第15話:語られる冤罪
「……人違いだ」
俺は、ほとんど反射的にそう答えていた。老商人の言葉が引き起こした動揺を、冷たい無関心で塗り潰そうとする。だが、俺の腕の中で震えるルナの存在が、その嘘を無力なものにしていた。
「いえ、間違いございません。その白銀の髪は、アルテミス辺境伯家の血を引く者だけの証……」
老商人の目には、涙さえ浮かんでいる。市場の往来でこれ以上話すのはまずい。俺がそう判断するより早く、老商人が周囲を気にするように声を潜めた。
「どうか、奥へ。詳しいお話を伺いたい。決して、悪いようにはいたしませんので」
その必死な様子に、俺は黙って頷いた。老商人に導かれるまま、俺たちは露店の奥にある小さな事務所へと通される。古いが手入れの行き届いた室内には、上質な織物の匂いが満ちていた。
「お見苦しいところを……。私は、ゲオルグと申します。かつて、アルテミス辺境伯様のもとで、商隊を任されておりました」
ゲオルグと名乗った老人は、深々と頭を下げた。そして、ルナに向き直り、まるで宝物を見るかのような目で、しかし痛ましげに表情を歪ませる。
「ああ、ルナ様……。まさか、このような場所で、このようなお姿で再会することになろうとは……」
俺は、黙って話の続きを待った。この状況は、俺の理解を完全に超えている。道具として買ったはずの少女が、元貴族どころか、辺境伯の令嬢?
ゲオルグは、震える声で語り始めた。
「ルナ様のお父上、アルテミス辺境伯は、民を愛する、それはそれは立派な方でした。しかし、その実直さゆえに、王家の中枢……特に、第一王子の派閥に疎まれていたのです」
第一王子。俺を「出来損ない」と断じ、地下牢へ送るよう進言した、あの金髪の男だ。
「辺境伯様は、王子派閥が不正に蓄財し、その資金を魔道具の研究に注ぎ込んでいるという確かな証拠を掴まれました。そして、それを国王陛下に直訴しようとなされたのです。……それが、全ての悲劇の始まりでした」
ゲオルグの言葉に、俺の心臓が嫌な音を立てて脈打つのを感じた。
不正の告発。それは、俺が前の世界で経験した状況と、あまりに似すぎていた。
「王子派閥は、辺境伯様が動く前に、先手を打ちました。彼らは偽りの証拠を捏造し、辺境伯様が『魔王軍と内通し、王国の転覆を企てた』と、国王に讒言したのです」
濡れ衣。
その言葉が、鋭い棘のように俺の胸に突き刺さる。
「信じられないことに、国王陛下はその言葉を信じ、アルテミス家は一夜にして反逆者の烙印を押されました。辺境伯様と奥方様、そしてご子息は、ルナ様の目の前で処刑され……財産は全て没収。アルテミス家は、歴史から完全に抹消されたのです」
ゲオルグは、そこまで語ると、嗚咽を漏らして言葉を詰まらせた。
俺は、何も言えなかった。
頭の中で、自分の過去が鮮明にフラッシュバックする。
親友だと思っていた斎藤の裏切り。捏造された書類の山。俺を極悪人のように書き立てたメディア。軽蔑の目で俺を見た恋人。「世間に顔向けできない」となじった父親。
――結局、この世界でも同じじゃないか。
信じたものに裏切られ、全てを奪われる。無力な正義は、権力者の都合のいい嘘によって、いとも簡単に踏み潰される。
俺は、隣に立つルナを見た。
彼女は、ゲオルグの話を聞きながら、ただ小さく震え続けている。目の前で家族が殺される光景を見て、心を閉ざした。喋れなくなったのも、感情を失ったのも、全てがその絶望からだったのか。
これは、ただの「データ」ではない。
俺が経験した地獄と、全く同じ痛みを伴う、生々しい「現実」だ。
憐れみ? 同情?
違う。もっと黒く、重い感情が、俺の腹の底で渦を巻いていた。
それは、自分自身の過去に向けられたものと同じ、やり場のない怒りと、そして――激しい動揺だった。




