前編
戯言士さまからいただいたお題『朝起きたら人魚になっていた』で書きます
1
魔法で動く階段に乗って、私が雲の上へ昇って行くと、小鹿が遊んでいそうな森がありました。そこにただ一人、空の色を映すようなベンチに座っていた麗しい男性が、私を見ると立ち上がり、私の名前を呼びました。
「……フレデリカさん」
アルヴィン様が私をお呼び出しになった理由に、私は心当たりがありませんでした。
私たちは確かに『婚約』という関係を結んでおります。でも、それはあくまでも家同士を結びつけるための結婚。二人のあいだに『愛』などというものはありません。
何を言われるのだろう、と内心少し不安になりながら彼の空中庭園へ赴くと、一層わけがわからなくなりました。
金髪碧眼の美しい伯爵令息さまは、私を見るなり思いつめたようなその顔をお上げになり、恋のような溜め息を吐くと、唐突に謝罪の言葉を申されたのです。
「フレデリカさん……。私は貴女に謝罪しなければならない。婚約を破棄されても仕方がないことをしてしまった」
「何を仰っているのか……」
わけがわかりませんでしたけど、私は彼に気を軽くしてもらおうと、にっこり微笑んでみせました。
「さっぱりわかりませんわ。どういうお話ですの?」
すると彼は──アルヴィン・アルムヘルト・フォン・フェルセンさまは、私の目をまっすぐに見つめて、仰いました。
「ある朝、目覚めた時、それは突然に、私は恋をしてしまったのです」
私は思わず、まばたきを忘れました。
だって、この方は恋をしないひとです。常に冷静沈着、感情を理性の奥にしまい込む学者のような方。
その彼が「恋をした」と仰るなんて。
……相手は、誰?
もしかして……私? いえいえそれなら謝罪なんてしませんわよね?
そんな疑問が口をつくより早く、彼は私を誘いました。
「私の『秘密基地』へ来てください。どうしても、貴女に見てほしいものがある」
====
雲の中ほどにある森を抜け、私たちはある場所へ降りました。
木々のあいだ、光が柔らかく射す緑の地面の中央に、白い小屋がありました。氷でできたように見えるのに、近づいても冷たくない、不思議な質感の建物でした。
「ここが……あなたの、秘密の場所?」
「ええ。誰にも話していません。私たちだけの秘密にしていただけますか」
私は私の婚約者の秘密を知れて、嬉しい気持ちになりました。
二人のあいだに愛はないと思ってはいますが、それだからといって、私は彼のことをけっして悪くは思っていなかったのです。
氷のような色の壁を触ると、それは見た目だけで、やはり冷たくはありませんでした。
「これは……、アルヴィンさまが魔法でお創りになったの?」
「ええ、そうです。私の『創成魔法』で──」
彼が創成魔法を使えることは、彼から聞かされるまでもなく、以前から知っていました。
彼はこのスヴェリア王国きっての天才と呼ばれ、生命のあるもの以外ならなんでも創れるという噂でしたから──
「素晴らしいわ。こんな、人が住めるような建物まで創れるなんて……」
「氷を模していますが、素材は魔力です。言わば私の妄想が形になったようなものですよ」
そう仰ってアルヴィンさまが恥ずかしそうに笑います。
『素晴らしく趣味のよいものを創り出せるひと』──私の彼への興味はそれだけでした。あとはその美しい容姿と、内気でお優しいところに好意はもっておりましたけれど──
彼が私に興味がないことはわかっていました。彼よりも身分の高い、侯爵令嬢というだけの、何の取り柄も魅力もない女であることは自覚しています。
結婚したら、作った子どもを乳母に任せて、それぞれの趣味に没頭する夫婦になるのだろうと思っていました。彼は創生魔法の研究に、私は好きな小説を読み耽ることに──
私たちは互いに干渉しない、『オタク夫婦』になるのだろうと──
彼が恋してしまったという女性は、その小屋の中にいるという話でした。
「きっとフレデリカさんも好きになりますよ」
そんなわけのわからないことをまた言いながら、アルヴィンさまが扉を開けました。
部屋の中心に、ふつうならそんなところにあるはずもないものがあるのを私は見ました。井戸のような、プールのような、丸くくり抜かれた大理石の穴の中に、水が湛えられています。水は深く青く、まるでちいさな海のようでした。
「ミカ」
アルヴィンさまが、その名を呼びました。
「顔を見せておくれ」
こぽこぽこぽ……と、水の底のほうから何かが浮き上がってくる音がします。すぐにそれは、ぴちゃん! とかわいい音を立てて、顔を現しました。
私は思わず笑顔になり、両手を口に当て、甲高い声をあげてしまいました。
水の中から顔を出したのは、長い巻き毛の、とてもかわいらしい少女だったのです。
髪色はまるで虹のようでした。青や緑、ピンクといったさまざまな色が、艶を浮かべて混じり合っています。輝くような笑顔が、アルヴィンさまを見て浮かび、私に気づいて引っ込みました。
彼が優しい声を、少女にかけます。
「大丈夫だよ、ミカ。このひとは私の友達だ。怖がらなくていい」
すると少女がもう一度私を見て、恥ずかしそうに、にこっと笑ってくれました。
「かわいい!」
私は口が止まらなくなりました。
「かわいい! かわいい! ヒー! かわいい! この子は一体、誰ですの? かわいすぎますっ!」
「ミカ、と名づけました」
アルヴィンさまが仰います。
「ある朝、目覚めたとき……海の夢を見たんです」
「海の……夢を?」
「そこから現れたのです。私の魔法ではありません。私が呼んだわけでもない。けれど確かに、あの子はここにいた」
彼の言葉が理解できませんでした。
魔法でも召喚でもない? ならば、この子は──。
「おいで」
アルヴィンさまが腕を広げると、少女がピンク色の口をおおきく開けて、嬉しそうに笑いました。
そして跳ねるように水から飛び出すと、全身が露わになりました。ちいさな胸は真珠貝のような色の衣で隠され、その下半身は、虹色をした魚でした。
人魚だ!
人魚といえば──
人魚を抱くアルヴィンさまに、私は己の知識の中から、学んだ限りの情報を突きつけました、逃げるように腰を引いてしまいながら──
「人魚って……モンスターですわよね? ……人を誑し、嵐を起こし、船を沈めるという……。その少女は、そんなモンスターの子どもなのでは……?」
「そんなものに見えますか?」
アルヴィンさまは、私の言葉に気を悪くした様子もなく、その笑顔に自信の色をお浮かべになりました。
「もし、そんなものだったとしても──この子はまだ幼い。そして少なくとも今は純真で、人懐っこい。このまま育てれば、そんなものにはならないでしょう」
アルヴィンさまのあまりの自信たっぷりな様子に、私はふと、勘繰ってしまいました。
「あ──、まさか……!」
「何?」
「いえ……」
私は言葉を呑み込みました。
アルヴィンさまの特技は『創生魔法』──
もしかしたら、このかわいい人魚は、彼が──?
でも、生命あるものを創り出すことは、重い禁忌とされています。まさか、そんなことを、この真面目なお方がするわけがありません。
それに、ミカがかわいすぎました。
顔は理知的な少女に見えるのに、身体のおおきさは幼女のそれです。年齢を当ててみろと言われたら、15歳とも、3歳とも、どちらとも答えられそうです。
一目見た途端、私はミカのことを大好きになっていたのでした。
「フレデリカさん──」
ミカを抱きながら、アルヴィンさまが言います、申し訳なさそうに。
「私の心はこの娘に奪われてしまった。貴女の婚約者として失格です。できることなら私はミカと結婚したい。我が国は一夫一婦制……。つまり、貴女とは、婚約を破棄しなければ……」
「嫌ですわ!」
「家の事情はわかっています。しかし、私の恋心は……」
「嫌ですっ!」
私は、声に力を込めて、言いました。
「だって私もミカに恋をしてしまいましたもの! 貴方にミカを独占させはしませんわ!」
ぽかんと口を開けて私を見る婚約者が、恋敵に変わりました。
ミカが私を見て、嬉しそうに笑ってくれました。あぁ……、おかわいい。
= = = =
2
あたしは必要のない子だった。
クラスではみんながあたしをいじめる。
家に帰ればお母さんが、あたしに愚痴ばかりをいつも聞かせる。
「あんたなんか産むんじゃなかった」
その言葉を脳に刻み込まれた。
まだ中学二年生──
14歳であたしは人生に疲れきっていた。
ブスで、内向的で、勉強も運動もできなくて、何より誰からも愛されてない子に、どんな未来があるというのだろう。
あたしは気づいたら高い橋の上に立っていた。
遥か下には夜の海が広がっている。
ここから飛び込んだら、来世は魚になれるだろうか。
魚になりたい。
地面を歩く足なんて、いらない。
誰とも口を利きたくない。ただ何も考えず、広い海を泳ぐだけの、魚になりたい。
「神様……。どうかあたしを魚にしてください」
橋の欄干に登ったあたしがそう呟くと──
『可哀想に……。その願い、叶えてやろう』
そんな老人の声が、確かに聞こえた。
それは幻聴だったかもしれない。でも、あたしはそれを信じた。
暗い海の表面が、あっという間に近づいてきた。
ぽん! と海の表面を突き抜けた。
「あれっ……?」
そこが海の底でもあの世でもないらしいことに、あたしはマヌケな声を漏らしてしまった。
向こう側はあまり広くはない部屋の中で、氷みたいな模様をした壁があった。
ベッドの上に、誰かが寝ていた。
あたしの気配に気づいたのか、そのひとが顔を起こし、こっちを見た。眩しいくらいに金色の巻き毛の男のひとが、碧色の瞳で、あたしをとらえた。
あたしはそのひとを、知っていた。
あたしの唯一の心の慰め──スマホゲーム『空中庭園のヴァルハリア』の登場人物、アルヴィン・アルムヘルト・フォン・フェルセンさまだ!
あたしの推しだ!
あたし……、『ヴァルハリア』の世界に転生しちゃったの!? 魚になったんじゃ、なくて──?
アルヴィンさまはあたしを見つけるなり、嬉しそうに笑った。
その頬が赤らんでる。
ゆっくりと、大切なものを壊さないような歩き方で、近づいてきた。
その唇が開き、香気を含む声で、言った。
「あせ∵ふじこ♤? クタ●∅マジコ?」
だめだ……
聞き取れない。
っていうか理解できない。
外国語だ、これ。
突然こうなったことにびっくりはしたけど、あたしはとりあえず敵意のないことだけは伝えなきゃって、態度で示そうとした。
でも、どうすれば……?
笑顔には自信がなかった。
でも、笑顔で伝えるしかなかった。
「にこ!!」
あたしの笑顔を見たアルヴィンさまの表情が、泣くように変わった。
あぁ……知ってる。これ、あれだ、大好きなアイドルとかを目の前にしたひとが見せる、感動した顔だ。たぶんさっきアルヴィンさまを見た時、あたしもこの顔をした。
アルヴィンさまといえばカタブツだ。こんな顔は見たことがなかった。
理知的で、差別をせず、けっして感情的にならないところが好きだったのに──
でも、弱々しいような、そんな感情を顔に表した彼も、よかった。
言葉が通じないから、とりあえずあたしは自分の名前を連呼した。
「美佳! あたし、美佳です。三原美佳!」
「ミカ……?」
アルヴィンさまの唇が、あたしの名前を発音した。
「ミカ! ミミ、∬∬、ミカ! ミカカ!」
ふと、気づいた。
あたし、足がなくなってる。
望んだ通りだった。あたしの下半身は魚になっていた。下半身だけ──
えっ?
これって──
あたし、人魚になったってこと?
それをアルヴィンさまにも見せたくて、大理石のプールみたいなところから上がると、その縁に腰かけた。
魚の下半身を見ると、アルヴィンさまの表情がまた感動の色を浮かべる。お気に召したようだ。
そっと、彼の指が、あたしの頬に触れてきた。
その唇が呪文のようなものを唱え、下ろされると、裸だったあたしの胸を覆う綺麗な虹色の衣が現れた。
「創生魔法だ!」
あたしは嬉しさに、最高の笑顔をしたようだった。
「ありがとうございます!」
クラクラと、アルヴィンさまがよろけた。
あたしの笑顔、相当かわいかったようだ。
後編はいつになるやら……




