第29話:迫る脅威と決断
宿への帰り道、俺たちの間には重い沈黙が流れていた。
街道で遭遇した、アークライト王国の騎士たち。奴らが追っているのが、俺ではなくルナだったという事実が、鉛のように俺の思考を鈍らせる。
部屋に戻っても、ルナはまだ小刻みに震えていた。無理もない。彼女にとっては、家族を奪った憎むべき相手。その追手が、自分を捕らえるためにすぐそこまで迫っているのだ。
「クソッ……!」
俺は、壁を殴りつけたい衝動を必死にこらえた。
俺一人の逃亡劇なら、まだどうとでもなった。だが、ルナが標的となれば話は別だ。彼女の銀髪は、あまりにも目立ちすぎる。このザラームに、いつまでも隠れ潜んでいられる保証はない。
(……情報を集めるのが先だ)
俺は、震えるルナの肩に無言で毛布をかけると、一人で部屋を出た。向かう先は、情報屋グレイの元だ。
「よう、旦那。偵察任務、ご苦労さん。で、今日は何の用だい?」
『黒猫の尻尾』の個室で、グレイはいつものようにニヤニヤしながら俺を迎えた。
「単刀直入に聞く。アークライト王国が、ザラーム近辺に騎士を送り込んでいる。奴らの目的は何だ?」
俺の言葉に、グレイの目が細められる。
「へえ……。そいつはまた、物騒な話だな。あんた、何でそんなことを?」
「いいから答えろ。金は払う。あんたが持っている情報を全て買いたい」
俺は、懐から金貨を数枚取り出し、テーブルの上に置いた。俺の必死な様子から、ただ事ではないと察したのだろう。グレイは金の匂いを嗅ぎつけたように、口の端を吊り上げた。
「金払いがいい客は好きだぜ。だが、王国の内情を探るとなると、こっちもリスクがある。金貨十枚。それで、俺の知る全てを教えてやる」
足元を見られたものだ。だが、今の俺に交渉している時間はない。
「……分かった。払う」
俺が即答すると、グレイは満足げに頷き、声を潜めて語り始めた。
「あんたが見たって騎士団は、おそらく王子直属の精鋭部隊、『影の猟犬』だろうな。表向きは王国の治安維持部隊だが、その実態は、王子の意にそぐわない者を秘密裏に『処理』するための暗殺部隊だ」
影の猟犬。その禍々しい響きに、俺は眉をひそめた。
「奴らの任務達成率は、異常なほど高い。一度狙われたら、地の果てまで追いかけてくると言われている。そして、奴らが今、躍起になって探しているのが……『アルテミス家の生き残り』らしい」
グレイの視線が、俺を射抜くように見つめる。
「旦那。あんたが連れてる、あの銀髪の嬢ちゃん……。まさかとは思うが」
俺は、答えなかった。だが、沈黙が何よりの肯定だと、グレイには伝わっただろう。
彼は、やれやれと肩をすくめた。
「とんでもないお姫様を拾ったもんだな、あんたも。忠告しといてやる。奴らは、すでにザラームにも複数の密偵を放ってる。この街も、もはや安全じゃないぜ」
その言葉は、俺の決断を決定的なものにした。
俺はグレイに情報料を支払うと、すぐに宿へととんぼ返りした。
部屋に戻ると、ルナが不安そうな顔で俺を待っていた。
俺は、そんな彼女の目を見て、はっきりと告げる。
「ルナ。この街を出る」
彼女の瞳が、わずかに見開かれる。
「……追手が?」
「ああ。俺たちを追っているのは、王子直属の暗殺部隊だ。この街にも、すでに奴らの息がかかっている。ここに留まるのは危険すぎる」
俺は、手早く荷物をまとめ始めた。食料、水、最低限の着替え。いつでも動けるように、常に準備はしていた。
ルナは、そんな俺の様子を黙って見ていたが、やがて、彼女も自分の小さな荷物をまとめ始めた。その手つきに、もう迷いはなかった。
「……どこへ、行くの?」
「まだ決めてない。だが、どこへ行こうと、奴らは追ってくるだろう。しばらくは、身を隠しながらの逃亡生活になる」
それは、これまで以上に過酷な旅になるという宣告だった。
だが、ルナは怯まなかった。彼女は、荷物をまとめ終えると、俺の前に立ち、まっすぐな瞳で俺を見つめて言った。
「ユウキと、一緒に行く」
その短い言葉に込められた、絶対的な信頼。
俺は、その瞳から目を逸らすことなく、強く頷いた。
「ああ。一緒に行くぞ」
守る? 馬鹿げている。
だが、この手を取ってしまった以上、もう離す気はなかった。
俺は、新たな、そしてより危険な逃亡の始まりを前に、覚悟を決めていた。




