稲刈り
8月26日(火)
今日も快晴、気温は朝から30℃越えだ。俺はこの糞暑い中、長袖に長ズボン、長靴を装備している。親戚の家へ稲刈りの手伝いに行くためだ。
小学3年の時に、興味本位で稲刈について行ったのが運の尽き、その年から毎年手伝う事になった。
年に一回の行事とは言え、これが一年で一番キツイ。
お米が高騰するのも分るような気がする。
何がそんなにキツイのかと言えば、炎天下の中、その場所に1日居るだけでキツイのだ。
この田んぼの所有者は、結城家の本家に当たる人だが、何分高齢で農作業ができなくなっている。そのため俺の親父や兄たちが手伝っている。
「和三郎、そろそろ行くぞ」
下の兄、令次郎が俺に声を掛ける。俺には兄が2人いて上の兄は大学生、下の兄は高校生だ。歳が大分離れている兄弟だ。上から、19歳、17歳、11歳(72歳)だ。
下の兄、令二郎は、面倒見のいい親分肌の男だ。
「おう」
俺は短く返事をする。手袋をつけ、鎌を握り兄の後を歩いて行く。
俺と兄の仕事は、稲刈機コンバインでは刈れない場所にある稲を刈ることだ。田んぼの四隅とか、風や雨で倒れている稲をコンバインで刈り始める前に手作業の鎌で刈って行く。田んぼは何枚もあり、点在している。
「あーしんど。和三郎、次行くぞ」
兄の声が聞こえる。
「おう」
少し離れたJRの線路に電車が走って行くのが見える。
あの車窓からはのどかな田園風景が見えているのだろうな。実際は、ここが地獄だと知りもしないのだろう。
俺と兄は10枚もあった全ての田んぼの四隅を刈り終わり、最初の田んぼに戻ってきた。
その田んぼは粗方刈り終わろうとしていた。親父がコンバインを操縦し、上の兄が、コンバインが刈り残した稲を鎌で刈ったり、籾を軽トラで運んだりしている。こちらもかなりハードそうだ。
俺は田んぼのあぜに腰を下ろして休憩する。休憩と言っても炎天下だ。影もないのでジリジリとHPが削られていく。
親父が運転するコンバインが、稲を刈りながら近づいてくる。
そのコンバインの前をカエルやバッタが逃げだしている。昨日まで彼らの住処だった田んぼは、稲を刈られ丸裸にされていく。今日からは路頭に迷う事になるのだろう。
気の毒だなと、俺は思っていたら、彼らの状況は更に過酷だった。
ツバメやサギが舞い降りる。稲と言う隠れ家を失った彼らは、ツバメやサギにパクパクと食べられていく。ここは地獄か。いや鳥たちにとっては天国か?
気の毒だなと、やはり俺は虫たちに同情する。
もしも、カエルやバッタが美味しい物だったら、鳥たちに混ざって俺もカエルたちを捕獲しているだろう。・・・同情は多分しない。
俺は一つの悟りを得たのかもしれない。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
「和三郎、ポカリだ、飲んどけ」
下の兄から良く冷えたポカリを渡された。
俺はポカリをゴクゴクと飲む。あー、生き返る。もしかしたら、俺のHPは残り10%を切っていたのかもしれない。大塚製薬が開発したHPポーションがなければ危なかった。念仏を唱えながらカエルたちと一緒にあちらの世界に連れて行かれるところだった。
ピーピーピー
突然親父が運転しているコンバインから警告音が鳴りだす。
「燃料が切れたみたいだ。和三郎、そこの軽油缶を親父の所まで持って行け、ついでにこれも親父に渡しとけ」
令次郎はクーラーボックスからポカリを投げてよこす。
「おう」
俺はコンバインに近づき、軽油缶を親父に見せる。コンバインの音が五月蠅くて親父に声が届きにくいからだ。
俺の持つ軽油缶に気が付いた親父は、コンバインのエンジンを止め降りて来る。
俺は軽油缶とポカリを親父に渡す。
「サンキュー。丁度喉が渇いたところだ。気が利くな」
「令兄さんが、渡してくれたんだ」
「そうか。令次郎も気が利くようになったな」
親父は令次郎に向かってポカリのペットボトルを振りながら「令次郎、サンキュー」と叫ぶ。
「おう」
令次郎も片腕を上げて返事している。
親父は少し休憩をとって、また稲刈りを再開した。
俺は親父が飲み干した空のペットボトルと空になった軽油缶を持って下の兄令兄さんのいる場所に戻った。
「ご苦労さん。俺は軽油缶に補充しに行くから、お前は兄さんの手伝いに回ってくれ」
「分った。でも今、清兄さんは何所に居るの」
「刈った稲の籾を籾乾燥機に入れに行っている。直ぐ戻ってくるよ」
「ああ、あそこか。分った、待っている。令兄さんも気を付けて」
「おう」
米の収穫作業は、昔は大きく分けて四つの工程があった。稲刈して、天日干して、脱穀、最後に籾摺りだ。それで玄米になる。今の時代は機械化が進み、稲刈と脱穀はコンバインがやってしまう。そして籾の付いたままの米を籾乾燥機が適切な水分量に乾燥させる。実質天日干しの作業はなくなった。籾摺りは乾燥させたその場で機械がやってしまう。
籾乾燥機はとても大きな機械なので、何軒かの農家が1か所の籾乾燥機を共同で使用している。
この田んぼで収穫した米も、別の農家が所有する籾乾燥機で乾燥、籾摺りをしてもらっている。俺たちが実施するのは、籾の状態の米を乾燥機に入れるまでだ。
8時間ほどかけ乾燥、籾摺りは終わる。玄米を受け取りに行くのは次の日になる。
俺は田んぼのあぜで座り、上の兄清兄さんを待つ。しばらく待つと、軽トラックに籾を入れる専用の籠を取り付けた車が遠くから見えてくる。清兄が運転する軽トラだ。
「令兄さんに言われて来た。清兄さんの手伝いをする」
「ふーん。和三郎は去年も手伝ってくれたな。去年の事は覚えているかい」
清兄さんは、何と言うか、ひょうひょうとしている。
「大丈夫だ。覚えている。去年から変わっている事があるなら教えてくれ」
「ああ、それなら大丈夫だ。去年と何も変わっていない。親父のコンバインが籾でいっぱいになるまで何もないから、車の陰で休んでいよう」
俺と兄は軽トラが作る僅かな影に入る。そこで座り親父が稲を刈るのを待つ。
「和三郎には彼女がいるのかい」
小学5年生に彼女等いるはずがない。普通はそう考え、そんな質問はしない。でも清兄さんは普通に聞いてくる。
「ああ、いるよ。隣のエミだ」
「えーーー。まじか」
「本当だ。この夏休みから付き合っている。清兄さんはどうなの」
「・・・・取敢えずいる。しかし、この敗北感は何だ」
清兄さんは令兄さんが置いてくれたクーラーボックスからポカリを取り出しゴクゴクを飲んでいる。HPポーションが必要な程、相当なダメージを受けた様だ。
「どうやったら、小学生から彼女を持つ事ができる?いや、聞くまい。和三郎は歳の割には老齢な一面が前から有った。そういう事なのだろう」
清兄さんは見た割に鋭い。
だが、俺の経験年齢が72歳だとは解るまい。まあ恋愛経験はこの身になってからが最初だが。
「俺の彼女を話したのだから、清兄さんの彼女も教えてよ」
「そうか、仕方ないな。俺が大学に入って間もなく・・・・・・・・・
なるほど、清兄さんは、この話がしたくて彼女の話を振ってきたのだ。自慢したかったのだ。
しかし、話が長い。なり染めなど聞きたくない。そんな話は結婚して、その彼女が俺の義理の姉になってからにしてほしい。
「まあ、そう言う事で、今度連れて来るから仲良くしてほしい」
えっ、殆んど話を聞いていなかった。俺たちに紹介するのか?結婚するのか?
「ごめん、清兄さん。話からすると、その彼女さんと結婚するの?」
「えー、やっぱりそうなるの?」
そらそうだろう。少なくとも親父たちなら、そう思う。
「彼女さんが、アホでなければ、これはプロポーズだと思っているよ」
「ああ、それで、少し考えさせてほしいと言っていたのか。俺は勿論、彼女と家庭を持ちたいと思っている。・・・うん・・・何でこんな事を和三郎に?」
チコちゃんがここに居たら、「ボーと生きているのじゃ、ないよ」と叱られる事間違いない。
「解った。清兄さん、頑張ってね」
「おう」
丁度いいタイミングに、コンバインがこちらに来ている。コンバインの中の籾がいっぱいになったようだ。兄弟の会話はこれで打ち切りになった。
先ほど清兄さんについて、ひょうひょうとした兄だと紹介したが、間違いだった。実際はボーとしている兄だ。
追記
清兄さんは、ボーとしていると言ったが、大学では優秀らしい。
もしかいたら、彼女さんも、そこに惚れたのかな?




