第35話:相棒の価値
「ルナァァァッ!」
俺の叫びは、無慈悲な結界に阻まれて届かない。
壁の向こう側で、小さな背中が必死に森の闇へと逃げていく。それを、銀髪の悪魔が、まるで狩りを楽しむかのように、優雅に、しかし確実に追い詰めていく。
クソッ、クソッ、クソッ!
俺は怒りに任せて、何度も不可視の壁を殴りつけた。だが、魔力で構成された壁は、俺の物理攻撃をあざ笑うかのように、びくともしない。
焦りが、心臓を鷲掴みにする。
このままでは、ルナが殺される。
(冷静になれ……! スキルを使え!)
俺は、燃え上がりそうな思考を無理やり抑えつけ、【無名のスキルメーカー】を発動させた。
この結界は、魔力で出来ている。ならば、その構造に直接干渉すればいい。
(「概念:魔力」と「概念:分解」を組み合わせろ!)
> **【合成中…】**
> **【警告:高密度な魔力構造への干渉は、術者に多大な負荷を与えます】**
> **【生成完了:『【無名:魔力構造分解(初級)】』】**
> 説明:対象の魔力構造に干渉し、強制的に分解する。
警告文が視界に表示されるが、今の俺に躊躇している暇はなかった。
俺は生成したばかりのスキルを右手に集束させ、目の前の壁に叩きつけた。
「――ぐっ、ぁあああああっ!」
スキルが発動した瞬間、体中の魔力が、まるで掃除機に吸い込まれるかのように、ごっそりと持っていかれる。激しい頭痛と目眩が俺を襲う。
だが、その代償は、確かに結果となって現れた。
俺が叩きつけた場所を中心に、空間に亀裂が走る。そして、ガラスが砕け散るような甲高い音と共に、結界の一部が粉々に砕け散った。
俺は、ふらつく体に鞭を打ち、結界の穴を抜け、森の奥へと全力で駆け出した。
ルナが逃げた方向へ。彼女が残した、微かな気配だけを頼りに。
木々をなぎ倒すように走りながら、俺の心を支配していたのは、焦りや怒りだけではなかった。
それは、もっと原始的で、そして俺が最も恐れていた感情。
――恐怖。
ルナを失うことへの、明確な恐怖だった。
いつの間にか、彼女は俺の中で、ただの「道具」ではなくなっていた。
壊れても心が痛まないはずの、安物のガラクタではなかった。
生意気にも俺に意見し、俺のために涙を流し、そして、俺の背中を守ってくれた、かけがえのない存在。
そうだ。
俺は、怖いのだ。
再び、信じたものを、大切に思ったものを、目の前で失うことが。
あの、全てを奪われた日の絶望が、すぐそこまで迫っている。
(……だが、もう同じじゃない)
前の世界では、俺はただ奪われるだけだった。
だが、今は違う。俺には、この手で運命に抗う力がある。
――守る。
誰かを守るなど、反吐が出ると思っていた。
だが、今は、心の底からそう思える。
あいつは、俺の相棒だ。
俺が、守り抜くと決めた、たった一人の人間だ。
思考が定まった瞬間、森の奥から、甲高い金属音が響いた。
開けた場所に出ると、そこには、木の根に足を取られて倒れ込むルナと、その喉元に冷たい短剣を突きつけようとするシルヴィアの姿があった。
「――終わりよ」
シルヴィアの無慈悲な宣告が、森の静寂に響く。
「――させるかぁっ!」
俺は、最後の力を振り絞り、地面を蹴った。
シルヴィアが振り下ろす短剣と、ルナの白い首筋との間に、俺は滑り込むように割り込む。
ガキンッ!
俺の短剣が、シルヴィアの一撃を、火花を散らしながら弾き返した。
シルヴィアの冷酷な瞳が、驚きに見開かれる。
「ユウキ……!」
背後から、ルナの安堵と驚きに満ちた声が聞こえた。
俺は、ルナを背にかばうように立ち、短剣を構え、目の前の銀髪の狩人を睨みつけた。
魔力は枯渇寸前。体は鉛のように重い。それでも、俺の心は、不思議なほどに澄み渡っていた。
「……驚いたわ。あの結界を、力技で破ってくるなんて。あなた、何者?」
シルヴィアが、初めて興味深そうな目で俺を見る。
俺は、その問いには答えず、ただ、揺るぎない意志を込めて、言い放った。
「こいつは俺の相棒だ。指一本、触れさせるか」
それは、俺が初めて、誰かを守るために、明確に発した誓いの言葉だった。




