第50話:父の遺言
長老の家に案内された俺たちは、テーブルの上に、アルテミス家の遺産である古びた日記とペンダントを置いた。
ルナは、父の形見である日記を、ただじっと見つめている。その瞳には、悲しみと、懐かしさと、そしてこれから真実を知ることへの恐怖が入り混じった、複雑な色が浮かんでいた。
「……開いてみよう」
俺が促すと、彼女はこくりと頷き、震える手で日記の革の表紙をゆっくりと開いた。
ページに記されていたのは、俺の知らない、優美だが解読不能な古い文字だった。
「読めない……」
ルナが、か細い声で呟く。
「俺に任せろ」
俺は、日記にそっと手を置いた。そして、意識を集中させ、【概念の翻訳者】を発動させる。
このスキルは、言葉や思考だけでなく、記された文字に込められた「概念」や「意図」さえも読み解くことができる。
瞬間。
日記に込められた、アルテミス辺境伯の膨大な思念が、怒涛のように俺の脳内へと流れ込んできた。
> **【概念:王子派閥による軍資金の不正流用記録】**
> **【概念:隣国との秘密裏の武器密輸の証拠】**
> **【概念:政敵の暗殺、およびその隠蔽工作に関する情報】**
次から次へと表示される、王子派閥の腐敗しきった悪行の数々。ゲオルグの話は、全て真実だった。辺境伯は、命の危険を冒してまで、この国の膿を暴き出そうとしていたのだ。
俺は、その冷静で緻密な記録に、辺境伯の正義感の強さを感じずにはいられなかった。
だが、日記を読み進めるうちに、俺の表情は険しさを増していく。
不正の記録は、ある一点から、その様相を変えていた。
> **【概念:古代遺跡の発掘と、禁忌の遺物の発見】**
> **【概念:遺物の名称:『天を穿つもの(ロンギヌス)』】**
> **【概念:古代文明を一夜にして滅ぼしたとされる、禁忌の魔道具】**
禁忌の魔道具。
王子派閥の真の目的は、ただの蓄財や権力争いではなかった。奴らは、この国そのものを転覆させ、古代の大量破壊兵器を復活させようと画策していたのだ。
(……狂ってやがる)
その、あまりに常軌を逸した計画に、俺は背筋が凍るのを感じた。
そして、日記の最後のページ。
そこには、これまでの緻密な記録とは全く違う、父親としての、一人の人間としての、切なる言葉が綴られていた。
> **【概念:愛娘ルナの誕生への喜び】**
> **【概念:彼女の健やかな成長を願う、父親としての愛情】**
> **【概念:万が一、自身に何かがあった場合の、未来への憂い】**
辺境伯の、温かい感情が、俺の冷え切った心に直接流れ込んでくる。
それは、俺がかつて持っていて、そして失ってしまった、家族への愛情そのものだった。
そして、日記は、最後の言葉で締めくくられていた。
> **【概念:最後の遺言】**
> 『これを読んでいるのが、我が愛する娘、ルナであることを願う。辛い思いをさせて、すまなかった。どうか、強く生きてくれ。そして、もしお前の隣に、信じるに足るパートナーがいるのなら……。どうか、二人で、この腐敗した国を、民を、救ってほしい。未来を、頼む』
「……っ」
俺は、スキルを解除し、荒い息をついた。
膨大な情報と、そして何より、父親の最後の想いの奔流に、精神が揺さぶられる。
「ユウキ……? 何が、書かれていたの……?」
ルナが、不安そうな顔で俺を見つめている。
俺は、どう伝えるべきか、一瞬だけ迷った。
だが、彼女には知る権利がある。そして、知った上で、前に進む義務がある。
俺は、王子派閥の悪行と、禁忌の魔道具の存在を、ありのままに伝えた。
そして、最後に。
「……それと、あんたの親父からの、遺言だ」
俺は、少しだけ言葉を選びながら、日記の最後の部分を、ゆっくりと、丁寧に、彼女に語って聞かせた。
娘の誕生を喜び、その成長を誰よりも願い、そして、未来を託す、父親の最後の言葉を。
話を聞き終えたルナの瞳から、再び涙が溢れ出した。
だが、それはもう、絶望の涙ではなかった。
父の愛情を、その意志を、確かに受け取った娘の、決意の涙だった。
「……お父様……」
彼女は、日記を強く、強く、胸に抱きしめた。
俺は、そんな彼女の姿を見ながら、自分自身に問いかける。
この国を、救う?
俺が? この、人間を信じられなくなった俺が?
馬鹿げている。
だが、隣で、父の意志を継ごうと涙する少女がいる。
俺を、信じてくれるパートナーがいる。
俺は、静かに拳を握りしめた。
アルテミス辺境伯。あんたの願い、確かに受け取った。
あんたの娘も、あんたが託したこの国も。
俺が、この手で守り抜いてやる。




