第26話:見えない脅威
盗賊団のアジトは、ごつごつとした岩が連なる丘陵地帯の、巧妙に隠された洞窟にあった。
俺は『【無名:足音消失】』を発動させ、音もなくアジトへと潜入する。俺の数歩後ろを、ルナが緊張した面持ちでついてきていた。彼女には、俺が付与した『【無名:聴覚強化】』と『【無名:気配察知(微弱)】』が機能しているはずだ。
洞窟の入り口には、見張りが二人。俺は物陰から小石を投げて陽動し、奴らが気を取られた隙に背後から音もなく仕留めた。ここまでは、ゴブリンの巣窟の時と同じだ。
だが、今回は一人ではない。
俺は、背後のルナにだけ聞こえるように、囁き声で指示を出す。
「……よし。中に入るぞ。俺は前方に集中する。お前は、後ろと横を頼む」
「……うん」
ルナが、か細く、しかし確かな声で頷いた。
洞窟内部は、薄暗く湿った空気が漂っていた。俺は『【無名:微光】』を左手に灯し、慎重に歩を進める。
しばらく進むと、通路の床に、巧妙に木の葉で隠されたワイヤーが張られているのを見つけた。斥候が仕掛けた、侵入者を知らせるための罠だろう。
「……待て」
俺はルナを手で制し、その場に屈み込んだ。ワイヤーに意識を集中させ、その構造を分析する。これを無効化しなければ、奥にいる連中にこちらの存在がバレてしまう。
俺の意識は、完全に目の前の罠に注がれていた。
どうすれば、音を立てずにこのワイヤーを切断できるか。あるいは、迂回できるルートはないか。
思考に没頭する俺は、自分の背後で起こっている変化に、全く気づいていなかった。
ルナは、俺の指示通り、周囲の警戒に全神経を集中させていた。
スキルによって強化された聴覚が、洞窟内に反響する水滴の音、遠くで聞こえる盗賊たちの話し声、そして俺の呼吸音を拾い上げる。
だが、それらとは明らかに違う、異質な「何か」を、彼女の感覚は捉え始めていた。
(……何か、いる)
それは、音ではない。
肌が粟立つような、不快な感覚。
『【無名:気配察知(微弱)』が、明確な「殺意」として彼女に警告を発していた。
すぐ、近く。
俺の、真後ろから。
ルナが恐る恐る視線を向けると、通路の曲がり角から、一人の盗賊が音もなく姿を現すのが見えた。猫のような足取りで、短剣を逆手に持ち、罠に集中する俺の背中に、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
まずい。
知らせないと。
ユウキが、殺される。
ゴブリンの巣窟での記憶が、悪夢のように蘇る。
恐怖で、喉が張り付いたように声が出ない。体が、石になったように動かない。
(だめ……!)
だが、彼女はもう、ただ守られるだけの存在ではなかった。
俺の「目」と「耳」になる。そう、約束したのだから。
ルナは、恐怖を振り絞るように、乾いた唇を必死に動かした。
そして、彼女の口から、今まで出したことのないほど、はっきりとした声が迸った。
「――うしろっ!」
その切羽詰まった叫び声に、俺の体は思考よりも早く反応した。
罠の解除を中断し、考えるより先に、その場で体を捻りながら前方へ転がる。
瞬間。
俺がさっきまでいた場所を、鈍い銀色の光が通り過ぎた。盗賊が振り下ろした短剣の切っ先が、俺の鼻先をかすめる。もし、ルナの声がコンマ一秒でも遅れていたら、俺の首は胴体から離れていたに違いない。
俺は体勢を立て直しながら、背後で息を呑むルナを見た。
彼女は、恐怖で顔を青くしながらも、確かに俺に危険を知らせたのだ。
初めて、彼女は「相棒」として、その役割を果たした。
俺の心に、驚きと、そして今まで感じたことのない種類の熱い信頼感が、こみ上げてくるのを感じていた。




