第2話:地下牢からの脱出
騎士たちに乱暴に突き飛ばされ、俺は冷たい石の床に転がった。背後で重い鉄格子が閉まる、無慈悲な音が響き渡る。
「せいぜい、そこで己の無能を呪うがいい」
嘲るような言葉を最後に、足音は遠ざかっていった。カビと汚泥の匂いが混じり合う、じめじめとした地下牢。壁からは絶えず水が滴り、俺の体温を容赦なく奪っていく。
絶望? 怒り?
そんな感情は、とうの昔に枯れ果てた。俺の心にあったのは、ただ凍てつくような冷たさだけだ。
(やはり、こうなったか)
【概念の翻訳者】が示した通り、俺は「生贄」として捨てられた。あの王族どもは、魔王への恐怖を民から逸らすため、定期的に「出来損ないの勇者」を処刑という名のショーに利用しているのだろう。
死ぬのは構わない。だが、他人の都合で、見世物のように殺されるのは気分が悪い。生きるにせよ死ぬにせよ、その選択権は俺が持つべきだ。
俺はゆっくりと体を起こし、思考を巡らせた。
まず、現状の確認だ。俺は意識を集中させ、再びステータスウィンドウを開いた。
> スキル:
> **【概念の翻訳者】**
> **【無名のスキルメーカー】**
【概念の翻訳者】は、他人の悪意を可視化するだけの、受動的なスキル。脱出には役に立ちそうにない。
問題は、もう一つの【無名のスキルメーカー】だ。ステータス画面では「無名」としか表示されなかったが、一体どんな能力なんだ?
俺がそのスキルに意識を向けると、ウィンドウに新たな表示が浮かび上がった。
> **【無名のスキルメーカー】**
> 説明:既存のスキル、または概念を組み合わせ、新たな【無名】スキルを生成する。
>
> 組み合わせ可能リスト:
> ・既存:隠密 Lv.1
> ・既存:風魔法の微風
> ・既存:短距離走
> ・既存:疲労回復の微弱
> ……etc.
(なるほど。スキルを自作する能力か)
リストには、俺が知っている、あるいは無意識に認識しているであろう基本的な概念が並んでいる。どれも単体では役に立たない、地味なものばかりだ。だが、組み合わせることで化けるかもしれない。
俺は試してみることにした。
まず、この牢から出るには、見張りの兵士に気づかれずに移動する必要がある。
(「隠密」と「風魔法の微風」を組み合わせる)
> **【合成中…】**
> **【生成完了:『【無名:足音消失 Lv.1】』】**
> 説明:風の衣を足元に纏わせ、歩行時の音を完全に消失させる。
これだ。
次に、長い通路を駆け抜けるためのスキルも欲しい。
(「短距離走」と「疲労回復の微弱」を組み合わせる)
> **【合成中…】**
> **【生成完了:『【無名:一時の疾走 Lv.1】』】**
> 説明:短距離を全力疾走する際の、身体的負荷を一時的に軽減する。
地味だが、確実なスキルだ。派手な攻撃魔法や剣技より、今の俺にはよほど価値がある。
俺は鉄格子の鍵穴に、食事用の皿の破片をねじ込み、時間をかけてピッキングを試みた。幸い、牢の鍵は単純な構造だったらしい。やがて、ガチリ、と小さな音を立てて錠が外れた。
俺は即座に『【無名:足音消失】』を発動させる。足元にふわりと軽い風が纏わりつく感覚。一歩踏み出しても、何の音もしない。
通路では、二人の兵士が退屈そうに槍を構えていた。俺は壁の影に身を潜め、息を殺してその横を通り過ぎる。兵士たちは、俺の存在に全く気づく様子はない。
心臓は、不思議なほど静かだった。恐怖も高揚もない。ただ、目的を遂行するための機械のように、俺の体は動いていた。
城の中庭に出ると、月明かりが俺の姿を照らした。ここを抜ければ外壁だ。見張りが交代する、ほんの数秒の隙を狙う。
「――今だ」
俺は『【無名:一時の疾走】』を発動し、一気に駆け抜けた。まるで体が軽くなったかのように、驚くほどの速度で中庭を横断する。
外壁によじ登り、眼下に広がる王都の夜景を見下ろした。俺は一度だけ王城を振り返り、冷たく言い放つ。
「せいぜい、俺という『生贄』を失ったことを呪うがいい」
誰にも知られることなく、一人の勇者が消えた。
生き延びる。ただそれだけを胸に刻み、俺は闇の中へと姿を消した。




