと俺のそばにいてくれる。
この温もりがある限り、俺はまだ、戦える。
「……ありがとう、ルナ」
俺は、誰に聞かせるともなく、そう呟いた。
「……もう、大丈夫だ」
俺は、静かに立ち上がった。
心に巣食っていた闇は、まだ完全には消えていない。
だが、その闇の底で、確かに燃える一つの小さな光があった。
俺は、その光を道標に、再び立ち上がる決意を固めた。
裏切った者たちへ、正当な報いを。
そして、俺を信じてくれる、このたった一人のパートナーのために。




