第42話:故郷の廃墟
追手の気配に怯えながらも、俺たちの旅は続いていた。
ゲオルグから受け取った地図によれば、目的地である隠れ里は、アルテミス家の旧領地を抜けた先にある。つまり、ルナの故郷を、俺たちは通らなければならなかった。
数日後。
険しい山道を越え、視界が開けた時、俺たちは息を呑んだ。
眼下に、かつては大きな街だったであろう盆地が広がっている。遠目からでも、巨大な城壁の残骸や、石造りの大きな建物の骨組みが見て取れた。
「……あれが、アルテミスの街か」
俺の呟きに、隣に立つルナは、こくりと小さく頷いた。その横顔は、緊張と、そして俺には計り知れない複雑な感情で強張っていた。
街の入り口には、半分崩れ落ちた巨大な石門が、かろうじてその形を保っていた。門の上部には、風雨に晒されながらも、三日月をモチーフにしたアルテミス家の紋章が、確かに刻まれている。
だが、門をくぐった先に広がっていたのは、死んだ街だった。
かつては多くの人々が行き交ったであろう石畳の道は、今はひび割れ、雑草が生い茂っている。道の両脇に並ぶ家々は、そのほとんどが燃え落ち、黒い炭と化した柱や壁だけが、無残な姿を晒していた。打ち捨てられた家具、割れた食器、持ち主を失った子供のおもちゃ。略奪され尽くした後の、虚しい残骸だけが、そこかしこに転がっていた。
俺は、言葉を失った。
これが、一人の人間の悪意と権力欲がもたらした、現実の光景。
俺は、隣を歩くルナの顔を見ることができなかった。彼女が今、どんな思いでこの光景を見つめているのか。それを想像するだけで、俺自身の過去の傷までが、疼き出すようだった。
ルナは、何も言わなかった。
ただ、一歩、また一歩と、ゆっくりと廃墟の中を進んでいく。その足取りは、まるで夢遊病者のように覚束ない。
彼女の脳裏には、今、二つの光景が同時に映し出されているのかもしれない。
優しい父と母、そして兄と共に笑い合った、温かい日々の記憶。
そして、その全てが、炎と血と絶叫に塗り潰された、地獄のような最後の日。
やがて、彼女の足が、ひときわ大きな屋敷の跡地で止まった。
他の建物よりも遥かに大きく、そして遥かに徹底的に破壊されている。ここが、アルテミス家の屋敷だった場所なのだろう。
ルナは、その焼け跡を、ただ呆然と見つめていた。
その小さな肩が、小刻みに震え始める。
やがて、彼女の瞳から、こらえきれなくなった涙が、ぽろり、ぽろりと地面に吸い込まれていった。
俺は、何も言えなかった。
「大丈夫か」などという陳腐な言葉は、何の慰めにもならない。
「忘れろ」などと、俺に言う資格はない。
俺にできるのは、ただ、彼女の隣に立ち、その小さな背中が崩れ落ちてしまわないように、静かに寄り添うことだけだった。
長い、長い沈黙が流れる。
風が、廃墟を吹き抜ける、悲しい音だけが聞こえていた。
やがて、ルナは、震える手で自分の涙を拭った。
そして、焼け落ちた我が家を、過去の全てを見据えるように、顔を上げた。
その瞳には、もう絶望の色はなかった。
「……でも、帰ってきた」
か細い、しかし、凛とした声。
それは、過去から逃げないと決めた、彼女の魂の叫びだった。
全てを失ったこの場所に、それでも自分の足で再び立ったという、確かな事実。
俺は、その言葉の重みに、ただ胸を打たれた。
この少女は、俺が思っているよりも、ずっと強い。
俺は、そんな彼女の隣に立つパートナーとして、恥じない男でいなければならない。
「……ああ。そうだな」
俺は、短く応えると、彼女の肩を一度だけ、強く抱いた。
「行こう。俺たちの目的地は、この先だ」
ルナは、俺の目を見て、力強く頷いた。
二人は、過去の残骸に背を向け、未来へと続く道へと、再び歩き始めた。




