第54話:待ち伏せ
砦の巨大な門は、半分崩れ落ちていた。俺たちは、その瓦礫の隙間を抜け、かつては中庭だったであろう広場へと足を踏み入れる。
静かすぎる。
鳥の声も、風の音さえも聞こえない。まるで、この空間だけが世界の音から切り離されているかのようだ。
「ユウキ……来る」
ルナが、俺の服の裾を強く掴みながら、絞り出すように言った。
彼女の『気配察知』が、最大級の警報を発している。俺の『魔力傍受』にも、濃密で、殺意に満ちた魔力が、すぐ近くに複数、潜んでいるのが分かった。
「ああ。分かっている」
俺が短剣を抜き、ルナを背後にかばった、その瞬間。
正面の崩れた城壁の上から、巨大な影が動いた。
ドッゴォォン!
地響きと共に、城壁の上から一体の巨漢が飛び降りてきた。身の丈は三メートルはあろうか。全身を隙間なく黒い重装甲で覆い、その手には、俺の胴体ほどもある巨大な戦斧が握られている。兜の奥から覗く二つの赤い光点が、無感情に俺たちを捉えていた。
圧倒的な威圧感。こいつが、シルヴィアと同格の『影の猟犬』か。
だが、脅威は一体だけではなかった。
「――ようこそ、お二人さん。歓迎するぜ」
軽薄な声が、背後から聞こえた。
はっとして振り返ると、いつの間にか、俺たちの退路を塞ぐように、一人の男が立っていた。
しなやかな体躯に、軽装の革鎧。腰には二本のダガー。そして、ピンと立った獣の耳と、ゆらりと揺れる尾。――獣人。
その口元は、獲物を見つけて楽しむかのように、獰猛な笑みを浮かべていた。
「シルヴィアの奴から報告は受けてるぜ。“出来損ないの勇者”は、何やら小賢しいスキルを使う、ってな」
獣人の男――レオンは、楽しそうに肩をすくめた。
「だから、俺たちの役目は単純明快。お前らに小細工を使わせる暇も与えず、真正面から、その頭を叩き割ってやることだ」
正面には、山のような巨漢「ボルグ」。
背後には、獣のような俊敏さを感じさせる暗殺者「レオン」。
パワーとスピード。シルヴィアとは全く違うタイプの、しかし、同じく絶望的なまでの強者。
「お喋りはそこまでだ、レオン」
ボルグが、地鳴りのような低い声で言った。
「速やかに、排除する」
「へいへい、分かってるっての」
レオンがそう答えたかと思うと、その姿が、ふっと掻き消えた。
速い!
シルヴィアとはまた質の違う、爆発的な瞬発力。
「ユウキ、左!」
ルナの叫びと、俺が体を捻るのが、ほぼ同時だった。
ザシュッ!
俺の頬を、レオンの爪がかすめる。数滴の血が、宙を舞った。もし、ルナの警告がなければ、俺の首は引き裂かれていただろう。
「ほう、今のを避けるか。その嬢ちゃんの“目”は、大したもんだな」
レオンが、数メートル先で楽しそうに舌なめずりをする。
だが、安堵する暇はなかった。
レオンの攻撃は、陽動に過ぎなかったのだ。
「――オオオオオッ!」
ボルグが、咆哮と共に巨大な戦斧を振りかぶる。狙いは、俺とルナ、二人まとめて。
逃げ場はない。まともに受ければ、骨も残らないだろう。
「ルナ、伏せろ!」
俺はルナの体を地面に押し倒し、自分も転がるようにしてその場から離脱する。
ゴウッ!
轟音と共に、戦斧が地面に叩きつけられた。
石畳が、まるで粘土のように砕け散り、凄まじい衝撃波と土煙が巻き起こる。
「ぐっ……!」
俺は、吹き飛ばされそうになる体を、必死に地面に押し付けて耐えた。
なんだ、この馬鹿げたパワーは。
これまでの敵とは、次元が違う。ゴブリンや盗賊など、赤子同然だ。
土煙が晴れる間もなく、その中から、再びレオンが矢のように飛び出してきた。
「終わりだ、勇者サマ!」
パワーとスピードの、休む間もない波状攻撃。
殺意の密度が、息を詰まらせる。
これが、『影の猟犬』。
これが、俺たちがこれから戦わなければならない、相手。
絶望的な戦力差。
俺は、防戦一方で、じりじりと追い詰められていく。
だが、俺の心は、まだ折れてはいなかった。
(……二人なら)
俺は、背後で必死に立ち上がろうとしているルナの気配を感じる。
一人では、勝てない。
だが、今の俺は、一人じゃない。
「ルナ! 援護を頼む!」
俺は、迫りくるレオンの爪を短剣で弾きながら、絶望的な状況の中で、反撃の狼煙を上げるべく、パートナーに叫んだ。




