第31話:新たな目的地
反撃の、狼煙。
ゲオルグが口にしたその言葉が、俺の心の奥底で燻っていた何かに、火をつけた。
ただ逃げるだけじゃない。追われ、怯え、息を潜めて生きるだけじゃない。
この不条理な運命に、一矢報いることができるかもしれない。
だが、俺の心の半分は、依然として冷え切っていた。
人間は裏切る。善意の仮面を被って近づき、最も油断した瞬間に牙を剥く。この老商人が、その例外である保証はどこにもない。隠れ里も、遺産も、全ては俺たちを誘い込むための罠かもしれない。
「……信じられるとでも?」
俺は、心の疑念を隠さずに、ゲオルグを睨みつけた。
俺の猜疑心に満ちた視線を受けても、ゲオルグの瞳は揺らがなかった。彼はただ、悲しそうに、しかし真っ直ぐに俺を見つめ返している。
(……こいつの腹の内を、読んでやる)
俺は、意識を集中させ、【概念の翻訳者】を発動させた。
ゲオルグの言葉、表情、その存在そのものから発せられる「概念」を、無機質なデータへと変換する。
視界の隅に、テキストの羅列が流れ込んできた。
> **【概念:対象ゲオルグの思考】**
> **【概念:アルテミス家への揺るぎない忠誠心】**
> **【概念:唯一の生き残りであるルナ様を救いたいという純粋な願い】**
> **【概念:辺境伯の遺志を継ぎ、反撃の機会を創出したいという希望】**
> **【概念:ユウキへの警戒心と、同時にルナ様を託すしかないという信頼】**
> **【概念:提示した情報に一切の虚偽なし】**
……嘘は、ない。
スキルが弾き出した無慈悲な「事実」が、俺の疑念を根底から覆す。
この老人は、本当に、ただ純粋な善意と忠誠心だけで動いている。
俺は、混乱した。
人間不信の俺にとって、それは最も理解しがたく、そして最も受け入れがたい結論だった。
だが、スキルが示すデータは絶対だ。俺は、この老人を信じるしかない。
「……遺産が、王子派閥の不正の証拠とは限らん。ただのガラクタかもしれないぞ」
俺は、最後の抵抗のように、そう言った。
「それでも、です」
ゲオルグは、力強く答えた。
「辺境伯様が残されたものに、無価値なものなどございません。それは、絶望の闇を照らす、一筋の光になるはずです」
一筋の光。
その言葉が、俺の胸に重く響いた。
俺は、隣に立つルナに視線を移した。彼女は、ゲオルグが広げた地図――彼女の故郷へと続く道を、じっと見つめている。その瞳に宿るのは、恐怖か、それとも……。
俺は、決断した。
このまま逃げ続けても、いずれは追い詰められる。ならば、たとえ僅かな可能性であろうと、反撃の芽に賭けるべきだ。
それに、この少女を、ただ怯えさせておくだけの旅は、もう終わりにしたい。
「……分かった。あんたの申し出、受け入れよう」
俺がそう言うと、ゲオルグの顔が、ぱっと安堵に輝いた。
「おお……! ありがとうございます、ユウキ殿!」
「礼を言うのはまだ早い。罠だったら、あんたを殺してから死んでやる」
俺は憎まれ口を叩きながら、ゲオルグが広げた地図を受け取った。
「隠れ里への道筋は、この地図に。里の者に、この紋章を見せれば、話を聞いてくれるはずです」
ゲオルグは、アルテミス家の紋章が刻まれた小さなペンダントを俺に手渡した。
「ユウキ……」
ルナが、俺の服の袖を、そっと掴んだ。見上げると、彼女の瞳には、不安と、そしてそれ以上に強い意志の光が宿っていた。
「ああ。行くぞ」
俺は、彼女の頭に一度だけ、無骨に手を置いた。
新たな目的地は、決まった。
アルテミス家の旧領地の先にある、隠れ里。
そして、そこに眠るという、反撃の狼煙。
これはもう、ただの逃亡じゃない。
奪われたものを取り戻し、俺たちを絶望の淵に突き落とした者たちに報いるための、戦いの旅だ。
俺は、隣に立つ「相棒」と共に、新たな決意を胸に、夜明け前の闇の中へと踏み出す準備を始めた。




