第38話:信頼の重み
重い瞼を、こじ開ける。
最初に感じたのは、脇腹を焼くような鈍い痛み。そして、パチパチと爆ぜる焚き火の音と、微かな暖かさ。
「……ここは」
掠れた声が、自分のものとは思えなかった。
体を起こそうとするが、全身が鉛のように重く、ぴくりとも動かない。魔力と生命力を根こそぎ持っていかれた代償は、想像以上に大きかった。
「ユウキ……!」
すぐそばで、安堵と喜びが入り混じったような声がした。
ぼやける視界を懸命に合わせると、そこには、心配そうに俺の顔を覗き込むルナの姿があった。彼女の瞳は、涙で赤く腫れている。
状況を、理解する。
俺は、意識を失ったのか。そして、こいつにここまで運ばれ、介抱されていた、と。
「……何をしている」
俺は、反射的に低い声で言った。
人間不信が、俺の思考を支配する。他人に弱みを見せるな。他人の善意に頼るな。それは、俺がこの世界で生きるために、自分に課した鉄の掟だったはずだ。
「触るな……。自分で、できる」
突き放すための、冷たい言葉。
だが、その声はひどく弱々しく、何の威力も持たなかった。
ルナは、俺の言葉に一瞬だけ肩を震わせたが、逃げ出すことはなかった。それどころか、濡らした布を固く絞り、俺の額の汗を拭おうと手を伸ばしてくる。
やめろ。
そう言おうとした、その時だった。
朦朧とする意識の中、俺の意思とは関係なく、【概念の翻訳者】が勝手に発動した。
いつもなら、相手の悪意や打算を無機質なテキストとして叩きつけてくる、あの忌々しいスキルが。
だが、今回視界の隅に流れ込んできたデータは、これまで俺が見てきたものとは、全く異質だった。
> **【概念:対象ルナの思考】**
> **【概念:ユウキを守りたいという強い意志】**
> **【概念:彼を失うことへの恐怖】**
> **【概念:無事であったことへの純粋な安堵】**
> **【概念:自己の無力さへの悔恨と、それでも傍にいたいという願い】**
それは、悪意でも、打算でも、侮蔑でもない。
ただ、ひたすらに温かく、純粋な感情の奔流。
俺が、この世界に来てから、いや、前の世界で裏切られてから、一度も触れたことのない種類の、「データ」だった。
俺は、言葉を失った。
突き放すための言葉が、思考のどこを探しても見つからない。
俺が築き上げてきたはずの、人間不信という名の分厚い壁が、この温かいデータの前に、いとも簡単に意味をなさなくなっていく。
ルナの、小さな手が、俺の額にそっと触れた。
ひんやりとした布の感触が、熱を持った体に心地いい。彼女は、俺が何も言わないのをいいことに、今度は俺の口元に、水の入った水筒をそっと近づけてきた。
俺は、もう抵抗しなかった。
されるがままに、彼女が与える水を、少しずつ口に含む。
他人に、無防備に身を委ねる。
それは、俺が最も恐れ、拒絶してきた行為のはずだった。
だが、不思議と、不快感はなかった。
ただ、背負ってきた重い荷物を、ほんの少しだけ下ろせたような、奇妙な安らぎがあった。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
隣で、俺の呼吸を確かめるように、静かに息を潜めるルナの気配を感じながら。
信頼。
それは、裏切られることへの恐怖と、常に隣り合わせの劇薬だ。
俺は、その重みを、この温かい気配と共に、初めて受け入れようとしていた。




