そのルート、解釈違いです。~ヒロインを引き立てる不遇な友人Aに転生しました
10歳の誕生日を迎える前日、ベッドに横になって目を閉じた瞬間、アミリアは恐ろしいものでも見たように目を見開いた。
「あ……!」
なにこれ、なにこれなにこれ。アミリアは声も出せぬほど恐れおののきながら、まるで魔術のように眼前を飛び交う光景から目を離すことができずにいた。
レンガ造りの、まるで中世の城のような建物はなにか。知っている、タロック魔術学院だ。まるで城内を魔術で飛び回るように、吊り橋に門、高い天井や回廊が、次々と目に飛び込んでくる。
アミリアはまだその学院を見たことすらない。それなのに、まるでアルバムを捲るように鮮明にその外観が目に浮かぶ。しかしその光景は、そんなよそよそしいものではなかった。
氷色の短い髪をおさげの三つ編みにし、丸眼鏡をかけた少女が、可愛らしい制服を野暮ったく着て、猫背で回廊を歩いていた。外は明るいのに、彼女の歩くところだけが寒々しい日陰に覆われている。
その回廊の庭側、大理石のように美しいアーチ状の柱の間から、美しい射干玉の長い髪をなびかせながら、少女が駆けてくる。着ている制服はおさげの少女と同じはずだが、そうは感じさせない華やかさがあった。おさげの少女が顔を上げると同時に、その腕に親し気に絡みつき、花のように笑って挨拶を口にする。それにつられるように、おさげの少女も笑う。
誰かが、黒髪の少女の名前を呼ぶ。二人が顔を向ければ、庭を挟んだ向こう側の、その二階から、陽光のように明るい髪色の少年が、屈託なく笑いながら身を乗り出して手を振っていた。その隣には、月光のような透き通った髪色の少年がいて、静かながらも決して冷たくはない目でこちらを見ていた。どちらにも、黒髪の少女が手を振り返す……。
まるで、アミリアは既に学院の一員であるかのようだった。いや、それよりも不可解だったのは、アミリアは自身を俯瞰していたこと――丸眼鏡をかけた少女は、自分自身だった。
これは一体、どういうことか。愕然としたアミリアの意識は、そのまま学院内の景色の中へ吸い込まれていった。
乙女ゲーム『タロック・スピール』、通称タロスピ。帝国立タロック魔術学院を舞台とし、様々な出自の学生と交流しながら貴族として必要な教養、そして魔術を学ぶ。ヒロインはもとは平民だが、幼い頃から魔術が優れており、それを見た父親がなんとか帝国一の学校で学ばせてやりたいと無理して爵位を買い、入学を果たした。そんなヒロインを出自ゆえに馬鹿にする者もいたが、ヒロインはめげることなく、むしろ同じように馬鹿にされる者を庇い、相手の身分に臆することなく立ち向かう。そんな勇敢さに加え、持ち前の人懐こさや明るさで、ヒロインはその学園生活を通じて個性豊かな攻略対象を魅了していき、また五属性(火・水・土・雷・風)すべてに適性を持つ“女神に愛されし者”として学院や帝国でも重要な人物となっていく。
その世界で、アミリア・ソウティールは、“帝国外の貴族令嬢だが、五属性適性がないため両親に見放され、遠縁の姓を名乗り全寮制の帝国立学院に入ることになった”という設定の持ち主だ。さらにいえば、入学初日を皮切りに、魔物に襲われたり虐められたりと様々な困難に遭い、それをすべてヒロインに助けられるという、なんとも不遇な引き立て役なのだ。
アミリアのAは友人AのA、舞台装置のアミリア装置、彼女はそう揶揄されていた。
アミリア・ノイン・エレミートは、そんなことを一晩かけて思い出した。
まず、今日のアミリアは、10歳を記念に五属性適性検査を受ける。この世界では、魔術を使える人々は五属性のいずれかに適性を持つ。アミリアは魔術を使うことはできるが、しかしその適性がないことが明らかになり、両親から「出来損ない」と烙印を押されるのだ。
そして、これから5年後、自分は帝国立タロック魔術学院に入学するが、そこでは常に困難に見舞われる。幸いにも都度ヒロインに助けられるが、どんなイベントでも端役か傍観者として参加することしか許されず、灰色の学園生活を送る。ろくな学院成績も残せず、卒業後さえヒロインの世話になり、選ばれた攻略対象と共に活躍するヒロインの傍ら喜んで仕えるメイドとなる……。
「……絶対シュトルツ一択でしょ」
そんな人生の走馬灯を見せられたアミリアは、ベッドの中で小さく呟いた。
シュトルツ・アハ・モントは、陽光のように輝く金髪を持つ、アインホルン王国の王子。少年らしさを残した顔と無邪気な言動で周囲を和ませてくれるが、実は彼は人質として帝国に来ており、その心には深い闇がある。
しかし、彼がその無邪気さを唯一、本心から見せることができる相手が、ヒロインだ。強大過ぎる敵の存在ゆえに、死より苦しみ生きてきたシュトルツは、ヒロインの生き方に憧れ、勇気づけられ、やがて異性として惹かれていく。
だから、ヒロインの相手はシュトルツ一択、それ以外有り得ない……! アミリアは、朝日を浴びながら、祈るようにギュッとその手を握りしめた。
アミリアは、前世でも華々しく目立つタイプではなかった。だから、乙女ゲー世界のモブに転生したからといってその身を嘆くことも、ヒロインを押しのけて目立ってやろうと意気込むこともない。推しにとって最上級の幸せとはなにか、それを純粋に思うことしかしなかった。
『タロック・スピール』では、ヒロインが選ばなかった攻略対象でもそれぞれ別のキャラクターとのカップリングが成立するようになっており、シュトルツ以外の攻略対象にも、それぞれにこれぞという相手がいる。この世界が自分にとっての現実なら、その理想のカップリングが成立するように全力を尽くそう。アミリアはそう決意した。
その日、アミリアは、設定のとおり、10歳の祝福をしてくれた司祭に「五属性適性がない」と指摘され、両親に唖然とされ、その日のうちに家族会議を開かれた。アミリアは同席しなかったが、両親の間で、アミリアは15歳になる年に帝国の学院へ行くこと、“アミリア・ソウティール”という遠縁の姓を名乗ることが決められた。以来の両親は、手塩にかけて育ててきた娘が出来損ないと知り落胆したような、それでも希望を捨てきれずに鍛錬させようとするような、そんなどっちつかずの態度を取っていた。
ただ、記憶を取り戻したアミリアは、いつものように魔術学の本を捲っていたとき、ふと訝しんだ。
「……なんだか、簡単になった……?」
魔術とは、魔力をベースにしてはいるものの、実は理論の占める割合が非常に多い。属性適性というのは、あくまでも適性のある属性魔術について、通常の1.5倍の効果を発揮させるもので、魔術それ自体は、魔力と理論構築によって扱うことが可能。だからこそアミリアも魔術を扱うことはできて、ただ普通の人と違ってその効果は等倍だが……。
アミリアは食い入るようにページを見つめ、そこに書かれている理論を読み込んだ。魔術理論を咀嚼し、構築式を正確に編み出すことで、その効果は数倍にもなる。瞬次に構築式を編み出せば、それだけ速く魔術を放つこともできる。単純な先後関係が勝負を決めることもあるから、その差は大きい。
「なんで急に……前世でもう大人だったから、大人にとっては簡単とか……」
いや、そうとは限らない。ベテランの老人が少年に負けることもあるのが魔術だ。
そういえば、聞いたことがある。幼い頃からやたらテストを受けさせられる日本人は、四則演算に九九といった情報処理能力が高いし、なにより“テスト”という形に強い。魔術理論の咀嚼と構築は、確かに問題文の提示と回答に似ている。
その訓練をひたすら受けて大人になった、そんな前世を持つアミリアにとって、魔術学の本は、あまりに簡単だった。
これなら、五属性適性がなくても問題なく魔術を扱える! アミリアは歓喜した。もちろん、推しにとって一番の幸せを願う気持ちは変わっていない。しかし、いざというときに人一倍の魔術を扱うことができたほうが、カップリングを最適に導く一助となれるはずだ。
そうして、10歳から15歳までのアミリアは、本の虫も真っ青になるほど魔術学の本を読みこむことに傾倒した。寝食も忘れてその勉強に取り組み、やがてその魔術は、誰が見ても「五属性すべてに適性があるのでは」と言われるほどの域に達した。しかし、アミリア・ソウティールとして入学するため、アミリアはその成果をひた隠した。
「これで、理想のカップリングの障壁はなにもなくなる……!」
帝国へ行かされる直前、アミリアはそんな幸せな笑みを浮かべていた。
入学式の日、アミリアは黒を基調として銀ボタンのついた制服に身を包み、ごく自然な時刻に学院へと出発するように気を付けた。
この日、アミリアは魔物に襲われ、しかしろくに魔術を使えないせいで太刀打ちできず、大怪我をしそうになる。そこにヒロインが颯爽と現れ、アミリアを助け、それをシュトルツが目撃し、以来その勇敢さに興味を持つ……つまり、シュトルツとヒロインというカップリングを達成するために非常に重要なイベントが、これから起こる。
そのためには、アミリアは魔物に襲われなければならない。確かゲームでは腕に深い傷を負い、そのせいでますます暗いキャラクターになってしまうのが、推しの幸せのためには仕方がない。アミリアは意を決して、学院の敷地へと足を踏み入れた。
その瞬間、ギイイ、という異音が響く。魔物の声だ。空を見上げれば、コウモリのような翼を広げた怪鳥のシルエットが数羽、獲物を狙うように旋回していた。
嵐を呼ぶ翼竜、フェラコトルだ。既に門をくぐっていた学生達も空を見、悲鳴を上げ、我先にと校舎内へと駆けだす。アミリアは、カバンを持ったまま突っ立っていた。あの怪鳥のうち、一羽がアミリアを襲う。
ゴクリと喉が鳴る。魔物の類は見たことがあるし、自分の理論構築の正しさを確認するために実戦に出たこともある。
ただ、いつも瞬殺してきたから、襲われるのは初めてだ。なにより、醜い傷が残るほどの怪我をしなければならない、その恐怖が足を震わせる。
早く、早く。アミリアは必死に念じた。早く来て。早く助けに来て。あの異形の怪鳥から、自分をはじめとする生徒達を守りにきて。早く。
そのとき、旋回していた怪鳥のうち一羽が、こちらへ向けて突進を始める。アミリアは仁王立ちで迎えようとして、寸でのところで、その向かう先が自分でないことに気付いた。
別の生徒が狙われている。ハッと顔を向けた先には、怯えて立ち竦む、分厚い眼鏡をかけた少女がいた。服装からして学院の手伝いらしく、魔術は使えないのだろう。このままだと怪鳥に襲われて怪我をするのは彼女だ。シナリオが変わった――いや、シナリオでも、アミリア以外にも襲われた生徒はいたはずだ。ただ、ヒロインが助けたのが、たまたまアミリアだっただけで。
「危ない!」
その答えに至った瞬間、アミリアはイベントのことなど忘れ、杖を取り出していた。
空気中の湿度と温度、風の向き、これから作られる氷の粒と、それを擦り合わせるための理論――アミリアの頭は、素早くそれを計算し、構築した。
「イクシオン・ヴォルト!」
閃光が走ると共に、バリバリバリッ、と空気が引き裂かれるような激しい音が轟き、それにコンマ数秒遅れて魔物の叫び声が響く。ビン底眼鏡の少女は、その眩しさと激しさに、腕で顔を庇っていた。
やがて、ギイ、と力ない声と共に、怪鳥はボトンと地面に落ちた。アミリアは杖を突きだしたまま立ち尽くしてしまっていた。
「いま見てた? 何があったの?」
「さあ、雷魔術ってことしか……」
「それより、なんでこんなところにフェラコトルが……」
他の生徒達が口々にぼやく。アミリアは空を見上げたが……、雷魔術に慄いたのだろう、残りの二羽はギイギイと鳴きながら羽ばたき、去っていくところだった。
誰にも怪我はない。よかった。ほっと胸をなでおろしたアミリアは……はたとイベントの存在を思い出した。
……私は襲われていない。ヒロインはどこ!? 慌てて周囲を見回すが、黒髪の少女などどこにもいなかった。
「な、な、ギルベルト、いまの見てた?」
代わりに聞こえた声は――シュトルツのものだ。
「見た」
「すごくね? 雷属性なのかな、聞いてみよ、ねー、そこの、眼鏡とおさげの子」
丸眼鏡におさげの三つ編みをしているアミリアは、おそるおそる振り向いた。金髪の少年と、銀髪の美少女のような美少年……。攻略対象であるシュトルツ・アハ・モントと、同じく攻略対象である帝国皇子ギルベルト・アハト・クラフト……。
「さっきの雷魔術、めちゃくちゃ速くてめちゃくちゃ強かったよな! 雷属性なの? つかフェラコトルに襲われて同級生助けるとかめちゃくちゃ格好良くない? 名前は?」
まるでオモチャを見つけた子どものように好奇心いっぱいの目を輝かせ、矢継ぎ早に、訊ねてくるシュトルツ。
「困ってんだろ、やめてやれ」
それを静かに諫め、なんなら「大丈夫か?」とアミリアに怪我がないか心配する、他の生徒達よりスマートな素振りを見せるギルベルト。シュトルツとは対照的な無表情だが、どことなくその目もとが優しく、大人びている。
「あ、ありがとう……ございます、大丈夫です」
「手、掠ってんぞ」
ギルベルトは無表情とぶっきらぼうな口調のまま、躊躇いなくアミリアの手を取った。まるで社交界でリードするように優雅な仕草で、それに見惚れているうちに、もう一方の手が杖を取り出し、その口が素早く治療呪文を唱えた。アミリアの手の甲にできていた掠り傷は、瞬く間に消える。
帝国皇子ギルベルトは、父たる皇帝の政治のやり方に反発心を抱いていて、一方で皇位継承者としての責任感も持っているため皇帝の手腕も認めざるを得ず、その葛藤がいつも心に暗い影を落としている。しかし、見た目の無愛想さとは裏腹に心優しい青年で、ヒロインのことをいつも気にかけ、アミリアの代わりに虐められ始めたヒロインの異変にすぐに気が付いてくれる。タロスピで強火担がいるとすればギルベルトだ。
「ねー、そんで名前は?」
「あ、はい、アミリア・ソウティールと……」
「俺ねー、シュトルツ・アハ・モント。タメ口でいいよ、俺ら学生だし、ってか俺人質だし」
「俺はギルベルト。で、お前はそういう自虐やめろ、反応に困るから」
そうそう、この遣り取りが交わされる瞬間、ゲームのテーマ曲が――なんて思い出していたアミリアは、はっと気が付いた。
遣り取りが交わされるのはヒロインとの間であって、アミリアとの間ではない。
ヒロインは一体どこへ? 慌ててヒロインの姿を探せば、二人の向こう側のさらに向こう側、門の向こう側に、黒髪の少女が見えた。
「かっ……」
「か?」
「解釈違いだから!」
どうして、どうしてあと一分早く来てくれなかったの! そう心で呪いながら、アミリアは二人を置き去りに駆け出していた。
自分のせいで解釈違いが起こってしまった。『蒼穹の間』で行われる入学式の間、アミリアは深く反省し、項垂れていた。
本来、あの場にいるべきはヒロインだった。怪我をするのではアミリアでなくヒロインで、それをギルベルトが治療することで、シュトルツとギルベルト両方との関係を深めることにも繋がるはずだった。しかし……。
いや、まだシュトルツルートの余地は残っている。アミリアは気を取り直して顔を上げる。これから、ヒロインと攻略対象を奪い合う悪役令嬢に虐められ始めるのだ。そんなアミリアをヒロインが庇い、悪役令嬢の標的がヒロインに移り、しかしヒロインはめげず、そんな健気なヒロインにシュトルツが惹かれていく……。
そのシナリオを頭で反芻したアミリアは、悪役令嬢に虐められるのを待つべく、「時計塔の掃除係」を率先して引き受けた。悪役令嬢は、魔術も使わずに手作業で掃除をするアミリアを見て、厩舎から持ってきた桶で水をかけて、汚らしいドブネズミだと鼻で笑うのだ。
次の日の昼過ぎ、早速掃除をしながら、アミリアは待っていた。悪役令嬢よ来い、早く来い。いますぐ水をかけに来い。
そうして必死に時計塔の前を履き続け――「あらあ、あんなところに手で箒を使う方がいるわあ!」高慢な声に、弾けるように顔を上げた。
悪役令嬢の登場だ! アミリアは救世主を見つけたような表情になり、一方で悪役令嬢は取り巻きを背景にたじろいだ。
「な……なによ? 私、別にあなたを労わりに来たわけじゃないのよ!」
「それは、うん、もちろん。分かってるから、安心して」
さあ早く、その腰の鞘から杖を出して、その水を私にかけて。ああでも、ヒロインが現れるまでは待ってほしい。そうなければ、シュトルツのヒロインへの好感度が上がらない。
そうしてじっと立ち、様子をうかがうアミリアが不気味に映り、悪役令嬢はたじろいだ。これから何をされるのか、分かっていないはずがない。それなのになぜアミリアはこうも冷静に、堂々と立っていられるのか。
いや、考えすぎだ。悪役令嬢は意を決して杖を手にする。掃除ひとつするのに魔術も使えない、ファミリーネームも聞いたことがなく、およそ有力な貴族とは考えにくい。ちょっと嫌がらせをしたところで、困ることなんて起こりようがない、と。
「魔術も使わずに掃除するなんて、大変でしょう! 私がほんの少しお手伝いして差し上げるわ!」
悪役令嬢が杖を構え、桶から水をすくい出し、アミリアにかけるための理論を構築し始める。構築に時間がかかりすぎて、アミリアには奇妙な待機時間が生じてしまった。が、ぐっと堪える。
「アクア・フリングス!」
よっこいしょと腰でも上げるようなのろさで、桶の水が取り出される。
避けてもいいだろうか。いやよくない。アミリアは必死に自分に言い聞かせ、仁王立ちになる。
相変わらずあまりに堂々とした態度に、悪役令嬢は怯んでしまった。しかし、幸か不幸か、その動揺によって、桶から出た水球は不意にポーンッとボールのように弧を描いて――いいぞ、とアミリアは内心で声援を送った――アミリアの頭上に落下した。バシャンッと激しい水音と共に弾け、アミリアを中心にその場が水浸しになった。
アミリアが構えていたのは気のせいだったのだ、悪役令嬢はそう自分に言い聞かせながら得意な顔をした。
「あーらっ、ごめんなさい! でもその小汚い恰好、あなたにお似合いよ、ドブネズミさん!」
今度こそシナリオ通りだ。ぐっと握りしめた拳には、ひたひたと髪から雫が零れ落ちる。…………。
ヒロインは現れない。
「……どうして?」
愕然としたアミリアは、氷色の髪が張り付いた顔を上げた。悪役令嬢達は、突然喋り出したアミリアに僅かに慄き、しかしすぐに「どうして、って、そんな、おかしなことを言うのね!」と慌てて取り繕った。
「ソウティール家なんて聞いたこともないわ! どうせ金でファミリーネームを買った程度の家なんでしょう? そんな庶子がこのタロック魔術学院で学ぼうだなんて、身の程を弁えなさいな!」
「そうじゃなくて。どうして、助けに来てくれないの?」
呆然とした目で、アミリアは見つめ返す。助けに来てくれないと嘆きながら、眼鏡の奥の目はまるで悲しんでなどいない。そのギャップの不気味さが、悪役令嬢達の背筋を震わせた。
「助けるだなんて、私達が悪いことでもしたみたい! 魔術を使えないあなたが手間取ってるから手伝って差し上げたのよ! 平民は常識も身についていらっしゃらないのね!」
しかし、アミリアはそれに気付かない、いやもとより彼女らなど眼中になかった。ヒロインはどこにいる、必死に辺りを見回すが、この学院唯一の黒髪はどこにも見当たらない。なぜ、このときのヒロインは教官の頼まれごとを引き受けて、時計塔下の広場を見渡せる回廊を通るはず。それなのになぜ、ヒロインは、ここに通りかからない――。
「うっわー、伯爵令嬢が平民いびってるーう」
ハッと、その場の全員が顔を向けた。この状況にそぐわぬ、呑気で間延びした声の主は、時計塔の上からアミリア達を見下ろしていた。
濃紺の髪はツーブロックで、後ろから前へ斜めに切り落としたような形で、アミリア達を見下ろす顔に少し影を落としていた。目を凝らせば、優し気な垂れ目と緩く笑んだ口元が見えた。
オスカー・ツェーン・ラートデスレーベンス……! アミリアは愕然とした。
田舎子爵の次男でありながら、その顔つきも態度も軽薄そのもので、例えばヒロインには出会いがしらでセクハラをかまし、例えば帝国皇子のギルベルトにすらろくに敬語を遣わず、それどころか「俺のほうが先輩だから」とタメ口をきく。一見して頭弱いキャラだし、実際試験はダメダメで、オスカールートではなぜか一年生のヒロインが三年生のオスカーに勉強を教えるイベントが発生する。ヤマハリに成功すると好感度が上がる。
がしかし、実は学院指折りの魔力量を誇るうえ、鋭い観察眼と深い洞察力の持ち主。しかも、恋愛対象は女なのにヒロイン以外の女生徒とはカップリングが成立しない、そんな厄介キャラだ。
そのオスカーが、なぜ私を……! 驚いた顔で見上げていると、オスカーは「そこ、そっちの、髪が紫色のヤツ」と悪役令嬢を示した。
「アンタの魔術で時計塔に泥が跳ねたんだけどさー、これ教官にチクッちゃおうかなー」
「なっ……私のせいではありませんわ! この平民が邪魔なところに立っていたのが悪いんでしょう!」
「でもなー、魔力痕跡が残るからなー。伯爵令嬢の仕業だってことはバレるだろうなー」
意地悪く笑みながら、オスカーは時計塔から飛び降りた。落下中、その口が素早く動き、地面からほんの数センチ離れたところで一瞬止まり、まるで何事もなかったかのように着地する。きっとポケットに入れたままの手は杖を握りしめていたのだろう。オスカーのキャラクターが分かる描写だった。
悪役令嬢がたじろぎ、オスカーがにんまり笑いながら手を差し出した。
「黙っといてあげるよ?」
カツアゲだった。悪役令嬢はわなわなと肩を震わせ、金貨を一枚、その掌に置く。
「っ……覚えておきなさい!」
そして、彼女が立ち去った後、オスカーはピンと金貨を弾いて寄越した。
「わっ、と……」
「それで新しい制服買ったら?」
「あ、ありがとうございま……って……」
咄嗟にお礼を口にしようとしたアミリアは、金貨を握りしめて地団駄を踏んだ。
「だから解釈違いッ……!」
オスカーとヒロインの出会いは『饗宴の間』、食事を運ぶアミリアが足を引っかけられて転びそうになり、それをヒロインが抱き留め、制服を汚したところにオスカーが現れ「これ貸しね?」と冗談めかしながらハンカチを差し出す。以来、オスカーはアミリアにうざ絡みじみた接し方をするようになるが、実はいざというときに大事な視座を与えてくれる存在となる。
それなのに、ヒロインと絡まないなんて……! アミリアは遂に頭を抱えた。
「オスカー先輩!」
アミリアはついゲーム内の呼称を口にしてしまったが、オスカーは「うんうん、オスカー先輩だよー」と雑な返事をするだけだった。
ヒロインを知らないか、と訊ねると、オスカーは特段興味なさそうに首を傾げた。
「あー、あれだよね、話題の美少女。確かアイツと一緒にいるの見たよ。シュトルツ、アインホルン王国王子」
そのときのアミリアはほっと胸をなでおろした。多少シナリオに違いはでているものの、ヒロインとシュトルツのルートが進んでいるのだ、と。
が、その安堵は勘違いだった。こっそり偵察がてら饗宴の間を覗きに行くと、ヒロインはギルベルトと親しげに話していた。シュトルツはどこにも見当たらない。
おかしい。シュトルツとギルベルトは非常に仲が良く、どのルートでも二人が離れて行動していることはほとんどない。ある程度好感度を上げなければ、単独イベントは発生しないはずだが……。
「おい、何してんだ」
「ヒッ」
後ろから声をかけてきたのは、炎のように赤い髪を女の子のようなショートカットにし、それに似合う可愛らしい顔立ちでありながら、眉間に深いしわを寄せている男子生徒だ。
「新入生か?」
今度はヴォルフガング・ツヴェルフ・ゲヘンクテ……! 続けざまに攻略対象が登場して驚いたというだけでなく、まるで呻っているかのような声に、アミリアは思わず縮みあがった。
ヴォルフガングは貧しい平民の生まれで、しかし子のいない伯爵家が顔立ちの小奇麗さに目を留め、養子にと買った。金のために自分を売った実の両親を恨んでおり、また実妹を一緒に引き取ってくれるようにという頼みを拒んだ養親に対しても複雑な感情を抱いている。結局、実妹を世話係として雇ってもらえたものの、自分が比較的美少年だったという理由だけで貴族の生活をしていることに負い目のようなものを感じ、しかし実妹を真正面から慮るほど素直にもなれずにいる。結果、見た目とは裏腹に口調は乱暴だし、いつだってなにかを睨みつけるように眉間にしわを寄せている。
今もそうだ。せっかく可愛らしい目を苛立ちに歪ませながら、ヴォルフガングは饗宴の間を睨みつけた。
「使い方分かんねえのかよ、ついてこい」
しかし、「兄貴と呼びたい攻略対象ナンバーワン」と呼ばれるほどの面倒見の良さがあり、何かにつけてヒロインの世話を焼いてくれる。例えば、ヒロインがアミリアを庇ったせいで嫌がらせを受け始め、危険な『人魚の湖』に行かされようとしているのを止めてくれ、その後は、悪役令嬢を「次見つけたらタダじゃおかねえ」と荒くれ者のごとく脅迫する。お陰で、ヒロインはヴォルフガングがいる前でいじめられることはなくなるのだ。
「え、いえ、分からないわけでは……」
「んじゃなんだよ、入りにくいってのか? 来いよ、一年は大体東側に座ってんだ」
たじろぐアミリアに構わず、ヴォルフガングは顎で扉の向こう側を示し、貴族とは思えないほど品のない仕草ではあるが、アミリアが座りやすそうなテーブルを案内してくれる。
「つか昼時の『饗宴の間』なんてなあ、大抵の連中が飯食いに来てんだから混んでんだよ。門の前にパン売りに来てんだろ、あれ買って広場で食ったほうが美味いぞ、腐った貴族連中も少ないしな」
そう、このイベントが発生することで、お昼には『饗宴の間』だけでなく『広場』も選べるようになるのだ。そして『広場』へ行くと、ヴォルフガングとオスカーがいて、二人の好感度アップイベントが……。
「だから解釈違いだって言ってるじゃないですか!」
ダンッとアミリアは両拳をテーブルに振り下ろしてしまった。周囲の貴族は驚き食事をする手を止め、ヴォルフガングは眉間にしわを寄せたまま器用に眉を吊り上げる。
「広場はいいぞ。違うってんなら行ってみろ」
「そういう話をしてるんじゃないんです、ヴォルフ先輩!」
もちろん、アミリアはヒロインとヴォルフガングをくっつけたいと思っているわけではない。むしろ、アミリアはオスカーとヴォルフガングの友情エンドが最も理想的なカップリングだと考えていた。
ただ、その友情エンドのためには、ヒロインがヴォルフガングの閉ざされた心の扉を開くことが不可欠なのだ。アミリアは頭を抱えた。
「どうしてみんな仲良くしてくれないんですか!」
「貴族連中と仲良くして堪るかよ。つかなんで俺の名前知ってんだ」
「どうかしたんですが、ヴォルフ先輩」
そこへひょいと顔を出した人物に、アメリアはもうろくに反応することができなかった。
エメリヒ・ゼヒ・トゥルム。指折りの名門伯爵家の嫡男で、学院2年生ながらその魔術レベルは歴代トップクラス。光に透けるアッシュグレイの髪と垂れ目で、泣きぼくろがあざとく、男性ながら妖艶な魅力があり、現に学内のあらゆる令嬢を虜にしている。それだけではない、妙にひとたらしなところがあり、相手の階級や学年に関わらず仲良くできる。帝国皇子ギルベルトと王国王子シュトルツは、高嶺の花だし、相手に壁を作るところもあるしなので、学院で一番人気のある男子生徒といえばエメリヒという設定だった。
「もしかして幼気な一年生をいじめてるんですか? だめですよ」
「いじめてねーよ!」
「大丈夫? ヴォルフ先輩、顔つきは怖いけど中身は優しいからね、安心していいよ」
なお、エメリヒは女癖が悪い。ゲーム内ではその理由がはっきりと描かれることはないが、原因が出自にあることは明らかだ。実は妾腹で、伯爵が表向きにはそれを伏せて嫡男ということにしており、継母・異母姉妹との仲が微妙なのだ。
実はそんなエメリヒは、アミリアが唯一推していないキャラだった。セリフの意図がいまいち読み切れないし、エメリヒルートを選んでもそのキャラを掴み切れず、女癖が悪いという意味でも苦手だった。しかも、エメリヒルート以外では「自分探しの旅に出た」エンドになる。
「……大丈夫です」
「警戒しないでいいよ? 俺は平民の子には手出さないって決めてるからね」
パアンッとヴォルフガングがエメリヒの頭を叩いた。他人との垣根が低いエメリヒは、こうしてヴォルフガングとも仲が良い。
「くだらねーこと言ってないで、一年同士で仲でも取り持ってやれよ」
「あ、いえ、私はそういうのは大丈夫です、はい」
推しのヴォルフガングを見ていたかったが、これ以上解釈違いが起こっては堪らない。エメリヒは「遠慮しないでいいのに」と眉尻を下げるが、アミリアはすかさず後ずさり、脱兎のごとく逃げ出した。
おかしい、おかしいおかしいおかしい。どうしてゲームどおりに進まない。どうしてあの人たちはヒロインと絡み始めない。
もちろん、一番最初に自分が魔術を使ってしまったことが全ての歯車が狂った瞬間だというのは分かっている。しかし、ヒロインがアミリアを助けることが様々なイベントのトリガーとなっているので、アミリアが酷い目に遭わされているところにヒロインがやってきて助けてくれさえすれば、物語はもとの通りに進み始めるはず。そうだ、だからもっとヒロインが助けやすい形で虐められなければ!
そう決意したアミリアは、次の日、授業の前に魔術学の本を取り出そうとして、歓喜した。魔術学の本が鋭利な刃物かなにかでズタズタに引き裂かれていた。もう一度読むことのない初歩的な本なので問題ないし、なによりこんなにも分かりやすい虐められ方はない。
アミリアは、それをそっと机上に置いた。階段式の教室では、一番前に独りぼっちで座るアミリアの机上はよく見え、クスクスという笑い声が空間を包み込む。
さあ、ヒロイン、助けて。
「まあ……!」
すぐに、そんな声が嘲笑を切り裂き、教室内を駆ける音が響く。アミリアは顔を上げ、相手を見て心から感謝の笑みを零した。純日本人風の美少女、ヒロインだ。
「大変……誰がこんなことをしたの? 大丈夫、アミリア?」
話したこともないのにアミリアの名を知っている。ゲームのシナリオどおりだった。ヒロインは、アミリアを魔物から助けたとき、名を聞く前に逃げ出されてしまい、教室内の点呼でその名を覚える。
「……どうして私の名前を?」
ゲームで、アミリアはそう訊き返す。
「どうしてって、大事なクラスメイトの名前を知らないわけないでしょう?」
そして、ヒロインもそう返す。相手がどんな人であるかに関わらず、その名前をしっかり覚えていること、特に虐められてしまうような庶子設定のアミリアに「大事な」とごく自然に口にすること、いずれも、クラスにいるシュトルツとギルベルトの好感度を上げるものだ。
が、アミリアには少し引っかかることがあった。ヒロインの声が、少し棒読みのように聞こえた気がしたのだ。
まさか、そんなはずはないのだが、いやしかし。アミリアが内心困惑していると、ヒロインが「ね、それより教科書、大変ね」と、自分の席から同じ教科書を持ってくる。
「よかったら、私のを使って」
その視線が一瞬泳いだ。これは、どういうことか。
「……いいの?」
「うん、もちろん」
混乱しながらもシナリオどおりに進めようと頑張っていたアミリアだったが、気付いてしまった――ヒロインの視線が、まるでアピールするようにギルベルトに動くのを。
「この教科書、初歩の初歩でしょ? 私、ここに書いてあることはぜんぶ覚えてるから、遠慮しないで」
セリフが違う――! 様々なカップリングを楽しんだアミリアは、タロスピを何周もしており、特に各ルート共通のこのシーンは十回以上経験していた。だから思い出せてしまった、ここでのヒロインのセリフは「その代わり、隣に座っていい?」で、押しつけがましくなくアミリアを独りぼっちから救うのだ。
それが、自分の優秀さを誇示するようなセリフに変わってしまっているなんて……! アミリアは衝撃というよりはショックを受けた。確かに、ヒロインはできることをできないと嫌味な謙遜をするタイプではない。しかし、こんな風に自慢げにはしないし、相手に「すごいね」と言わせるようなことも口にしない。
アミリアは、予想外の展開に二の句を継げなかった。
もしかして、解釈違いが起きているのは、ヒロインだったのかもしれない。
その懸念は杞憂で終わらなかった。以後、確かにヒロインはアミリアを助けてくれたが、そのセリフはいつもわざとらしく、棒読みで、しかも決まってギルベルトの前だった。どうやらヒロインはギルベルトが好きらしい。
もちろんアミリアはギルベルトルートも否定はしないし、なんならあり寄りとも考えていた。しかし、ギルベルトは、肩書に惑わされず一人の学友として接してくれるヒロインの態度によって、帝国皇子としての重圧から解放されるのだ。しかし実際のヒロインは、ギルベルトと話すときに「さすが帝国皇子は他の方とは違うのね!」と地雷を踏みに行っている。あれではギルベルトに好かれないどころか救われない。
どうしよう。広場で昼食をとりながら、アミリアは眉間に深いしわを刻んだ。ヒロインがルートを間違えているどころか、ヒロイン自体に解釈違いがあったことが発覚した。まさか、ヒロインが「可哀想なアミリアを助けてますアピール」「魔術レベルが高いですアピール」を果敢に行う打算的なキャラクターだったなんて。
理想的なカップリング、改めて考えるしかないか――。アミリアがそんな諦念を溜息に変え、空を見上げると――「わっ」とふざけた声と共に、オスカーの笑顔が割り込んだ。
「……びっくりしたじゃないですか」
「驚いてなくない? でもごめんごめん、アミちゃんが一人でご飯食べてるから声かけてあげよって、ヴォルフが」
「言ってねーよ!」
ヴォルフ先輩、言いそう……! アミリアは解釈一致に深く頷いた。ただし、そうして声をかける相手はヒロイン(ただしゲームにいたほうの)であってほしかった。
オスカーはごく自然にアミリアの隣、ヴォルフは隣のベンチに座り、それぞれ昼食を取り出しながら「どお、学校慣れた?」と訊ねる。
「はい、まあ、お陰様で……」
「広場で昼飯食ってるんだもんね、ツウだよ、ツウ」
「饗宴の間なんて気取った貴族連中しか使わねーからな」
「聞き捨てなりませんね、ヴォルフ先輩」
冷ややかな声に驚いて顔を向けると、ギルベルトとシュトルツが並んでやってきた。二人はオスカーの隣のベンチに座り、「あれえ、シュトにギルくん、珍しいね」なんて、この学院の最高身分でありながら馴れ馴れしく声をかけられる。
「饗宴の間で食わないの?」
「ええ、まあ」
「聞いてやってオスカー先輩、最近のギル、クラスの女子につけ回されてんの。それが鬱陶しくて遂に逃げてきたの」
そのクラスの女子というのがヒロインでないことを祈った。いや、もうヒロインでもいいのかもしれない。いまアミリアが考える理想のカップリングは、ギルベルトとシュトルツの友情エンドだ。これによって、シュトルツは政治的な意味で人質の立場から救われるかもしれない。
「まあねえ、帝国皇子様ですものねえ、本当は俺みたいな下級貴族が話しかけることも許されないお相手ですからねえ。皇子、果物恵んでくださいよ」
「そこらへんの木の実でも食べていてはいかがですか?」
「うっわ、冷酷非道の残虐皇子だ。そのときがきたらお前が皇帝になれねーよう妨害工作してやるからな」
帝国皇子相手にあるまじき暴言だったが、ギルベルトはシュトルツ以外にも対等に接してくれる相手をいつも探しており、ゆえにオスカーはギルベルトにとっていい先輩という位置づけだった。それを隣で見ていたアミリアは、母のように微笑んでしまう。ヒロインに解釈違いはあれど、二人はいい関係でなによりだ。
「なんだか仰々しいメンバーが揃ってますねえ」
「なんだエメリヒ、お前まで来たのか」
「なんだは酷いじゃないですか、こんにちは、アミリアちゃん」
「……こんにちは」
が、アミリアの眉間のしわがなかなか取れない理由、そのひとつはヒロインに解釈違いが生じていること、もう一つは、こうきて攻略対象が揃いも揃ってアミリアの周りに集まってくることだった。
ゲームでは、攻略対象とアミリアにはほとんど絡みがない。ちゃんとそれぞれ理想のカップリングになるようにゲームシナリオを守ってほしい。アミリアはいつもそう念じているのだが、攻略対象はお互いに仲が良く、一人に出会うと残りもつられてやってきてしまうのだ。猫に餌をあげているといつの間にか猫が増えているかのように。
エメリヒはヴォルフガングの隣に座り「目立ちますよ、こんなところに話題の生徒が揃い踏みだと」と嘯く。攻略対象は、それぞれがそれぞれの理由で学院の話題の的なのだ。
「知らねーよ、どこで飯食おうが俺の勝手だろ」
「またヴォルフ先輩はそんな乱暴な言葉遣いして。伯爵令息でしょ?」
「知らねーよ、潰れちまえあんな家」
「いやそう言わずにさあ、財産くらいもらっときなって。世の中理想だけじゃ生きてけないんだって」
「オスカー先輩ってたまに現実ちゃんと見るよね」
「おい普段現実見てないみたいな言い方やめろ」
「だって普段は女生徒の尻しか見てないでしょ」
「やめろよアミちゃんの前だぞ!」
いや、オスカーが軽薄キャラを演じるためにそうしていることは知っているので全く構わないしどうでもいい。アミリアは無視して、ただ水を飲んだ拍子に視界に水滴がつき、眼鏡をとった。
その瞬間、「あれ?」とエメリヒが怪訝な声を発する。
「……アミリアちゃんって、そんな顔だったっけ?」
「え? なんのことですか?」
ひょいと、アミリアは慌てて眼鏡をかけ直した。しかし、エメリヒの言葉でその場の全員が眼鏡を外したところを見ていた。
もともとアミリアは、もとの姓を名乗ることが許されなくなった際、特殊な魔法を施された眼鏡を渡されていた。万が一アミリアの顔を知る者が学院にいたとしても気付かないよう、瞳は藍色でなくグレイで、目それ自体が小さな三白眼に見えるもの――つまり簡易な変装道具だった。
「……俺、見てなかったや。ねーアミリア、もう一回外してみて」
「いや。私、酷い近眼だから。眼鏡を外すと何も見えなくて怖いから」
「だいじょーぶだいじょーぶ、俺達がついてるって。ね!」
「いえ無理です。あ、私、ちょっと用事を思い出しましたので、お先に失礼しますね!」
エレミート家の令嬢だと知ることになるのはヒロインだけ、これ以上ゲームシナリオを歪ませるわけにはいかない。アミリアは手早く昼食を片付け、攻略対象から逃げだす。
このゲームシナリオを早く攻略し、推したちが幸せになれるカップリングを考えなくては。ヒロインの引き立て役に転生したアミリアは、今日もそうして推しの幸せを願う。