第36話:撤退と新たな謎
「こいつは俺の相棒だ。指一本、触れさせるか」
俺が放った言葉に、シルヴィアは一瞬だけ虚を突かれたように目を細めた。だが、すぐにその表情は、獲物を見下す冷酷なものへと戻る。
「相棒、ね。面白いことを言うわ。出来損ないの勇者が、滅びゆく家の小娘と……。ままごとはそこまでよ」
シルヴィアの姿が、ふっと掻き消えた。
速い!
俺は、迫りくる殺気に全神経を集中させる。
「ユウキ、右!」
背後から、ルナの鋭い声が飛ぶ。
俺は、その言葉を信じて、体を捻りながら左へ跳んだ。瞬間、俺がさっきまで立っていた場所を、シルヴィアの短剣が薙ぎ払う。空を切る、鋭い風切り音。
「……へえ。その小娘、ただのお飾りではないのね」
シルヴィアは、感心したように、しかし温度のない声で言った。
だが、休む暇はない。彼女は再び姿を消し、森の闇に溶け込む。
魔力は枯渇寸前。結界を破った代償で、頭がガンガンと痛む。体は鉛のように重く、思考が霞んでいく。
それでも、俺は倒れるわけにはいかなかった。
「左、低い位置!」
「今度は上から!」
ルナの声が、俺の命綱だった。
彼女の「目」と「耳」が、人智を超えたエルフの動きを、必死に捉えようとしている。俺は、その言葉だけを頼りに、泥臭く攻撃を避け、あるいは弾き、必死に食らいついていた。
だが、実力差は歴然だった。
『影の猟犬』。その名は伊達ではない。
俺の防御の隙間を縫うように、シルヴィアの短剣が閃いた。
「ぐっ……!」
脇腹に、焼けるような激痛が走る。浅いが、確実に肉を裂かれた。傷口から、どっと血が流れ出すのが分かる。
「ユウキ!」
ルナの悲鳴が響く。
俺の動きが、一瞬だけ鈍った。
その致命的な隙を、シルヴィアが見逃すはずがない。彼女は、俺の心臓を正確に狙って、最後の一撃を繰り出してきた。
(……ここまで、か)
死を覚悟した、その時。
俺の脳裏に、一つの活路が閃いた。最後の賭けだ。
俺は、残った最後の魔力を振り絞り、【無名のスキルメーカー】を絶叫するように起動させた。
(「概念:光」と「概念:爆発」を組み合わせろ!)
> **【合成中…】**
> **【警告:魔力が不足しています。術者の生命力を代償にスキルを生成します】**
> **【生成完了:『【無名:閃光玉 Lv.1】』】**
> 説明:強烈な光と音を放ち、周囲の生物の視覚と聴覚を一時的に麻痺させる。
生命力を代償に? 関係あるか!
俺は、迫りくるシルヴィアの短剣の切っ先に向かって、生成したばかりのスキルを叩きつけた。
「――光に、沈め!」
瞬間。
世界が、白く染まった。
鼓膜を突き破るような爆音と共に、太陽が目の前で爆発したかのような閃光が、森全体を包み込む。
「きゃあっ!?」
シルヴィアの、初めて聞く苦悶の声。強烈な光は、闇に生きるエルフの目には、毒以外の何物でもなかっただろう。
「ルナ、走れ!」
俺は、視界が白く染まる中、手探りでルナの手を掴むと、ありったけの力で森の奥へと駆け出した。
脇腹の傷が開き、激痛が全身を貫く。だが、今は構っていられない。
俺たちが闇に消えていく、その背中に向かって。
目が眩み、膝をついたシルヴィアが、忌々しげに、そしてどこか不可解そうに呟く声が、微かに聞こえた。
「なぜ……“出来損ないの勇者”が、アルテミス家の小娘と……? あの力は、一体……」
その言葉は、逃走する俺の意識に、新たな、そしてより深い謎となって突き刺さった。
出来損ないの勇者。
なぜ、こいつが俺の正体を知っている?
王城で俺を断罪した、あの場にいた者しか知らないはずの情報。
誰かが、漏らしたのか?
王族か。それとも、あの時一緒に召喚された、他の勇者か。
新たな敵。そして、味方の中に潜むかもしれない、裏切り者の影。
俺たちの逃亡は、終わりが見えない、さらなる混沌の中へと続いていく。




