第37話:弱さと、守るべき温もり
どれくらい走っただろうか。
脇腹の傷口から流れ出る血が、思考を鈍らせる。生命力を代償にした『【無名:閃光玉】』の反動で、体中の力が根こそぎ奪われていく。視界は明滅を繰り返し、足はもう、ただのもつれた糸のようだ。
「ユウキ、しっかりして!」
隣を走るルナのか細い声が、遠くに聞こえる。
ああ、そうだ。こいつを、逃がさないと。安全な場所まで。
だが、俺の体は、もう限界だった。
森を抜け、岩がちな荒れ地に出たところで、ついに俺の足は動かなくなった。膝から崩れ落ち、俺は地面に倒れ込む。
「ユウキ!」
ルナが駆け寄ってくる気配がする。
俺は、霞む意識の中で、必死に彼女の姿を目で追った。
怪我は、ないか。無事か。
その姿を認めると、張り詰めていた最後の糸が、ぷつりと切れた。
(……ああ、よかった)
そんな、俺らしくもない安堵の感情を最後に、俺の意識は、深い、深い闇の中へと沈んでいった。
---
「ユウキ! ユウキ!」
ルナは、倒れたまま動かなくなったユウキの体を、必死に揺さぶった。
だが、彼の瞼は固く閉じられたまま、ぴくりとも動かない。脇腹からは、おびただしい量の血が流れ出し、彼の周りの土を黒く染めていく。
「いや……いやっ……!」
恐怖が、ルナの心を支配した。
死んでしまう。
ユウキが、死んでしまう。
自分を「道具」と呼びながらも、いつも守ってくれた。自分のために、傷ついてくれた。自分を「相棒」と、呼んでくれた。
その彼が、今、自分のせいで死にかけている。
(どうしよう、どうしよう……!)
パニックで、涙が溢れて止まらない。
だが、その時。彼女の脳裏に、これまでの旅の日々が蘇った。
『いいか、ルナ。森で一番怖いのは、獣じゃない。体温を奪われることと、安全な水を飲めないことだ』
『傷を負ったら、まず綺麗な水で洗え。泥や汚れが一番の敵だ』
『火は、暖をとるためだけじゃない。獣を遠ざけ、心を落ち着かせる効果もある』
ぶっきらぼうな口調で、それでも、生きるための術を教えてくれたユウキの声。
そうだ。泣いている場合じゃない。
私が、ユウキを守るんだ。
ルナの瞳に、強い意志の光が宿った。
彼女は、溢れる涙を乱暴に袖で拭うと、すぐに行動を開始した。
まず、安全な場所の確保。
このままでは、追手にすぐ見つかってしまう。彼女は周囲を見回し、岩陰に隠れた小さな洞窟を見つけた。
小さな体では、ユウキを運ぶことなどできない。だが、彼女は諦めなかった。彼の体を、少しずつ、少しずつ、引きずるようにして洞窟の中へと運び込んだ。
次に、傷の手当て。
彼女は自分のワンピースの裾をためらいなく引き裂き、近くの湧き水で濡らして、ユウキの傷口の血を丁寧に拭っていく。ユウキがゴブリンの巣窟で自分にしてくれたように。
そして、残りの布で、傷口を強く圧迫するように縛り、止血を試みた。
最後に、火の確保。
ユウキがいつもやっていたように、乾いた枝と葉を集め、火打石を懸命に打ち鳴らす。何度も、何度も失敗し、指先の皮が剥けて血が滲んでも、彼女は止めなかった。
やがて、小さな火花が火口に移り、か細い炎が立ち上った時、彼女は安堵のあまりその場に座り込みそうになった。
洞窟の中に、パチパチと火の爆ぜる音が響く。
ルナは、意識のないユウキの隣に寄り添い、冷たくなっていく彼の手を、自分の小さな両手で必死に温めた。
初めてだった。
彼女が、誰かに与えられるのを待つのではなく、自らの意志で、誰かの「命」を守るために行動したのは。
それは、ひどく拙く、頼りないものだったかもしれない。
だが、洞窟の闇を照らす小さな炎のように、彼女の中には、確かな「守るべき温もり」と、それを支える強い意志が、確かに芽生えていた。




