第57話:最後の鍵
砦の地下祭壇に、現実の空気が戻ってくる。
再生されていた記憶の光景が霧のように消え去り、俺たちの意識は、再び薄暗い遺跡の中へと引き戻された。
「……っ!」
隣で、ルナが息を呑む音が聞こえた。
彼女は、まるで呪いでもかけられたかのように、自分の細い首筋を両手で強く押さえている。その顔は真っ青になり、瞳は、俺が初めて出会った頃のような、深い絶望の色に染まっていた。
『起動には、アルテミス家の『聖なる血』が必要だ』
『お前の可愛い娘……ルナとか言ったか。その血も、我が覇道のために、有効に活用させてもらう』
王子の、あの粘つくような声が、俺の耳にもまだこびりついている。
禁忌の魔道具を起動させるための、最後の「鍵」。
それは、ルナ自身だった。
「……わたしの、せい……?」
ルナの唇から、か細い、震える声が漏れた。
「わたしの血のせいで……お父様も、お母様も、お兄様も……みんな……」
違う。そうじゃない。
俺がそう言いかけるより早く、彼女の瞳から、光が急速に失われていく。
彼女の中で、最悪の形で、全てのピースが繋がってしまったのだ。
家族が殺されたのは、自分が「鍵」だったから。自分の存在そのものが、悲劇を引き起こしたのだと。
「あ……あぁ……」
それは、あまりに過酷な真実だった。
彼女は、再びあの悪夢に囚われようとしていた。全てを諦め、心を閉ざし、ただの「壊れた道具」へと戻ろうとしていた。
冗談じゃない。
俺は、そんな彼女の姿を見て、腹の底からこみ上げてくる激しい怒りに、奥歯を強く噛みしめた。
誰が、お前をそんな顔にさせていいと言った。
誰が、お前を絶望させていいと言った。
俺は、崩れ落ちそうになるルナの体を、力強く抱きしめた。
驚きに、彼女の体がびくりと跳ねるのが分かる。
「……ユウ、キ……?」
「黙って聞け」
俺は、彼女の耳元で、感情を抑えつけようともせず、言い放った。
「お前のせいなわけがあるか。悪いのは、全てを私利私欲のために利用し、お前の家族を奪った、あのクソ王子だ。お前は、何も悪くない」
俺の腕の中で、ルナの体が小さく震えている。
「いいか、ルナ。お前は道具じゃない。ましてや、魔道具を起動させるための『鍵』なんかじゃ断じてない」
俺は、一度だけ言葉を切り、そして、ありったけの想いを込めて、宣言した。
「お前は、俺のパートナーだ。俺が、そう決めた」
俺の言葉に、ルナの震えが、わずかに収まった気がした。
「運命? 血筋? 知ったことか。そんなものに、お前を好きにさせてたまるか。俺たちが、俺たちの手で、そのくだらない運命とやらを、ぶっ壊してやるんだ」
それは、彼女に言っているようで、同時に、俺自身に言い聞かせている言葉でもあった。
裏切られ、全てを奪われ、運命に翻弄されてきた、過去の自分への決別。
そして、この不条理な世界への、明確な宣戦布告。
長い、長い沈黙。
やがて、俺の胸に顔を埋めていたルナが、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、涙で濡れていたが、もう絶望の色はなかった。
そこにあったのは、父の遺志を継ぎ、そして、俺というパートナーを信じ、自らの意志で運命に立ち向かうことを決意した、強く、美しい光だった。
「……うん」
彼女は、涙を拭うと、力強く頷いた。
「私、もう逃げない。お父様の遺志を継いで……ユウキと、一緒に戦う」
その言葉を聞いて、俺は満足したように、ふっと口元を緩めた。
そうだ。それでいい。
俺たちは、もうただの逃亡者じゃない。
この世界の不条理に、反撃の狼煙を上げる、二人で一つの戦士だ。
俺たちは、互いの存在を確かめ合うように、もう一度強く頷き合った。
絶望の淵から這い上がった二人の心は、今、確かに一つになっていた。




