第六話 ── 学び舎の食卓
午前の授業を終える鐘が鳴り、チョークの粉が光の帯の中で細かく舞った。椅子が引かれる音、机の蓋が閉じる音、ざわめき。
耳の端で、いくつもの囁きが交わる。
「先日の模擬戦って、やっぱ一発だったらしいぞ」
「なのに腕輪の石が三つ割れたって、どういう理屈だよ」
「教官は“重ね撃ち”とか言ってたけど、俺たちにはただの大爆発にしか……」
レオは鞄の口を閉じ、無言で聞き流す。(……説明はできない。今はまだ)
隣でカイルが背伸びをした。
「腹減った。食堂、行こうぜ」
「ああ」
廊下は昼の光で明るく、磨かれた床板に窓格子の影が規則正しく並んでいる。階段を降りるたび、香ばしい匂いが近づいた。
◇◇◇
学園食堂は、人いきれと湯気で満ちていた。焼きたてのパンの香り、煮込みの柔らかな匂い。奥の壁の黒板には、本日の献立が丁寧な字で並ぶ。
・牛と根菜の煮込み
・白身魚の香草焼き
・温野菜のハーブ油がけ
・蜂蜜のパンプディング
・窯焼きパン/季節の果実水
「……ほう」
レオの視線が黒板をたどる。「煮込みは昨日から火を落としていない。香草は乾燥じゃない、刻み目が粗い……出す直前に手でちぎっている。パンは窯直送で、皮が鳴くはずだ」
「お前、飯のことになると饒舌すぎ」カイルが笑う。
「最善を選ぶだけだ」
「じゃ、俺はお前と同じで」
「…………理解できん」
配膳の列が進む。前方から、明るい声。
「――あ、カイル。また会ったね」
マナがちょうどトレーを受け取り、振り返って笑った。制服の胸元が少しだけ揺れる。
「おう、マナ。午前どうだった?」
「板書が多くて手が攣りそう。……あっ、レオ様」
「“様”は、やめてくれ」
「じゃあ、レオくん。――先に席を取ってる子たちのとこ、行ってくるね」
彼女は軽く会釈し、人の波の向こうへ歩いていく。その先で、女子たちの輪がふわりと湧いた。
「会長だけ抜け駆けはずるいってば!」
「そうですわ、順序というものが――」
「次はわたし、ちゃんと話すからね!」
平民の髪留めと貴族のレースが同じ輪で揺れる。
カイルが横目で見やり、ぼそり。
「身分、ごちゃ混ぜで楽しそうだな」
「……ああいうふうに、身分とか気にせず騒いでるのは……悪くない」
カイルは口の端を上げた。(やっぱ気づいてねぇな、こいつ)
◇◇◇
二人は煮込みとパンのセットを選び、窓際の卓に腰を下ろした。斜めの陽が木卓の年輪を照らし、果実水のグラスに小さな光が揺れる。
レオがスプーンを口に運ぶと、表情がほどける。
「……火入れが絶妙だ。表面はほろりと崩れるのに、芯が残らない。香草は肉の匂いを消さず、風味だけ引き出す量。塩は控えめで、根菜の甘みを信じている配分だ」
「うん、うまい。――で?」
「温野菜にはハーブ油。香りはタイムが主、仕上げにほんの少し柑果の皮。重たくならない。果実水は――薄めの甘味で、口を洗う役を意識してる」
「……グルメ評論家かよ」カイルが肩をすくめる。「黙ってればクールなのに、飯のときだけ別人」
「食べるのは、好きだ」
パンを割ると、薄い皮がぱりと鳴り、湯気が立った。バターが溶け、煮込みの縁に金色の筋が走る。
周囲では、暗黙の線が生まれては消える。袖口の金糸が集まる卓、質素な刺繍が連なる卓。
(前世では、ここまで剥き出しの線は少なかった。――だが)視線を落とす。(この皿の温度は、誰の前でも同じだ)
「おい。そこ、貴族席だぞ」
乾いた声が湯気を裂いた。サイラスの取り巻きが、皿を抱えた平民の一年に肩で道を塞ぐ。小さなざわめきが、波紋のように広がった。
「ルールは席自由だよ」カイルが立つ。「ここ、学園だろ」
「生意気言うな、準男爵風情が。身の程を知れ」
「……準男爵でも、学生だ」
「口答えか? 先日の模擬戦であんなインチキみたいな技、どの面下げて――」
カン。
レオがスプーンを皿に置く音だけが、澄んで響いた。
「食事は食事だ。誰とどこで食べようと、勝手だろ」
取り巻きの目が泳ぐ。少し離れた卓で、サイラスがこちらを睨んだ。
「……ふん。俺たちにはロイヤルダイニングがある。こんな庶民食堂で喜ぶ必要はない」
平民の一年が肩をすくめて退く。その背を、カイルが短く庇った。周囲の空気がきしむ。
「ロイヤルダイニング? お前ら、入れたっけ。子爵は対象外だよな」
取り巻きがサイラスを見る。サイラスの顔が強張る。
「……礼の問題だ。準男爵ごときは遠目で見るのも――」
「規則にそんな文言はない」
レオは静かに立ち、サイラスをまっすぐ見た。
「規則はこうだ。同席者は招待扱い。俺が一緒なら、カイルは入れる」
短い沈黙。サイラスの喉がひく、と鳴る。
レオは、わずかに口角を動かした。
「新人戦が終わったら、打ち上げで使う予定だ。……サイラスも来るか?」
一拍の間。
次いで、近くの卓からクスクスと笑いがこぼれた。取り巻きの表情が引きつり、サイラスは椅子を乱暴に引く音だけ残して立ち去る。取り巻きが慌てて後を追った。
息が抜け、食堂の音が戻る。
カイルがパンをちぎりながら笑う。「お前、珍しく感情的だったな」
「……別に。煮込みが冷める」
「規則、よく知ってたな」
「読むものは読む。――使うべき時に、使えばいい」
レオはスプーンを握り直し、再び口に運ぶ。蜂蜜のパンプディングをひとすくい。温かな甘みが、口いっぱいにほどけた。果実水で後味を流し、ふっと息をつく。
(ロイヤルダイニングなんて、行ったことはない。けれど――)
(この食堂の料理は、本当に確かだ)
ふと視線を上げると、少し離れた席でセレナが静かにこちらを見ていた。
目が合うと、彼女はわずかに会釈して視線を落とす。
(――あの人は、誰かを踏みにじるために強いんじゃない。
自分の前の皿を、ただ丁寧に味わえる余裕を持っている)
(だから綺麗に見えるのだと、わたしは思う)
窓の外、陽は高い。新人戦まで、あと十日あまり。
学び舎の食卓で交わされた声は、それぞれの昼へほどけていく。
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