祭りの夜明けと焦燥
夜明けとともに目を覚まし、朝一番のザンヴィル山の空気を肺いっぱいに吸いこむ。秋の最後を感じさせる柔らかい空気を肺に満たし、仕事に取りかかった。
アルティアは山麓の街のスマルまで薬を届ける仕事をしている。そのためにまず一番に馬のご飯を用意する。馬小屋に到着すると、2頭の馬が黒い綺麗な毛を震わせて鼻を鳴らしながら私を待ち構えていた。
「待っていたの?」
そう言うと、もう一度鼻を鳴らして喜んでいるようにも、急かしているようにも見えたので、急いで小屋の手前の端に置いている木箱から、昨日の内に倉庫から移し替えておいた牧草の一部を手に取り、馬の前のエサ箱に荒く突っ込んだ。馬達はよほどお腹がすいていたのか、急いで食べ始めた。アルティアは目を細め、その様子を眺める。
すると馬小屋の扉がそっと開いた。開くと軋むその扉の音に気づき、アルティアが目をやると、アルティアの幼馴染で守衛のエミルが見ていた。アルティアが笑ってエミルに話しかけた。
「おはよう。今日は早いね」
「今日から一ヶ月は朝担当だから早く起きなきゃいけなくて」
「ならミニア達の(アルティアの愛馬)朝ご飯も、一ヶ月お願いしようかな」
「馬鹿言うな、仕事が違うだろう。役割を果たせよ、アルティア」
そう言ってエミルが苦笑した。
「わかってるって。もう、仕事に向かうの?」
「そろそろ・・・かな。一緒にご飯でも食べさせてもらおうかと思ってこっちに来たんだ。いいか?」
「構わないよ。お母さんもエミル大好きだし」
そう言ってアルティアが花のような笑顔を浮かべる。するとエミルはもう一度苦笑した。その後アルティアはまだご飯を食べている馬たちの頭を撫で、扉に向かった。
アルティアの家でご飯を食べ終わったエミルは、アルティアのお父さんと守衛の仕事へ向かって行ってしまった。そしてアルティアは食器を片付け終わると、秋最後の薬草散策に向かう。ザンヴィル山に生えている高山植物の中には、そこでしか取れない薬の原料となるものが多く、アルティアはそれらを乾燥させ、スマルの知り合いの医師の元まで届けに行く仕事をしている。
いつものように残りの家事をお母さんにたくすと、アルティアは馬小屋からご飯を食べて満足し、ゆっくりしていたミニアの手綱を手早く取ると、引っ張って小屋をでた。馬は外が寒いせいか身震いして、少し嫌そうに引きずられるように出てきた。アルティアは構わず、馬具を取り付け、牧草と水が入ったリュックサック二つを首の根元に天秤のようにして取り付けた。
いつもの調子で馬に飛び乗り、そのまま山を駆け下りた。木々を避けながら、よく踏みならされた獣道を駆け抜けていく。肌にパリパリと冷気が当たる。秋の終わりの空気を感じながら、鼻で息を吸い込む。するとツンとした寒い痛さが体の内部を駆け抜けた。
ようやく目当ての場所にたどり着くと、馬から降り、手綱を近くの大木の枝にくくりつけた。あたりを見渡すと木々が枯れており落ち葉がこんもりと山を作っている箇所がいくつもみうけられた。奥にはサンディアのトマル村からほど近い、スマルの都市が見渡せる小高い丘が見えていた。アルティアは一先ず近くを散策する。
秋から冬にかけて落ち葉が多いせいで中々目当てのものが見つけにくくなっており、地面をまさぐり、葉を触って、匂いを嗅ぎ、むしってみる。
大体の薬草になる特徴の花や葉は、頭の中に入っていたが、今でも時々自分の判断か不安になる時がある。むしってからももう一度匂いを嗅いで、ようやく安心する。
アルティアは、はえているウコンの葉を少しずつとって、葉を重ねて束ねていく。次に木々を見渡すとアキグミが少しあるのがみえた。自分の分とエミルの家に渡す分。残り少ないが探せるだけ見てみることにした。
そうして薬草を取り続けて疲れたアルティアは森を少し抜け、丘の近くに座り込んだ。遠くの方にスマルが見えた。あの街はトマル村とは比べ物にならないくらい大きい。何度も街を探索しているが、到底、街全部はまわり切ることはできない。
幾分かスマルを眺めていたが、寒さがそれを邪魔する。急に肌から鳥肌が出てきて思わず足を抱えた。その体勢のまま、ゆっくり森の音に耳をすますと葉の擦れあう乾いた寂しいような音が聞こえた。
その寂しげな音をかき消すように、アルティアは少しずつ声を風にのせていった。
北の国に位置するジョラリアから吹く風は緩やかに山を登り、乾いた風をスマルまで届けているが、その風が冬になるにつれ、逆向きの風にとってかわり湿った風が南のスマルからやってきて、北の風とちょうどザンヴィル山でぶつかり合う。
そうやってサンディアへ厳しく長い冬を連れてくる。
突然どこからかスマルの言語が聞こえてきた。すぐに周りを見渡すと丘の一番上に、黒髪の少女が立っていた。ちょうど同じ年ぐらいだろうか。その少女はそのまま癖のあるスマル語でしゃべりだした。
「なんの歌ですか?」
少女は屈託なく笑いながら丘を降りて近づいてきた。アルティアは瞬きもせず、目を見開きまっすぐ少女を見つめた。
「ずっと、素敵な声で歌うので、聞いていたかったのですが、最近歌っていないので・・・もしかしたら、具合が悪いのかなって思って、心配していました。」
目の前まで近づいた少女はアルティアより背が低かった。少女が少し目線を上げてアルティアのヘーゼルの瞳を覗き込んで、私はアンナって言います、と笑顔でいった。アルティアは気恥ずかしさを感じ、その視線を外し、違うところを向いた。
「・・・・・私、アルティア」
「あ、アンナです。」
「それは、聞いたよ」
アルティアはアンナを見て指摘した。
「あ、そっか。ごめんなさい。」
「そんなことはいいの、歌、聞いていたのね」
「うん。ずっとね、素敵な歌声だから」
「・・・ありがとう」
アルティアの顔が和らいだ。するとそのままアンナも一緒に笑顔をこぼした。
「なんで最近歌わないの?」
「毎日聞いていたのね。」
「毎日じゃないけど、まあそんな感じ・・・かな。・・・で?」
「少し、不謹慎だからよ」
そう言ってアルティアは遠い方向を見つめた。
「それは・・・どうして?」
「今この村の北の国では戦争が起きているっていうのに、いつ飛び火してこちらを攻められるか分からないのに、そんな状況で私は歌えないわ」
「・・・でも、時々歌ってるね」
遠くを見つめていたアルティアがアンナを見た。アルティアは肩をすくめた。
「だって、歌いたいんだもの」
アンナが苦笑した。
「笑わないでよ。いいでしょ」
「うん。いいと思う。そんなものに負けちゃダメだよ。」
アンナが笑ってしまってごめんといった。アルティアはすぐに首を振った。
「でも、アンナの言っていることもわかる。そう思う。私もそんなものに負けたくない。」
「ね。いいじゃない。歌っちゃおうよ。何かに負けたくないから歌おう。アルティアの歌声ってザンヴィルの山に良く似合っていて、澄んだ冬の空気のように綺麗なの。歌を歌い続けて欲しいわ」
「やめてよ。そんな」
アルティアが照れていると、アンナは急に何かを思い出したのか、立ち上がって腰の砂を払い落し始めた。
「ごめん、話に夢中になってて、ちょっと今日はこれで、実は時間が今あんまりなくて、また明日同じくらいの時間にここへ来るからその時、また話そう。」
そう言ってアルティアの返答を待たず足早にアンナは立ち去ってしまった。すると空気が吹き、暖かい風を運んできたが、それは秋の気まぐれの空気だった。
アルティアはミニアのもとへ走っていった。
アルティアは家に戻っていた。家の横の小屋で明かりをつけて、夜の間に取ってきた薬を乾燥させるために、何段もある網の乾燥器に薬草を置いていく。エミルが明かりに気づき、小屋までやってきた。
「遅い時間までご苦労様。」
「あら、エミル、見回り?」
「うん。ここらへんじゃないけど明かりが見えたから寄らしてもらった。あっちでおじさんが待ってるよ。」
「待たせてるの?」
「アルティアにあってくるって言ったら待ってるって、だからもう行く。明日何かするの?」
「うん、ちょっとスマルの方から来た子かな?女の子と会う予定ができたの」
エミルは首を傾げたが、そっか、といって小屋を出ようとした。
「エミル」
出て行くエミルを引き止めるような形で後ろから背中を包み込む。
「頑張ってね、もし異常があっても無茶はしないで」
エミルは頷きもせず、振り返り、アルティアの頭を撫でた。肯定も否定もせずただ、
「じゃあな」
そう言って、出て行った。
「アルティア、どうしたの?」
昨日と同じところでアンナがアルティアと喋っていたが、話している時、アルティアはふっと遠い所を見る癖があった。アンナはそれがどうしても気になってしまった。
「あ、ううん。なんでもないよ。」
「本当?」
「うん」
そう言って力強く頷いた。アンナは逡巡し考え、答えを口に出す。
「ジョラリアとジラルトの最近の戦争のことで?それともまた別のこと?」
「うん。ごめん、上の空だったよね。それも・・・かな」
「今の情勢ではアルベリが支援しているジラルトが当然のように勝つと思うわ。こちらに飛び火する前に全て事が終わりそうだけど」
アルティアは遠くを見つめるアンナを見た。
「ただ、押されているジョラリアには同じミラゲル教のソルビラが支援するかもしれない。それが発展すれば戦争が長引いて、影響がこちらまで来るかもね。」
「アンナもそう思う?」
アンナは頷いた。
「私はミラゲル教とかに詳しくないけど、今までの歴史の流れとソルビラの現体制を見ていたら、そういう流れになってもおかしくないんじゃないかなって思ってる。まあ私の意見って言える程、答えを自分で導き出せたわけじゃないけど。」
そう言って肩をすくめた。
「ううん。間違ってないし、この地域の人じゃないのにそれを理解しているだけ、すごいよ」
「・・・ねえ、アルティアは、私のことが怖くないの?」
そう言ってアンナがアルティアの瞳を覗き込んだ。そのヘーゼルの瞳は力強くアンナを見つめ返してきた。
「アルリ人だから?」
「そう。私たちは一般的にサンディア人を差別しているわ。だから」
「・・・怖くなんてないよ。自分の目で見て心で判断して生きていきたいからね。周りに決めつけられて、偏見をもって狭い世界を生きるには、まだ若いもの。」
アンナは思わず苦笑した。
「アルティアって変わっているわ。」
「そう、よく言われるわ。でもアンナこそ変じゃない」
「そうね。私も、偏見を持って狭い世界を生きるにはまだ若いって思っているの。だから、こうして目で見たものを信じて生きていきたい。あなたが例えサンディア人だろうと、ジョラン人(ジョラリア、スマル、ソルビラ、ミュラール)だろうと、そういうフィルターで見るには私はまだ世の中を分かってなさすぎる。」
アンナが笑いながら立ち上がった。
「アルティア!今度一緒にスマルのお祭りに行こう!私こっちで友達がいないからアルティアに一緒に行ってほしい」
「スマルの?」
「そうそう、2週間後に開催するって聞いたからアルベリへ帰るまでにいい思い出を作りたいの」
アンナは無邪気に笑っていた。アルティアもつられて笑ってしまった。
「いいよ、一緒にいこう。アンナとスマルの思い出作りの為に、そして私との思い出の為に」
アルティアは心地が良くなった。何一つ状況は変わらないけど、そんなことがどうでも良くなるくらいに
アンナという不思議な引力がアルティアの縮んだ心を解きほぐして、拡げていく
それからも二人は会い続けた。それと共に、冬は段々と速度を上げて近づいてきて、祭りも段々と近づいてきた。
両親にスマルまで祭りに行くとすぐ言えたけれど、未だにエミルにアンナのことを報告できずにいた。
アルティアはこのままではダメだと祭りの1週間前に意を決した。
それはエミルが守衛と勉強時間の合間の休憩時間で休んでいる時だった。
エミルは小屋で本を読んでいた。誰もいないことを見図りエミルに近づいて、エミルが気づいてくれた所で話かけた。
「あのエミル、私、来週お祭りに行こうと思っているの」
エミルは持っていた本を地面に置いた。エミルの目線がアルティアを捉える。アルティアの顔が強張る。
「スマルへか?」
エミルの声が一段と低くなる。アルティアは一度つばを呑み込んだ。
「うん、スマルへ。アルベリの友人に誘われたの」
エミルが驚いたようにアルティアを見た。
「いつ知り合ったんだ。この間の子か?」
「そうそう、とってもいい子なの。」
エミルは極端にアルベリを嫌っている。否、アルリ人のサンディア人差別を嫌っている。
「・・・騙されてるんじゃないか?」
「エミル」
「それに、なにも今行かなくてもいいんじゃないか?」
「うん。そうだけど。そうじゃないもの・・・」
アルティアが口ごもっていると後ろから声がかかった。
「エミル、心配なのは分かるけど」
「姉貴」
エミルの姉のニネがやってきた。ニネには前々から祭りに行く話をして、エミルのことも相談していた。
「行きたいって思っている今、行かなきゃ、今度はないよ。」
エミルは眉を潜めた。
「だけど・・・」
「そんなに心配なら、エミルがついて行ったらいいじゃない。」
「仕事もあるんだ。第一アルティアだって仕事があるだろ」
ニネは肩をすくめた。
「誰かにたくせばいい。もう冬が来るけど、冬支度は大分終わっているから大丈夫。でしょう?」
「けど、隣国で戦争が起きているこんな時期に守衛の仕事を離れるわけにはいかない。」
アルティアも北国ジョラリアとその西に位置するジラルトとの間で戦争が起こっているこの時期に、あまり離れたくないと思っていた。
「アルティアのためだって村の人に言ったら、代わってくれるよ。行ってきなって。それでもまだ渋るのなら、エミルの代わりに私が行くよ」
「なんで二ネが」
ニネは眉を潜めてエミルを睨みつけた。
「じゃあ誰が見知らぬ土地でアルティアを守るっていうのよ。アルティアはもう行くって決めている。エミルがアルティアを止めれるんなら止めな。私はエミルが行かないなら行くからね。」
ニネが声を張り上げたため、アルティアは思わず怯んでしまった。エミルはいつもの事なんだろう、平然とニネを睨みつけている。そしてそのままアルティアに目を向けた。エミルはまだ少し納得していないのだろう。口角が下がっている。
「俺が行くから」
ようやく絞り出した言葉を残して、エミルは学校へ消えていってしまった。
「ニネ、ありがとう。」
「アルティアは、いろんな才能があるから、こんな山中の田舎で人生終わらして欲しくないだけよ。けど、ほんとそういうところもエミルは、分かっているはずだと思うんだけどね。どうしてかな・・・・むきになっちゃうんだよ。」
二ネがアルティアの背を押し、手を振った。
それからもアンナとは会い続けた。エミルはというと、アンナと会っていることを知ってから、ずっと不機嫌を貫いていた。
祭り当日には、二ネと近所に住んでいるリールが祭りへ行く見送りにきてくれ、アルティアの馬のミニアに馬具を取り付ける手伝いをする。そこにエミルが馬を引き連れてやってきた。アルティアが笑って手を振るが。エミルは仏頂面で頷いただけだった。ニネとリールが苦笑いを浮かべると、エミルが吐くようにつぶやいた。
「アンナがどんなやつか知らないけど、俺はアルティアのことを護衛するだけだから。」
「わかってるって、まあ私もアンナって女の子がどんな子かは知らないけど、アルベリが好きなわけじゃないからさ。そうじゃなくて、アルティアに外の世界へ出てもらいたいの。」
そう言って二ネがミニアを叩きながら笑った。
「私だけじゃなくて皆にもね」
ニネはそう言うとリールのおでこにキスをして、手伝ってくれてありがとうとつぶやき、リールがにこやかに頷いた。アルティアは準備が整ったミニアに飛び乗る。
「エミル、行こう」
アルティアがエミルに話しかけると彼は心なしか嬉しそうだった。二ネがそれを見てまた苦笑いを浮かべて手を振った。
街まで遠く、早朝の皆が寝ている時にトマル村をでたが、いつのまにか日が半周し日が落ち始めていた。
街に近づくにつれて、いつもとは違うお祭りの雰囲気に包まれているのが感じられた。それに気づくと祭りの雰囲気に心を揺らして、ミニアのスピードを上げていく。
「おい、アルティア!待てって、ミニアにも無理させるなって」
エミルが慌てて追いかける。
スマルが目の前に見えてくると、街の様子がいつもと違っていた。
家々は夜にも関わらず明るい街灯がいくつもついて、街灯と街頭の間を繋げるように赤やオレンジ仄明るい小さな豆電球が飾られていた。
「トマルの待誕節みたいね」
「ああ、だけど規模が大きいな」
煌びやかな電球が街灯といっしょに道路を照らしていた。二人は馬のまま街に入っていく。
「きれいだね。」
「・・・・ああ」
エミルは上の空だった。
「どうしたの?」
「いや、トマル村が心配だなってだけだよ」
「そうだね。けど、大丈夫よ。今年の冬を越えたら」
大国ソルビラのミラゲル教がミュラールを狙うために、少しずつ少しずつ、スマル、ミュラール、ジラルトを侵食していっている。近年それに拍車がどんどん掛かり、その宗教間の影響でソルビラの帝国主義的な姿勢に反発したジラルトと敬虔なミラゲル教の多いジョラリアが戦争をするにまで発展した。
エミルとアルティアはそれがもう少ししたら、スマルに飛び火する日がくるとよんでいた。けれど四千メートル級のザンヴィル山脈がそれを困難にさせているとも思っていた。
人や車、ましてや戦車が山を越えるのには、ザンヴィル山は過酷すぎる。ソルビラがスマルを攻めたとしても、ジョラリアがスマルを攻めるとしてもそこにはザンヴィル山が聳え国境をつくっているからだ。
ましてや過酷な冬の時期を選んで攻めて来るなど、物資を運ぶのに不利になり消耗戦になるだけリスクが高すぎる。
「・・・・今年の冬を超えたら、いや、それも怖いんだ」
「ソルビラの独裁政治に綻びが出ているからこそよね。」
「ああ」
ソルビラの現政権はとても焦っている。今のソルビラはリスクを目の前にしてでも進んでいきそうな、そんな危うさを孕んでいた。
「今日はこのまま泊まるんだろ?」
「うん。用意してくれるってアンナから聞いたから、いつもみたいに宿をサク先生の所でお願いしなくても大丈夫だよ。」
アルティアとエミルはいつも薬を売りに行っているサクの計らいで、スマルに来た時には宿に泊めさせてもらっていた。
二人は街の奥へ向かっていく。街には夜だというのに賑わっており、その賑やかさが二人を暖かく包みこむ。
アンナに事前に言われていた大きな宿の近くに来ると、黒髪の少女が外のベンチで待っていた。アルティアは近くまで馬で歩み寄りながら、手を振った。するとアンナも振りかえした。
近くまで来るとアンナがミニアを撫でた。
「遠い中ご苦労様です。今日は疲れたでしょう?宿はここに用意しているから明日に備えて」
ミニアから降りて、アルティアはありがとうとアンナに告げるとエミルを振り返った。
「こちらは今回護衛できてくれたエミル。幼馴染なの」
エミルが素っ気なくアンナをみて頷いた。アルティアはその様子をみてすぐにアンナに耳打ちした。
「ごめんね、今不機嫌なの。気にしないでね」
そう言うとアンナが笑った。
「気にしないわ。気持ちは理解できないでもないもの」
とエミルに言葉を向けた。
エミルは数秒アンナを見てから、すぐにそっぽを向いた。アルティアは、「もうエミルは」といって嘆息した。アンナはその様子を気にせずに宿へ足を向けた。
「私は父の所に一緒に宿をとっているから、明日の朝にまたこっちに来るわ。その時に一緒にスマルを廻りましょ。」
「わかったわ。ありがとう。」
アンナはそう言って宿を離れていった。
「アンナは家族と一緒にスマルに遊びに来たのか?」
「あら、アンナに興味を持ったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・」
「アンナのお父さんは外交官なの。最近の情勢を現地で調査するためスマルに来ているの。ほんとはアンナと一緒にくるなんて仕事だから出来ないけど、アンナは自費でスマルまで来てて、宿はお父さんと一緒に泊まっているだけよ」
「アンナは観光目的か?」
「観光も一部あるけど、アンナは将来外交官になりたいから、一緒に来たんだって。」
「こんな情勢で危ないのに、アンナはよくスマルに来たな。」
「うん。アンナもそれは分かっているわ。分かっているからこそ、見に来たの。」
アルティアはミニアを宿の小屋へ向かわせ、それにエミルのタール(エミルの俊馬)が続く。
「危険ってわかっていながら、この国に来るなんて気がしれないな。」
「あのさ、エミル。」
後ろを振り返ったアルティアはエミルの肩を優しく撫でた。
「俺には“優秀なアルリ人”の考えることなんて分からない。もしソルビラが起こした争いを止めてでもくれるのなら、俺はアルリ人を評価するよ・・・だけど、そんなことしてくれないだろう。」
「・・・珍しいね。他人頼りのエミルなんて」
「茶化すなよ。俺にはそういう力がないって分かっているから」
「うん・・・もうさ、ヤンドゥ―神―に祈るしかないわ。――――この話は終わりにしよう。」
ミニアとタールを小屋に休ませ、食事の乾草を餌棚に詰め込むと、二人は宿へ向かった。
宿は赤土を多く混ぜ込んでいるのだろうか。周辺の家より一際赤い。玄関は雪が積もっても扉を開けることが出来るように高いところに設置されている。階段を昇り、扉を開けると入店を知らせる鈴の音が鳴り響いた。
すると右の廊下からエプロンを腰に巻いた恰幅のいい女性が現れ、柔らかな笑顔で会釈をした。
「こんにちは、ご連絡いただいていますよ。アルティアさんですね。こちらへどうぞ」
そういってアルティアとエミルの荷物を丁寧に受け取り、肩にかけ、すぐに歩き出した。階段を昇り、右の扉の鍵を開ける。そのままの状態で後ろを振り返る。
「どうぞ、お先にお入りください」
そう促され、中に入り、女性は荷物置きの棚に二人の荷物を置く
「また、何かお困りごとをございましたら、おっしゃってください。ご飯はまたお電話でお声掛け致します。」
そう言って、出て行った。
部屋は広くはなかったが、清掃が行き届き綺麗だった。壁際のベットにアルティアが腰掛けてそのまま靴を脱いで座る。エミルはテレビのリモコンを手に取って、対面のベットに腰掛けた。
テレビの電源を入れる。
「疲れたね。」
「ああ、本当に」
「寝たい」
「けど、ご飯食べなきゃダメだろ」
「うん」
聞いているのか聞いていないのか、アルティアは座った足を崩して、横になった。
「その体勢絶対寝るぞ」
「分かってる。ちょっとだけ・・・」
アルティアはそう言って目をつむった。エミルのため息はアルティアには聞こえていなかった。
先ほどつけたテレビがニュースを流していた。
「“アルベリのジョラリア、ジラルトの両大使館にて大規模な戦争に対するデモが行われております”」
キャスターがそう言った所でエミルはテレビの電源を切った。腰掛けたまま後ろに体を倒して寝転がった。
アルベリにもサンディア人が住んでいるが、定職につけず貧困層が多い。
働かないわけではない。働けないのだ。アルリ人が嫌がる仕事をしたとしても、中々定職につけない。アルリ人のサンディア人に対する差別が根強い。宗教の違いと昔からの自由人としての気質から、都市に共同体を作らないため、都市に馴染めないのだ。今の若い世代は都市に馴染める社会性を持ち合わせ始めていると言われているが、アルリ人側の差別が抜けず、サンディア人としての体質が抜け切った若い世代でも、昔からの呪いに苛まれている。
何が悪いか、何が悪くないのか確証できる情報を集めきれていないが、サンディア人は自由な心を大事にしているのに、何故それを理解できないのだろうか、俺にとってはアルリ人こそが、異質な存在のように感じられてならない。
「ご飯食べなきゃ」
そう思ったが、疲れが体を締めつけ、エミルは目を閉じた。
日が昇る前に目を覚ました。先に起きたのはアルティアだった。未だ重だるい体を起こし、布団をめくり、体を起こす。まだカーテンの端から漏れる光はなく薄暗かったが、アルティアには朝だと分かっていた。
上着を羽織り、ブーツを履き込んで部屋をでた。
宿を出ると、昨日から降っていた雪が一面に広がってまだ暗い道が明るく見えていた。足を雪に踏みいれると雪が氷になって固くなり、ギシギシと音を立てた。気にせずミニアとタールのもとへ向かう。
小屋の中に入ると、外より暖かく暖房が付けられていた。ミニアとタールは起きていた。すぐに餌箱に牧草を設置した。スマルに来るまでにだいぶ走らせてしまったため、ミニアとタールの体を触り異常がないか見てまわる。どこにも異常はないようで、元気にえさも食べてるのを確認すると小屋をでる。
空が薄紫色に光り始めて東の方が白ばみ始め、西の山が煌々と煌き始めていた。
暖かさを取り戻したスマルは音も少しずつ取り戻し始めていた。
その頃エミルも起きだし、段々と街が音を立てていくのを朧気に聞きながら体を動かし始めた。
二人は宿で軽い食事をとった後、ゆっくりと準備をして外に出た。
宿の前に来たがアンナはまだ来ていなかった。
「ここでまっとこか」
そういってアルティアはエミルに左手を差し出した。エミルは目を丸くしてアルティアの手を見つめ、視線をアルティアの目に移すとアルティアは笑顔で見つめ続けていた。
意図が分かり、エミルは照れながら右手をアルティアの左手に乗せる。
「今日はこれでいこうね」
エミルは空いた手でアルティアの頭を撫でた。
「アンナが来るまでな」
そして10分もしないうちにアンナが歩いてやってきた。
「スマルの街が一段と賑やかだね」
「ね、なんだか楽しそうだね」
アルティアの横を歩いていたアンナも頷きながら答える。
街の中心部まで来ると活気づいた街並みがこれでもかというくらい煌びやかに装飾されて、街を彩っていた。噴水をぐるりと囲むように人々が座り、噴水周りの家々の前では露店が立ち並んでいた。噴水の奥にはスマルの王が政務を行っている屋敷があるが、そこまで露店の出店が並んでいた。お店を開店させているところもあり、準備の段階の所が多いが、人通りは多い。
「お祭り気分になるな」
エミルが腕組をしながら周りをキョロキョロとみていた。アンナが後ろを向きエミルの方へ体を向ける。
「サンディアのお祭りでもこんな感じなんですか」
エミルはアンナと目線が合ったがすぐにそらすと
「こんな華やかな感じじゃないけど、まあこれよりもっと規模は小さいけどこんな感じだな」
「そうなのね、サンディアのお祭りにも行ってみたいわ」
アンナがそういって視線を前に戻した。
数歩歩いて、アルティアが何かを見つけたのか、無邪気に露店の方を指さし、そこに向かってあるいていく。それにアンナが親のように後ろからゆっくりとついていく。
取り残されたエミルはそれを噴水の所からそっと見守っていた。
露店には手作りでアクセサリーが売られていた。アルティアが一つ一つ視線を移しながら好きなデザインのものを見て、アンナはアンナで自分の好きなものを見つけたのか手に取ってはめて、鏡で合わせていた。
エミルは建物の上を見つめ、そのままその奥に立ち向かってくる山へ視線を移した。穏やかな雲が山にあたり、雲は二つに裂け、分裂した雲は素知らぬ顔をして流れていった。
客観的にみていると2つが裂けてしまっているように見えるが、当事者からしたら別にそれは大した問題ではないのだろう。
「エミル来ていたんだね」
街の住宅街の方からサクが歩いてやってきていた。エミルは頭を下げ、アルティアの方を指さした。
「アルティアが祭りに来たいっていたから」
サクがその指の先を追って、アルティアの方へ視線を向けた。アンナも見つけて一瞬驚いたような顔をして
「そっか、それで友達と来ていたんだね。エミルは一緒に見に行かないの?」
「んー・・・あそこのお店に興味はないかな」
「ちょっと入りづらいのもあるんだろ、女の子二人、それと」
そこまで言いかけて、サクは口を閉ざした。そこまで聞いてエミルは頭を垂れて苦い顔をした。
「エミル、これから一緒にご飯食べに行かないか」
「ああ、いや、アルティアの近くにいとかないと」
「大丈夫だよ、こんなに明るいし、スマルは治安が良くなってる。それにアンナは賢くていい子だから、理解してくれる。」
「アンナのこと、知ってるんですか?」
エミルが驚いていると、アルティアがサクと話しているエミルに気づいて、手を振って急いで近づいてくる。アンナは何か買ったのか手に茶色い封筒を抱えていた。アルティアがアンナにサクの説明をし始めた。
「アンナのことは少し知っているよ。昨日友人が君のことを話していたからね」
アンナは驚いたような顔をして、サクの顔とアルティアの顔を見ていると
「アンナのお父さんの友達と僕が知り合いなんだ。この間飲んでいる時に君の話をしていて――――アルティアみたいな子だなって思っていたから、まさか知り合いだなんて思わなかったけど」
そういってサクは一人楽しそうに笑った。アルティアもつられて笑顔になると、アンナがホッとしたように笑顔が溢れた。
「サク先生、今日は休診なんですね」
「お祭りだからね。ところでエミルを借りてっていいかい?」
そういってサクはエミルの肩を引き寄せた。エミルは驚いた顔をして、いつものどうでもよさそうな顔をしていた。アルティアは口の両端をあげて開口する。
「エミルがいいのなら、大丈夫ですよ」
「うん。じゃあ連れていくね」
「アンナは、怖くない?」
「急に、どうしたの」
噴水前のベンチで二人は座っていた。手に持った小麦の粉を溶かして引き延ばして野菜と肉を巻いたそれを食べながら、アルティアは合間にしゃべっていた。
「私は、アンナのことが好きよ。けど、どうしてそれだけじゃダメなのかなって思っただけ。エミルがアンナにどうしようもない暗い感情を隠すことなくぶつけてしまって、エミルはアンナ自身の人間性を心の内で認めているはずなのに・・・それを理性で認めようとしてなくて、そういうのを見ていると・・・・」
「わかるよ。それを見ると”アルティア”が悲しくなるのよね。」
アンナは食べ終わり。ハンカチで手を拭いた。役目を終えたハンカチがアンナの太腿に居座っている。
「その気持ちがとてつもなく分かるんだよ。私はアルリ人だから。驚きかもしれないけど」
急にアンナの童顔が引き締まり、その黒髪が凛とした印象を引き立たせる。
「アルベリに住んでいるサンディア人をたくさん見てきたからね。小さい頃はサンディア人の友達と遊んで、成長するにつれて周りが私たちを離していって、なぜそうするのか理解できなかった。
どうしてそんなことをするかなんて分からないから、疑問だけが放り出されて、それが私の心にずっとここまで残ってきたの。」
アンナの声色が低くなっていく。
「アルベリにサンディア人の友達がいたのね」
「そう。一緒にいて楽しい“人”たちだったわ」
「・・・いつまで一緒にいたの?“その子“達とは」
アンナがアルティアの方を向いて言いにくそうに声を絞り出した。
「・・・つい、この間まで一緒にいたわ。中等部まで一緒だった。一緒だったんだけどね――――」
「言いにくかったらいいのよ」
「ううん。いってしまえば人種の違いからのすれ違いと、勘違いと、周りの目と。――――結局、最終的にどちらも疲れてしまったの。頑張っても頑張っても一緒に居られなくて、ここで頑張っても消耗戦になって心がすり減ってくだけだって、ふっと気づいたの。
ほら、私どこかしら達観しているところがあるから、諦めきれたのね。そう・・・」
「けど」
そういったアルティアにアンナは、アンナの膝に居座っていたハンカチを渡した。
「そう、けどね、諦めきれていないの。全く。兎にも角にも私はどうしようもない程、人が好きなのよ。」
日が傾き、空が赤みを帯びてきた。アルティアとアンナはお菓子を売っているお店でコーヒーと紅茶、砂糖菓子を食べていた。どこからか聞きつけたのか、エミルがサクと一緒にお店にやってきた。エミルが手を挙げてアルティアを呼んでいる。
「アルティア、そろそろ」
アルティアも反応をすると、アンナが少し悲しそうに眉毛を八の字にした。
「アンナ、もう帰らなきゃ。」
「行くのね?」
「うん。家族が待ってるから。心配だもの。」
「ちょっとまって。」
アンナは急いで鞄の中から紙とペンを使いそこに何かを書き出した。
「はい、これ、持って!私手紙出すから!」
「私から出さないと、アンナ、私の場所わからないでしょ」
アルティアが柔らかく笑った。
「あ、そうだね!じゃあ、よろしくお願いします。」
「うん。わかった。ありがとう、行くね」