プロローグ:失われた光
光があった。
つい数ヶ月前まで、俺の人生は間違いなく光に満ち溢れていた。
プロジェクトリーダーとして成功させた新規事業。仲間からの信頼。上司からの高い評価。そして、隣で笑ってくれる最愛の恋人。親友と呼べる同僚とは、互いの成功を祝い、未来を語り合った。
世界は俺のために回っている。本気でそう思えるほど、何もかもが順調だった。手に入れたばかりの少し広いマンションの窓から見える夜景は、まるで俺の未来そのものを祝福しているかのように輝いていた。
そう、全ては輝いていたのだ。あの男――俺が唯一無二の親友だと信じていた、斎藤の手によって全てが黒く塗り潰される、その日までは。
「会社の機密情報を競合他社に横流しした疑いがある」
役員会議室に呼び出された俺は、突きつけられた言葉の意味が理解できなかった。目の前には、見たこともないデータと、俺の捺印が押された偽造書類の山。そして、憔悴しきった顔で「悠希がやったんです。俺は止めようとしたんですが……」と俯く斎藤の姿があった。
頭が真っ白になった。何を言っても、誰も信じない。俺が築き上げてきた信頼は、たった一人の裏切りによって、砂の城よりも脆く崩れ去った。
会社を懲戒解雇され、事態は終わらなかった。メディアがこの「若きエリートの転落劇」に飛びついたのだ。面白おかしく脚色された記事がネットを駆け巡り、俺の顔と名前は、瞬く間に日本中の誰もが知る「極悪人」のそれになった。
「信じてるって、言ってくれたじゃないか!」
恋人にすがりついた俺に返ってきたのは、軽蔑に満ちた冷たい視線だった。
「もう連絡してこないで。あなたの顔も見たくない」
ドアが閉まる音は、俺の世界が終わった音だった。
実家に電話をかけても、母親はただ泣くだけで、父親は「世間に顔向けできない」と俺をなじった。誰も、俺の言葉を聞こうとはしなかった。信じてほしかった人たち全員が、俺に背を向けた。
人間は、信じるに値しない。
期待すれば、裏切られる。
愛せば、捨てられる。
築き上げたものは、いつだって他人によって簡単に壊される。
半年後。俺は、日も差さない安アパートの一室で、ただ息をしていた。貯金は底をつき、食事は一日一回、コンビニの安いパンをかじるだけ。かつての光はもうどこにもなく、あるのはただ、人間という存在そのものへの底なしの絶望と、どす黒い憎悪だけだった。
もう、どうでもいい。
何もかも、終わってしまえばいい。
そんな思考が頭を支配した、その時だった。
――パァッ!
何の前触れもなく、六畳一間の安アパートが、目を灼くほどの白い光に包まれた。
「な……んだ……?」
死ぬのか。まあ、それもいいか。どうせ、この世界に未練など欠片もない。
意識が急速に薄れていく。まるで深い眠りに落ちるかのように、体の感覚が消えていく。その、最後の瞬間に。俺の心に、一つの願いが皮肉のように浮かび上がった。
(――ああ、もし神様がいるのなら)
もう、誰も信じなくていい。
誰も愛さなくていい。
誰にも裏切られない。
(そんな世界へ、行かせてくれ)
それが、俺の最後の記憶だった。
眩い光の中で、俺――黒崎悠希の意識は、完全に闇へと落ちた。
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