第八話 ── 迷宮実習(1)
朝の鐘がひとつ。購買部の扉を押すと、革と油の匂いが迎えた。
「ロープは麻、三十メートルを一本。……結びが利くものを頼む」
店主が太さを見計らって差し出す。繊維の目は詰み、芯は柔らかい。結び目を作っても癖が素直にほどけそうだ。
「俺はこれ」
カイルが掌に細身の魔灯を載せる。筒の胴に刻まれた目盛りが五つ。
「親父の試作だ。光は五段階、照らす角度も狭広で切り替えできる。――照明は俺が持つ。二人は自分の魔灯をわざわざ出さなくていい、かばんのままで」
横でユリウスが、薄い粉袋と細い糸巻き、小さな環金具の束を掲げた。
「軽い道具を三つ持っていくよ。石灰粉袋は床の段差や隠し穴、見えにくい痕跡を浮かせる。鈴糸は野営の見張り線用。環具セットは小ピトンと環で、ロープの固定やタープ張りに使える」
さらに紙包みをひとつ取り出す。
「乾燥肉を少しだけ。軽いし日持ちする」
「役割、確認しておくか」カイルが魔灯の目盛りを回しながら言う。
「前衛がレオ。中衛の俺は火力と照明。後衛のユリウスは索敵・牽制・罠解析。――それで行く」
「了解」
「任せろ」
◇◇◇
校庭に各班が整列する。旗が五本、色違いで揚がっていた。
「指定迷宮は五箇所、班ごとにランダム割当」エドラス教官の声が通る。「出発は時差、過度な衝突を避ける。生徒間交戦は禁止、違反は減点。退避は配布笛。到達目標は“学園指定の術具”の回収。時間制限を超えた班は自動的にリタイア扱いとする」
名が読み上げられ、班が次々に門外へ消えていく。
レオたちの順番は、後ろから三番目。列の前方で、セレナの班が先に駆け出した。金糸の髪が風にたなびき、すぐ視界から消える。レオは呼吸を整え、足を前へ出した。
◇◇◇
密林は湿りを含んだ緑の匂いで満ちていた。根がうねり、ぬかるみが足首を吸う。耳の奥で、遠い水音が小さく揺れる。
「ここ、滑りやすい。ロープを木に二か所結んで、手すり代わりにする。順番に行こう」
ユリウスは近くの幹に環具を打ち、ロープを張る。結びの角度を確かめ、もう一度締めた。
「光は少し強める」
カイルが魔灯のリングをひと目盛り回す。白い輪が足元の泥を切り分け、浅い水脈の筋が浮かんだ。
しばらく行くと、獣道の真ん中に小さな瘤が盛り上がっていた。泥の塊に見える。
「粉を薄く」
ユリウスが石灰粉袋をひと振りすると、灰白が膜の輪郭に沿ってふわりと乗り、ぬめりが光を返した。
「スライムだ。通り道に居つくタイプ」
「《風刃》で払う」
カイルの詠唱が短く紡がれ、空気がかすかに切れた。圧の斬り払いで膜がほどけ、瘤は脇の藪へ退いた。
「今、前へ」
レオは一歩踏み出し、泥の硬さを確かめながら通路を確保していく。靴底に伝わる感触で、踏み抜きやすい箇所を避ける。
前を行くユリウスが、掌を上げて合図した。三人の足が同時に止まる。
「右の藪に斥候が一体。足跡が新しい。……風下から皮脂の匂いも来てる」
弦が鳴り、矢が枝の手前で土を穿って止まった。牽制だ。
「《雷球》」
カイルの掌で淡い火花が弾け、藪の中に青い閃きが走る。痺れを食らった小柄な影――ゴブリンが短く叫び、後退した。
ユリウスが弓を下ろす。「……よし、退いたな。群れを呼ぶと厄介だ。ここは深追いしない」
ユリウスは矢を回収し、斥候の足跡の上に石灰を点で打つ。
「ここは迂回。踏み返し防止に印だけ残す」
午後、光が斜めになる頃には、ダンジョンの洞口が梢の切れ間に黒く口を開いた。岩肌は冷え、内側からは涼やかな空気が漏れている。
「今日は入らない。手前で野営して、明朝に入ろう」
ユリウスの提案に、二人も頷く。ここで無理に進むより、体力と視界が確かな朝のほうがいい。
◇◇◇
タープを張る。環具で角を取り、鈴糸で周囲に見張り線を巡らせた。
水を浄し、焚き火で小鍋をかける。乾燥肉を少し裂き、砕いた乾パンと香草を落とす。
湯気が立ちのぼり、肉の塩気に青い香りが重なる。
「……悪くない」レオの言葉は短いが、口元は緩む。「塩の角が立たないのは、香草の油が効いているからだ。乾パンはあとから入れよう。崩れ方が変わる」
「さすが、食べる時だけ饒舌だな」
カイルが笑い、スプーンを差し入れた。ユリウスは火加減を見ながら、乾燥肉をもう一欠片だけ足す。
夜が深くなる。火は小さく、魔灯は一段目。鈴糸は風に揺れて、ときどき小さく鳴る。
レオが火越しに二人を見る。
「――ユリウス。君にも知っておいてほしいことがある。カイルには話してあるが、改めて共有する」
「俺は魔法を受けると、その術式が一時的に中に残る。……記録枠は三つ。どれが刻まれるかは今は制御できない。だから、むやみに撃てないんだ。非常事態に備えてストックしておきたい」
「了解。じゃあ明日も、引き続き攻撃はなるべく俺が持つが、やばくなったら頼むわ。照明も見る」
カイルが頷く。
ユリウスが指を三本立てる。
「方針を三つだけ、僕から。
一つ目、試し撃ちは一度きり。成功した日は温存。
二つ目、呪いと精神系は“受けない”。
三つ目、受けると決めたら距離と角度を固定、致命傷は避ける。見えにくい敵や罠の時だけ石灰で輪郭を出す。迷彩スライムや細糸の罠みたいなやつ。目視できる相手には撒かない」
「助かる。頼む」
「念のため、今の手持ちも確認しておく」
レオは左手を膝の上に浮かせ、意識を落とす。淡い光が手の上に薄い書のかたちを結び、頁が静かに開いた。二人の目には、微かな光の揺らぎにしか見えない。
――火の頁
《火球》
――風の頁
《風刃》
――水の頁
《水球》
――光の頁
《光癒》
(治癒室の光……あの時のエミリア、か)
頁の下端に、薄い盾の印が淡く灯る。
(訓練場の防壁――練習用の術具経由の簡易式だな)
レオはそっと頁を閉じる。光は掌へ沈み、夜の黒に溶けた。
「どうだった?」カイルが囁く。
「カイルから受けたのは火・風・水。それと、練習用防壁術具から覚えた防御魔法。あとは……回復魔法」
「え、なんで回復が?」
「……あまり記憶にない」
短く答えて視線を落とす。(――言わないほうがいい。回復の使い手は貴重だ。名を出せば、彼女に余計な危険が及ぶ)
その時、洞口の奥から低い音が転がってきた。石と石が擦れ合うような、腹に響く音。
三人は、互いに目を見た。
「……予定にない響きだ」ユリウスが息を落とす。「明朝、入り口でまず確認する。今は休もう」
火はさらに小さくなった。鈴糸が、森の夜気に、ちり、と一度だけ鳴る。
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