第七話 ── 図書塔と課題の支度
午前の鐘が二つ、淡く重なる。
「魔術史概論」は、古写本の挿絵から始まった。講師が掲げた頁には、粗い線で書冊と指先が描かれている。
「古い伝承には、“術を記し、開いて放つ者”が散見される。真偽はともかく、記録して再現するという発想は、時代と土地をまたいで痕跡を残している」
ざわめく教室の中で、レオは無意識に左手の甲へ視線を落とした。(受けた直後だけ、淡い光――あれは確かに“前触れ”だ)
◇◇◇
午後。教壇に立つエドラス教官の声は、いつもよりいくらか硬い。
「明日の課外迷宮実習について伝える。三人一組、護身腕輪の支給はなし――実戦形式だ。下りてよいのは三階層まで。それ以降への降下は禁止。監視教員が随行し、退避線を設ける」
黒板に組分けの名が白く並ぶ。
「――レオンハルト・グランツ、カイル・バーンズ、ユリウス・ヘリングは同組」
小柄な黒髪の少年が、少し強張った笑みで会釈する。「よ、よろしく」
別の列には、セレナの名も見えた。彼女は同級生二人と組になっている。
配られた紙の見出しには「携行品リスト」とある。――魔灯、ロープ(二本推奨)、チョーク、浄水薬、圧縮携行糧食(乾パン)、退避笛。末尾には「不足分は各自で補うこと」と小さく添えられていた。レオは自分のメモに「ロープを一本買い足す」とだけ書き足す。
「以上。細則は各自で再確認しておけ。解散」
◇◇◇
学舎の奥に、石の塔がひっそりと聳えている。図書塔。扉を押すと、紙と革の匂いが、冷えた空気と一緒に降りてきた。
受付の司書が顔を上げる。
「いらっしゃい。一般閲覧は二層まで。騒がず、走らず、紙はやさしく」
レオは伝承・魔導史の棚を辿り、開架で読める一冊を見つけた。――『記録術伝承抄』。
卓上に開く。冒頭には、術を「書に記し、開いて放つ」古い伝承の断片。欄外の小図に、輪と直線と小さな書――無限の印が刷られている。
巻末の参考文献に目を移すと、三つの題が並んでいた。
・『真録術大典』/王城・西塔庫
・『綴書秘鍵』/ドランベルク公爵家・地下庫
・『頁の律』/リューネハルト公爵家・秘架
レオは本を抱え、受付に向かった。
「巻末に挙がっていた、この三点を読みたいのですが」
司書は一目で頷き、札を揃えるような仕草をして言う。
「記録に直結する根本資料ね。どれも禁書指定。ここでは閲覧不可、所蔵先の許可が要るわ」
レオ「学生でも、申請はできますか」
司書「形式上はね。でも決裁は所蔵先。王家か三公家の印がないと動かないの」
レオ「……わかりました」
隣のカイルが身を乗り出す。
「他には? 禁書って、どんなのがあるんです?」
「総本山『星冠ルクス・ドミナ大聖堂』の金書庫に『黄金綴 私記――アデル・リューネハルト日録』。これは親閲、王と教皇の両印が揃わないと開かない。
それから、辺境アルヴェイン領の聖堂庫に『聖堂奉納拾遺 第二十七帖「砂髪の巡礼」』。制限資料で、聖堂側の許可が必要ね」
「この塔にも、禁書ってあるんですか?」とカイル。
司書は唇に指を立て、片目を細めた。
「……あるわ。ひみつ」
そう言って、薄い革の栞を一枚、そっと差し出す。
「返却台の右端に置いておいて。……その本は棚に戻さないでね」
カイルが目を丸くする。「今の、どういう――」
「ひみつ」
去り際、司書の指先がレオの手元の薄い革装に一瞬だけ触れる。背の革に、かすれた閉架の朱が見えた気がした。
◇◇◇
塔を出るころには、陽はほとんど落ちかけていた。回廊の床石に赤い帯が長く伸び、風は昼より冷たい。
「そういえばさ、明日のダンジョン……」
カイルが並んで歩きながら言う。
「三人一組、護身腕輪はなしの実戦で、たしか……三階層まで。それ以降への降下は禁止だったよな?」
「ああ。無理はしない。撃つのも最小でいく」
「準備どうする? 携行品はロープ二本、浄水薬、圧縮携行糧食(乾パン)、チョーク。俺の手持ちでだいたい揃うが、ロープが一本足りない。明朝、購買で一本だけ買おう」
「了解。ユリウスには役割のメモを回しておいてくれ」
「――レオが前で“受ける”、俺が削ぎ、ユリウスが牽制。異常が出たら即撤退。まずはそれで」
正門前で足を止める。空は紫に沈み、学園の窓にひとつずつ灯が入る。
「じゃ、明日」
「ああ。明日」
◇◇◇
レオは王都の家に戻ると、机に控えのメモを広げた。
・『真録術大典』……王城・西塔庫
・『綴書秘鍵』……ドランベルク公爵家・地下庫
・『頁の律』……リューネハルト公爵家・秘架
・『聖堂奉納拾遺 第二十七帖「砂髪の巡礼」』……アルヴェイン領・聖堂庫
・『古徽章図譜』……王都図書塔・一般
・『黄金綴 私記――アデル・リューネハルト日録』……星冠ルクス・ドミナ大聖堂・金書庫(親閲)
最後の行で指先が止まる。
(――王と教皇でしか開かない扉。どうしてだ……)
視線が「砂髪の巡礼」に移る。
(砂の髪、琥珀の瞳……“忘れない”と、言った)
胸の奥で、小さな結び目が固くなる。無限の印の図案が、まぶたの裏に淡く浮かんでは消えた。
鞄に魔灯、手持ちのロープ一本、浄水薬、圧縮携行糧食、チョークを詰め、もう一本ぶんのスペースを空けておく。点灯と消灯を二度試し、ゆっくり息を吐いた。
(受ければ頁に残る。使える回数には限り。――守るために受ける)
灯を落とす。窓の外で、夜が静かに深くなっていく。
◇◇◇
そのころ、レオたちが正門で別れ、それぞれ家路についた頃――。
夜。図書塔は窓を黒く閉ざし、受付だけが淡く灯っていた。
返却台の右端に、薄い革の栞がそっと立て掛けられている。司書は音を立てないようにそれを摘み、同じ場所に置かれていた薄い革装の一冊を抱えた。
背の革に、かすれた閉架の朱。司書は小さく息を呑み、囁く。
「……思い出してよかった。管理長に気づかれる前に、閉架へ戻せる」
廊下の先で、管理長の足音がひとつ、ふたつ。灯りの芯が細く揺れる。
司書は鍵束を掌で包み、閉架の扉へと身を滑らせた。
扉は静かに、闇へと合わさる。
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