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「約束よ。あの子のところへ連れて行って」
刑事が憤った顔で、少女を睨んだ。
「なんの役にも立たないガキどもが。ただの囮にすら使えんとはな」
そう言って、彼は乱暴に車のアクセルを踏んだ。
病院に着くと、彼は正面入り口の前に車を止めた。注意しに来る看護師に、彼は警察手帳を叩き付ける様に見せた。それでも看護師が食い下がったが、彼が一睨みすると、彼女はすごすごと引き下がっていった。
少年の病室の前は、警察官が一人と、警備の男が六人立っていた。
キツネ目の刑事が彼らを軽く睨むと、緊張が走るのがわかった。
病室の扉を開くと、すぐ後ろで刑事が扉を閉めた。
「あなたは入らないの?」
少女が尋ねたが、刑事は答えなかった。
病室は個室で、ちょっとした家のリビングほどの広さがあった。応接間のようなソファとテーブルがあり、壁には絵が飾られていた。
病室に入ると、少年は寝台の上に身を起こしていた。頭に包帯を巻き、窓の方を見ている。
「重傷って聞いたから、もっとひどいのかと思っちゃった」
少女が言う。少年はゆっくりとこちらを向いた。
「だれ?」
少年は怪訝そうな顔をしている。「うん、そうだねおじさん」
少年が窓の方を向き直り、言った。少女ははじめ、そこに誰かいるのかと思ったが、寝台を回り込んでみても誰の姿も無かった。あの壁の内側で、度々少年が何も無い空間に向かって話しかけているのを見た。今もそれと同じなのだろう。彼にしか見えていない誰か、がそこにいるのだ。
「私よ? よく見て」
少女は両手を広げて見せた。しかし、少年は首を傾げる。まるで、出会った頃のような、子供に戻ったみたいだった。
頭の包帯を見る限り、強く頭を打って記憶をなくしたのだろうか。きっとすぐに記憶は回復するだろう。いや、回復してもらわねば困る。
窓から見下ろすと、喫煙所にキツネ目の刑事がいた。まずそうな顔で煙草を喫んでいる。見ていると、彼が顔を上げてこちらを見た。心底嫌そうに、口から煙を吐き出した。彼は、少年が記憶を失ったことを知っていて教えなかったのだ。性格のねじ曲がった男だと少女は憤慨した。
「わかってる。ここは僕がいるべき場所じゃ無い」
少年が再び少女の方を見る。
「君もここにいない方が良い」
そう言うと、少年は寝台から降りた。それと同時に、俄かに廊下が騒がしくなる。見下ろすと、キツネ目の刑事が車に乗り込もうとするところだった。
遠くで爆発音がした。火の手が上がる。
「冒険ってやつは、いつも刺激的なもんさ」
少年が呟く。まるで少年とは思えないようなしわがれた声だった。
少年は服を着替え、靴を履いた。
「どこに行くって言うの?」
少女が尋ねると、少年は笑って答えた。
「冒険さ。子供は危ないからおうちへ帰りな」
少年は部屋を飛び出すと、警護の男たちを振り切って姿を消した。少女も追いかけたかったが、彼について行くことさえ出来なかった。ただ、少年が向かう先はわかっていた。あの火元だろう。
人の波に逆らって、少女は爆発音のする方へ走った。そこに少年がいると言うことを確信していた。
火が付き、今にも崩れ落ちようとしている場所は、警察が予防線を張っており隔離していた。少女は彼らの穴をつき、進んでいった。大人の目を盗むのは、子供の特技である。人だかりが出来ており進めなかったが、近くのビルの非常階段を登ると、魔物と警察が向かい合っているのが見えた。
特殊部隊が、重装備で魔物を囲んでいた。キツネ目の刑事が部隊の前に躍り出た。無線を持って何かわめいている。少年の姿を探すが、彼の姿は見えなかった。
「おい、クソガキ。貴様の母親を連れてきてやったぞ。ガキはガキらしく、母親の言うことを聞け」
拡声器で刑事が怒鳴る。傍らには、先程面会したマネージャが拘束された姿で立っていた。刑事は魔物に働きかけ、投降するように促した。この包囲網を、いくら屈強な魔物だとは言え抜けることは難しいだろう。マネージャは一言も口を開かなかった。
魔物は肌が真っ黒なので表情が見えづらいが、少女には怒っているようにも笑っているようにも見えた。おもむろに、魔物は近くの車を持ち上げた。それを、キツネ目の刑事に向かって投げつける。刑事は間一髪よけたが、マネージャはその車とパトカーに挟まれてぺしゃんこになった。死ぬ寸前に、彼女は微笑んだような気がした。
怒りがこみ上げてきた。魔物に心は無いのだろうか。いや、そもそもマネージャが母親であることが間違いだったのか。彼女の死をきっかけに、特殊部隊が魔物に対して射撃を開始した。刑事が慌てて後ろへ下がる。上空をヘリコプタが旋回してやかましかった。
砂煙で何も見えなくなった。その中でも、人の叫び声や銃声が響く。
やがて砂煙が無くなると、そこには大勢の人間が上半身と下半身に分かれていたり、頭が無くなっていたりしていた。足がちぎれた人が悲鳴を上げていた。魔物の姿はどこにも見えなかった。
もはや、あの魔物を止めることは誰にも出来ないのかと思った。それよりも、今は少年の身が心配だった。記憶をなくして、彼はどこへ行ってしまったのか。
誰かが拡声器で怒鳴った。あのキツネ目の刑事だ。生きていたのか、しぶといやつだと少女は思った。




