佐助は裏切り者
8月25日(月)
部屋の中で俺一人、ミツルも光たちもいない、久しぶりの静かな空間だ。最近では狭いと感じていたが、独りでいると意外に広い。
「ニャーオ」
独りではなかった。佐助がいた。
昨日は少しネコ語が解った気になっていたが、今は全く解らない。解らない事を考えても仕方がないから無視して、マンガを読む。
トコトコトコ。俺の目の前に座り、ジーと俺を見る。
「ニャーオ」
明らかに俺に用があるようだ。
「何だ、佐助。俺に何の用だ」
俺が話しかけると、すり寄って頬ずりをしてくる。面倒だが、マンガを読むのをやめ、立ち上がると、佐助は部屋のドアに向かって歩いて行く。
何だ外に出たいのか。俺がドアを開けてやると、佐助はドアから廊下に出て立ち止まる。首だけをこちらに向けて、「ニャー」と鳴く。
これは解った。「付いて来い」と言っている。
佐助は階段を降りると玄関に出る。前足を使って玄関の引き戸を開けると外に出た。ドアノブがついているドアは開けられないが、引き戸は佐助でも開けることができる。勝手に開けて外に出ることはあるが、閉める事はしたことがない。
ネコだから仕方がない。もしも閉める事を覚えたら、その方が怖い気がする。「すずめの戸締り」に続き「ネコの戸締り」アニメ映画化。いやドキュメンタリー映画だ。
俺は妄想を膨らませながら佐助の後を歩いて行く。
「ニャー」
佐助が立ち止まった場所は、井筒家の門前、エミの家だ。
「エミの家は昨日来たばかりだろ。まだエミからランチの誘いはまだ来ていないから行けないよ」
「ニャーニャー」
何を言っているのかさっぱり解らない。エミなら解るかもしれない。俺はエミにスマホで聞いてみることにした。
「エミ、今お前の家の前に佐助と一緒に来ているのだけど、佐助が何やら喋っていて解らない。エミなら解るか?」
「どうだろう。取敢えず家に来て」
俺は昨日に引き続きエミの家にお邪魔することになった。
玄関から上がると、佐助は慣れたもので俺の前を歩いてエミの部屋に入る。
そこには満面の笑みを浮かべたエミが待っていた。俺は少し不安になる。なぜか蜘蛛の巣に捕獲された虫のような気持ちになる。
「いらしゃい、佐助ちゃん」
「ニャー」
「・・・」
佐助に対して「いらっしゃい」?
「佐助ちゃん、代金のニャンちゅ~るよ」
エミは小皿にニャンちゅ~るを入れて、佐助に食べさせている。
「まさか佐助に、俺をこの部屋に連れてきたら、ニャンちゅ~るを上げる約束をしていたのか」
「残念、少し違うわ。ワーちゃんをニャンちゅ~る1本で売ってもらう約束をしたの」
ニャンちゅ~るはペットショップに4本218円税込みで売っている物だ。1本だと54円余り、佐助は俺をたった54円で売り飛ばしたのか。
飼い犬に手を嚙まれると言う言葉があるが、飼い猫に売り飛ばされると言う言葉はない。今後、広辞苑に乗せるべきだ。
また、つまらない事が頭の中をよぎるが、それは無視して反撃する。
「残念?エミこそ残念だったな。日本には法律がある。人身売買は禁止されている。このエミと佐助の取引は無効だ。佐助にニャンちゅ~るのプレゼントありがとう」
「ワーちゃんこそ法律を理解していないようね。佐助ちゃんはネコよ。ネコが泥棒したとして裁判に掛けられると思う?そして有罪になると思う?ネコと私の取引は日本の法律では犯罪にはならないのよ」
エミは勝ち誇った様子で、薄い胸を張る。
「ニャー」
佐助もエミの言うとおりだと、言っているようだな。
「佐助、お前はそれで良いのか?毎日エサを貰っているのは誰からだ。トイレの掃除をしているのは誰だ。毛づくろいをしてやっているのは誰だ。お前の失敗を親父からかばってやっているのは誰だ。俺がエミの物になると誰がお前の世話をしてやるのだ」
途端に、佐助が不安そうに俺とエミを見比べている。
「ワーちゃん、語るに落ちたとはこの事ね。先ほどの話だと、ワーちゃんが佐助ちゃんbの奴隷であることは明らか。ワーちゃんは佐助ちゃんの所有物であるから、この譲渡契約は有効よ。それに佐助ちゃん安心して、私はワーちゃんの主人であるから、これまで通りワーちゃんには佐助ちゃんの世話をやらせるからね」
「ニャー」
佐助はエミに頬ずりをしている。
エミは勝利を確信して顔が天井に向いてしまうほど反り返り、笑っている。
「ワハハー」
佐助も口角を吊り上げている。
この裏切り者め!
「ニャーニャー」
「五月蠅い、この裏切り者め」
俺は目が覚めた。ここは俺の部屋だ。マンガを読んでいて、そのまま寝てしまったらしい。目の前には佐助がいる。
「ニャーオ」
俺に用があるようだ。
まてよ、これは夢の展開と同じだ。だとすれば、先ほどの夢は予知夢。
「佐助よ、俺は騙されないぞ。エミの所には行かないからな」
「ニャーニャー」
「ダメだ。いくら本物の猫なで声を出してもダメだ。俺を54円税込みで売り飛ばそうとしているだろ」
佐助は俺を見て「何言ってんだこいつ」と思っていそうな顔をしている。
なるほど、これが目は口ほどにものを言うと事か。ネコにも当てはまるのだな。
「ワッサン遊びに来たぞ、上がるぞ」
外からミツルの声が聞こえる。
俺が返事するために窓を開けると、佐助が飛び出していった。
「おう、上がってこい」
俺はミツルに声を掛けながら佐助が飛び出した方向を見る。
何だ、佐助は外に出たかっただけか。
ミツルが階段を上がって俺の部屋に入る。
「さっき、窓から飛び出したのは佐助か、ぴょんぴょんと飛んで、エミちゃん家の塀を乗り越えて行ったぞ。流石、甲賀の忍びだな」
何、エミの家に行っただと、作戦の失敗を報告に行ったのか、やはり奴は裏切っていたのかもしれない。
俺は声を落として話す。
「ミツル話がある。佐助が裏切った可能性がある。この部屋での話はエミに筒抜けだ」
「なんと、それでは俺がエミちゃんの事が好きだと知られてしまったのか」
「いや、その件については、佐助が伝えなくても、みんなが知っている事だ」
「そうか、佐助は恋のキューピットだな」
「人の話し聞けよ」
考えてみれば、佐助が裏切っていて、エミにあれこれ報告されても、特に問題になる事はなかった。
俺は寝転がって、マンガの続きを読むことにした。




