第五話 ── 理の糸口
朝の教室は、入る前から空気がざわついていた。
「昨日の模擬戦、一発だったよな?」
「なのに腕輪の石が三つとも砕けたって……上級三回分ってことか?」
「“使えない”って噂、どこ行ったんだよ……グランツ、何者だ」
レオが席へ向かうと、扉口でサイラスが一瞥だけ寄越し、舌打ちひとつで視線を外した。
机の影から、カイルが小声で肘でつつく。
「顔色は? 今日は授業だけにしとけ」
「……平気だ」
後方の列で、セレナが一瞬だけレオの左手に視線を落とす。胸の奥で、昨夜の“光”の残像がそっと瞬いた。(綺麗、の理由なんて分からない。ただ――わたしの中の何かがうなずいたのだけは確か)
鐘が鳴り、歴史教官が入ってきた。黒板に大きく題が走る。
【アストレア建国史――四人の英雄】
【古写本にのみ見える語――『第五の影』】
「教本四十二頁。四英雄による討伐と、その後の王家と三柱公爵の成立。ここまでは公認史だ」
手が挙がる。
「先生、ひとつ。四英雄に“魔導師”がいません。討伐なら火力役が要るはずでは?」
「そこが公認史の弱い継ぎ目だ」
教官は淡々と続ける。
「教典準拠の説明ではこうだ――『魔王領の瘴気が遠隔術式を攪乱し、持続詠唱や大規模魔導が通りにくかった。ゆえに編成は、**王家守護(防御)/騎士(近接)/錬金(投爆・罠)/聖女(加護・治癒)**で臨んだ』」
「でも当時の戦記断片に、**“火の壁”や“雷の杭”**があります。誰が使ったんです?」
教官はチョークを置いた。
「だから矛盾が残る。一部の古写本は**『第五の影』とだけ書く。誰かが抜けた、あるいは抜かれた**。覚えておけ、史料は勝者の筆で整えられる。光は濃く、影は薄まる」
黒板の端に、古い紋の図案が添えられる。輪に寄り添う細羽。エミリアの瞳がわずかに開いた――辺境の祈りの間で見てきた印と、同じ。
(第五の影。……それは、俺が抜かれた痕だ)
レオは短く目を伏せ、呼吸を整えて教本に視線を戻す。
別の手が挙がった。
「先生、原初の魔導師って語も聞いたことがあります。ハイエルフの古い魔導のことだと」
「補説に触れる」
黒板に小さく一行が増える。
【補説:原初の魔導師】
「古い周辺伝承には、長命のハイエルフが古の理を伝えた、とある。いまだ存命でも不思議はない――もっとも、所在も真偽も不明だがな」
(……師。あなたは、まだ)
(生きているのか)
「結論を急ぐな。公認史は四英雄だ。だが、賛歌が隠す影を示す断片は確かにある。疑いを保ったまま読み続けろ。以上」
昼休み。中庭のベンチでパンをかじりながら、カイルが声を潜める。
「重ね撃ちの名前つけ――は冗談として、放課後、検証しようぜ。基礎だけ、弱めで。貸出の腕輪、空きがある」
「……分かった」
廊下の角でセレナが一歩だけ踏み出しかけ、そっと引いた。距離を保ちながら、視線だけが残る。
◇◇◇
放課後の練習区画。風の音だけが砂を撫でていた。
「いやぁ、昨日はすごかったよな。……なあ、もう一回見せてくれよ」
カイルが目を輝かせる。
「試す。《爆炎》」
短く詠唱――沈黙。空気は揺れず、光も立たない。
「……どうなってんだぁ。昨日は一発で腕輪の石が三つとも砕けたって話だぞ? 上級三回分ってことじゃん。なのに今は反応ゼロ……」
「俺にも分からない。昨夜も不発だった」
「じゃあ条件から潰す。①体調(魔力酔いの残り)。②状況(“受けたあと”だったか)。③手順(詠唱の節や呼吸、魔力の流し方、イメージの結び)。……思い当たるのは?」
「……“受けた”、だな」
「よし、受け実験。基礎だけ、弱めでいく。安全第一」
貸出棚から〈護身腕輪〉を二つ。魔法石は三つ、一発受けるごとに一つ砕ける。
「まず水だ」
カイルが詠唱する。「《水球》」
澄んだ球が胸元に軽く触れた瞬間、左の掌の上に、ふっと“在る”。輪郭は結べない。ただ**“写った”**手応えだけが残る。
(……来た)
「いく。《水球》」
掌の前に小さな水球が生まれた。素直で、小さい。反動は軽い。
「次、風。昨日おれが使ったやつな」
カイルが詠唱。「《風刃》」
細い刃風が肌を撫でる程度に走る。また左手の上に短い“在る”。
レオも短く詠う。「《風刃》」
空間に細い切れが刻まれ、砂粒がわずかに跳ねた。
「連続使用も見る。《風刃》——一回目、二回目……三回目……成功」
「四回目」
「《風刃》」——無音。空気は裂けない。
「……中級は三回まで、だな」
「位階で一日に使える回数が違う、って線が濃い」
「三つ目の新規いく。火」
カイルが撃つ。「《火球》」
掌大の火がふっと灯り、消える。**左手上に“在る”**が走る。
レオが応じる。「《火球》」
橙の球が短く生まれて、指先でほどけた。
「……写し三つ。今日はここまでにする」
「検証だけ、もう一個。雷どうだ。四つ目が入るか確かめたい」
カイルが詠唱する。「《雷球》」
青白い珠が近づく。触れた刹那、レオは左手の上に意識を澄ませた。
――来ない。
そこに在るはずの“手応え”が、今回はまったく立たない。
「……反応なし。四つ目は写らないらしい」
「じゃあ、一日に新規で写せる数=三、ほぼ確だな」
カイルはしゃがみ、小枝で地面に素早く書きつける。
観察:受領《水球》→再現○/受領《風刃》→再現○(中級は三回まで確認)/受領《火球》→再現○/受領《雷球》→写し反応なし。
仮説:①受ければ“写る” ②位階ごとに一日使用回数が違う(中級=三) ③一日に新規で写せる数=三。
「にしても、お前器用だな。水・風・火・雷、四属性もいけるのか」
レオが言うと、カイルは肩をすくめた。
「土と光と闇は無理だな……。特に光と闇は、貴族でもほとんど扱えない稀少属性だ。だから光魔法の回復が使えるだけで、治癒師や軍、貴族のお抱えになれるらしい」
(生まれが貴族でないぶん魔力量は低い。それでもAクラスにいるのは、こいつのセンスがずば抜けているからだ)
(――そういえば前世には、魔力を底上げする薬があった。……この世界では、聞かないな)
「なぁ、魔力を上げる薬って、あるのか?」
「あるにはあるらしい。けど、王族と三公爵が独占してるって話だ。市には出回らない」
「世間に広まると威厳が保てなくなる? それとも貴族の利権を守るためか……きな臭いなぁ」
カイルが腕輪を外しながら言う。
「シールド系は俺、出せないぞ。防御は土系か光系の適性が要る」
「なら防壁は別の機会に回そう。教官に術具を借りるか、使えるやつに協力を頼む」
――講堂脇の半地下、用具室。
「貸出、お願いします。練習用の防壁術具を」
窓口の上級生が帳面を受け取り、ちらと二人を見る。
「防壁は教官の印が要るよ。練習区画のみ十五分。守ってね」
ちょうど廊下の向こうからエドラスが現れ、帳面に教官印を入れる。注意事項は三つ。
一、出力は初級相当に限る。
二、護身腕輪を装着すること。
三、術具の正面を人に向けないこと。
「ありがとうございます。明日の放課後に使います」
「ただし教官立会いでな」
エドラスは短く言い置いて去った。窓口から渡されたのは掌大の円盤――薄い魔石板を収めた小型投射器だ。
「押し当てて押すだけ。正面に薄膜が展開する。出力はねじで三段階。必ず一段から」
「了解」
カイルが器用に扱いを確かめ、受領札に癖のない字で署名する。
「相変わらず字、綺麗だな」
「商人の息子は見栄えも商品なんだよ」
包みをそっと抱え、半地下を上がる。吹き抜けから差す夕光に、石段の影が長い。
「新人戦(新入生交流戦)まで、実用術のストック増やさないとなぁ」
「……ああ。まずは基礎を固める」
踊り場の掲示には『新人戦・予備説明/安全腕輪着用必須/初級〜中級のみ/危険判断は審判が即時中止』。二人は目を合わせ、無言でうなずいた。
石畳に足音が二つ。校舎の影が、ゆっくりと伸びていく。
(触れた術式は、頁に焼き付く。)
(回数は限られる。――なら、駆け引きで勝つ。)
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