第61話:絶望の再燃
どうやって隠れ家に戻ってきたのか、記憶が曖昧だった。
気づけば俺は、薄暗いアパートの一室で、壁に背を預けて床に座り込んでいた。窓の外からは、王都の喧騒が遠くに聞こえる。だが、その音は、まるで分厚い水の中にいるかのように、俺の耳には届いていなかった。
頭の中を、あの光景が、あの声が、あのテキストが、無限に反響している。
『出来損ないの勇者の排除は合理的判断だったという結論』
アイカ。
相川愛歌。
俺が、この世界で唯一、信じられるかもしれないと、愚かにも期待してしまった少女。
彼女が、俺を裏切った。
俺を「出来損ない」と断じ、生贄として切り捨てた、張本人。
「……は、はは……」
乾いた笑いが、喉から漏れた。
馬鹿みたいだ。俺は、なんて馬鹿なんだ。
一度裏切られたじゃないか。人間など信じるに値しないと、骨の髄まで理解したはずじゃなかったのか。
それなのに、心のどこかで、まだ期待していた。ルナという存在に触れ、温もりを知り、絆されて、また愚かな夢を見ていた。
結局、何も変わらない。
信じれば、裏切られる。
この世界の、絶対的な法則。
「ユウキ……?」
おずおずと、ルナが俺の顔を覗き込んできた。その瞳には、俺の異常な様子に対する、純粋な心配の色が浮かんでいる。
その、純粋さが、今の俺にはたまらなく不快だった。
「……触るな」
俺の口から、凍るように冷たい声が出た。
ルナの肩が、びくりと跳ねる。
「あっちへ行け。俺に近づくな」
「で、でも……」
「うるさい!」
俺は、感情のままに怒鳴りつけていた。
「お前も、どうせ同じなんだ! いつか俺を裏切る! 俺を利用して、用済みになったら捨てる! 人間なんて、みんなそうだ!」
それは、八つ当たりだった。
彼女が、そんな人間ではないと、頭のどこかでは分かっている。スキルが、彼女の思考に嘘偽りがないことを、何度も証明してくれた。
だが、アイカの裏切りによって再燃した人間不信の炎は、もう俺の理性を焼き尽くしていた。
俺の暴言に、ルナの瞳が悲しそうに揺れる。傷ついたように、俯いてしまう。
そうだ。それでいい。
俺から離れろ。俺に関わるな。そうすれば、お前も、俺も、これ以上傷つかずに済む。
俺は、彼女が部屋から出ていくのを待った。
だが、彼女は動かなかった。
俯いたまま、小さく震えていた彼女は、やがて、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。だが、そこに宿っていたのは、悲しみや恐怖だけではなかった。
それは、かつて俺が彼女の悪夢を打ち払った時に見せたような、強く、揺るぎない意志の光だった。
彼女は、俺の前に、そっと膝をついた。
そして、震える声で、しかしはっきりと、言った。
「……嫌だ」
「……何?」
「離れない。ユウキのそばを、離れたりしない」
彼女は、俺がゴブリンの巣窟で傷ついた時のことを思い出していた。
俺が、彼女の首輪を外すために、危険な依頼に挑んでくれたことを。
俺が、迷いの洞窟で、悪夢に囚われた彼女を、力強く抱きしめてくれたことを。
「今度は、わたしの番」
彼女は、涙を流しながらも、きっぱりと言い切った。
「今度は、わたしが、ユウキを守る番。あなたは、わたしの、パートナーだから」
その言葉は、自暴自棄になっていた俺の心に、鋭く突き刺さった。
うるさい。黙れ。気安く俺に触れるな。
そう叫びたいのに、声が出ない。
彼女の、あまりに真っ直ぐな信頼が、俺の心を縛り付ける。
俺は、そんな彼女から逃げるように、顔を背けて壁に額を押し付けた。
闇に落ちようとする俺の手を、掴んで離さない、小さな光。
その存在が、今はひどくもどかしく、そして、どうしようもなく、救いだった。




