第5話:最初の夜
陽が落ち、森は急速に闇と冷気に包まれていく。獣の遠吠えが、不気味に静寂を切り裂いた。野営の準備をしなければならない。
俺は手早く乾いた枝を集めると、焚き火の準備を始めた。その間、ルナはただ、俺の少し後ろで立ち尽くしているだけだった。まるで、次は何をすればいいのか分からない、置き去りにされた人形のように。
「おい、火くらい起こせるだろう。やれ」
俺が顎でしゃくって指示すると、ルナはびくりと肩を揺らし、おずおずと焚き火用の石組に近づいた。しかし、彼女は火打石を手に取ったまま、ただ戸惑うように固まっている。どうやら、火の起こし方すら知らないらしい。元貴族の令嬢だったというデータが頭をよぎる。
チッ、と無意識に舌打ちが出た。
苛立ちが、胸の奥で黒い染みのように広がる。こんな簡単なこともできないのか。これでは道具どころか、ただの足手まといだ。
だが、その感情はすぐに霧散した。
違う。これは苛立ちではない。単なる「性能不足」に対する評価だ。
買ったばかりの道具が、期待通りに動かない。原因は、これまでの劣悪な管理によるメンテナンス不足。ならば、所有者である俺が最低限のメンテナンスを施し、稼働できる状態に戻す必要がある。ただ、それだけのことだ。
俺はルナから火打石を無言で取り上げると、手早く火花を散らして火口に火を移した。パチパチと音を立てて炎が立ち上り、周囲の闇を払う。暖かさが、凍えた体に染みた。
「……」
ルナは、燃え盛る炎を、相変わらず虚ろな瞳で見つめている。
俺は荷物から、街で買った固いパンと干し肉を取り出し、その半分を無造作に彼女の足元に放った。
「食え。そして寝ろ。明日は長距離を歩く。足手まといになるなよ」
それは、憐れみや同情からくる行為ではない。明日、この道具が正常に稼働するための、ただの燃料補給だ。俺は自分の分の食事を黙々と口に運びながら、思考を巡らせる。
目的地は、自由都市ザラーム。王国の支配が及ばない、力と金が全ての街。そこで偽の身分を手に入れ、追手から完全に逃れる。それが当面の目標だ。
ルナは、しばらく地面のパンと俺の顔を交互に見ていたが、やがてそれをゆっくりと拾い上げた。そして、小さな口で、少しずつ、時間をかけて食べ始めた。その姿は、まるで餌付けされた小動物のようだった。
食事を終えると、彼女は俺からできるだけ距離を取り、木の根元に体を丸めるようにして横になった。まるで、俺という存在をひどく恐れているかのように。
好都合だ。
馴れ合いは不要。干渉は無用。
俺は所有者、あれは道具。その関係性が揺らぐことはない。
俺は燃え盛る炎に数本の薪をくべると、ルナとは反対側にごろりと横になった。冷たい地面の感触が、むしろ心地よかった。
こうして、俺と「道具」との、最初の夜が静かに更けていった。




