切欠
「羽山です、5機撃墜1機離脱を確認。戻ります」
『ご苦労。恐らく近海に居る空母からの出撃だろうな』
「追撃しますか?」
『いや、そのまま戻って良い』
「了解」
スロットルレバーを前に倒し出力を上げる。エンジン音と過給機の金属音が混ざった独特な音を聴きながら、なるべく低く速く飛んで哨戒網に引っかからないように基地を目指した。
陸地を出て海上に出ると、地図と地形を見比べて現在位置を割り出し、そこから基地の位置を推測して少し右に転舵した。スロットルレバーを手前に引いて速度を落としつつ海面を見回す。
「この辺りだった筈だけどなぁ」
そんな事を呟いていると、真正面の水平線上に母艦を視認した。家に帰って来たような安心感を感じつつ、距離を縮める。
母艦の上空を一周回ると、着艦の為に一度離れて旋回し、車輪を出す。
「羽山、着艦します」
『風が強いから気をつけろ』
「了解」
外見は大型の貨物船にしか見えないが、船体後部のシャッターが開くと飛行甲板が隠されている。
そこにピンポイントで着艦しなければいけない為、この瞬間が一番緊張するのだ。
誘導灯を頼りに接近し、失速ギリギリの速度でシャッターの中に飛び込むと、着艦と同時にブレーキを目一杯かけて減速して止まった。
「着陸成功」
ふうっと息を吐き出すと、体の緊張がほぐれていく。そのまましばらくアイドリングした後エンジンを停止して、駐機位置までトラクタに牽引される。
この時間がとても心地良くて好きだ。
生きて帰って来たと実感出来る。
「お疲れ様です。今度の過給機はどうでした?」
トラクタのエンジンをとめて、整備士兼エンジン開発者が声を掛けて来た。
「この前のよりもハーフスロットルくらいの領域が力強くて良かったです。高高度での出力特性の確認が出来なかったので、そこはまた別任務の時に確認しますね」
コックピットから出て主翼の根本に立って整備士に答えた。
「よろしくお願いします」
整備士は狙っていた性能に近かったのか、すごく嬉しそうだ。
航空帽を脱いで髪をおろすと、背中の中程まで髪が垂れた。そして、整備士が用意してくれた脚立をつたってようやく降り立つ事が出来た。
身長がある程度ある操縦士なら飛び降りても問題ないのだろうが、それをやるにはこの体は脆く小さい。空を飛べるだけ幸せだと言い聞かせて、整備士に頼るしかない。
「そういえば、鮫島艦長が呼んでました。補給地での交渉の件だと言ってましたよ」
「忘れてた。陸に上がるのは嬉しいけど、補給地の隊長が面倒なんだよね…。伝言ありがとうございます」
小走りで飛行甲板の端まで行くと、階段で操縦室を目指す。
「羽山さん!今回の敵機どんな形でした?」
「このまえのと同じ形だった!艦長に呼ばれてるからまた!」
食堂で休んでいた仲間操縦士に返すと、再び歩き出す。
「チトセ!今度の機銃はどうだった?」
「威力抜群!ただ、見越し射撃を意識しないと当たりにくい!艦長に呼ばれてるからまた!」
トイレから出てきた銃器の開発者に返す。
艦の大きさがかなり大きいので、艦長室まで向かうだけでもだいぶ体力を使う。
船尾にだいぶ進んだ場所でようやく艦長室に到着した。襟を整えてからドアをノックする。
「入れ」
ドアの奥から低い声が返ってきた。
「失礼します」
ドアを開けると、飛行服を着た艦長がダラっとソファーに沈んでいた。
「もう飛行服着てたんですか」
ドアを閉めると、テーブルを挟んだソファーに向かい合って座る。
「敬語はよせよ」
「一介の操縦士が鮫島艦長にタメ口きけるかよ」
ニヤッと笑い答える。
「ははっ!よく言うぜ」
明らかに年齢が離れているが、あたかも友達のように話す二人。
それもそのはず、二人は同じ時期に軍人になっているのだ。
まだ二人が現役だった頃、羽山は交戦中に落雷に遭い墜落。無人島に不時着した。当時、軍の操縦士でも名前を知らない者は居ない程の名手は、唯一の被撃墜を記録してしまった。
自然が相手じゃ敵わない、空の名手は空に還ったのだと、未帰還のベテランを偲ぶ声は各地で上がった。
その時の記憶は曖昧だが、墜ちていく機体を立て直そうと操縦桿を引いている最中、コックピットのすぐ外に少女の姿を見た。
噂には聞いたことがある。これが制空天女か。
「俺はしっかりやり遂げましたか?」
オーバースピードで波打つ主翼、固まった操縦桿。
悲しむような、微笑むような、複雑な表情を見た。
「天女様、最期に拝むことが出来てよかった。ありがとう」
優しく笑いかけると、キャノピーをすり抜けて抱きしめられるような感覚と、一瞬、心臓が妙に早く動いたのを覚えている。そしてまた一人になった。
「夢でも見たのか…」
ボソッと呟くと、操縦桿を折る勢いで手前に引き寄せる。
時速700キロを超えた機体。理論上は空中分解する速度域なのに、まだ主翼は機体を制御出来ている。
冥土の土産にいい記録が取れそうだ。
音声録音機に記録する為に、速度を読み上げる。
「710…715、主翼の振動が酷い。718…油圧低下、エンジン出力低下、右翼端が剥がれた。エンジン停止」
重なった紙が風で飛ぶように、破損した主翼の翼端がペラペラと剥がれていく。
徐々に水平になって行く機体。この機体をバラしてストレスがかかっている場所を突き止めたら、更にしなやかな機体を作れる。
「まだまだ余地がある…!」
フフフっと笑いながら尚も操縦桿を手前に引き続ける。機体は海面スレスレで水平に戻った。だが推進力を失った不安定な機体は、そのまま無人島の砂浜に胴体着陸した。プロペラは曲がり、右の主翼は根本から折れた。燃料に引火しなかったのは不幸中の幸いだったが、あちこちに頭をぶつけて額から出血している。
「こちら羽山、応答願います」
無線に言うが、壊れて何の反応も無い。痛い程に静かな機内と砂浜の波の音。夏場だったら飛び込みたいが、季節は冬になりかけていた。
「くそ、電気系統は全滅か。みんな無事帰還出来たかな」
そこまで言うと、眠るように気絶してしまった。
どのくらい時間が経ったのか、それとも何日が過ぎたのか。キャノピーを叩く大粒の雨の音で目を覚ました。
「まだ生きてる」
状況を把握する為に、自分に言い聞かせる。出血していた額は乾き、赤黒く変色した血が顔面に貼り付いて気持ち悪い。
目が覚めてすぐだからか距離感がおかしい。いや、距離感は合っている。手足が届いてない。操縦桿にもラダーペダルにもかろうじて届く程度だ。
それに靴も手袋もぶかぶかだ。
「ま、雨がやむまでは大人しくしとくか」
操縦席に深く座り直して、雨音を聞きながら目を閉じる。
それから少しして、救助隊が到着した。
機体を確認したが、ぶかぶかの飛行服を着た小柄な少女が一人乗っているだけで、探している操縦士は居ない。
名前は居なくなった操縦士と一緒だが、性別がそもそも違う。
だが、その少女は自分が居なくなった操縦士だと言い張った。