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刑事に手を引かれて、少女は拘置所に連れてこられた。養母がついてこようとしたが、刑事がそれを許さなかった。少女も彼女がついてこない方が良いと思った。これ以上、マネージャを傷つけたくなかった。
面会室の椅子に座り、目を閉じて深呼吸した。少しほこりっぽい臭いがした。まるで、危険地帯の中と外のように遮断された壁の向こうで、扉が開く音がした。面会室に入ってきた彼女を、少女は見ることが出来なかった。
マネージャが椅子に座る気配がする。
深呼吸する声。
「お前の希望通り、彼女を連れてきたぞ」
刑事の声。
マネージャが細い声で少女の名を呼んだ。
いち、に、さんーー少女は心の中で数を数え深呼吸した。これは、マネージャが教えてくれたおまじないだ。三つ数えて目を開ければ、きっと目を閉じる前よりも少しはましな世界になっている、と教えてくれた。緊張する仕事の前は、いつもこれをした。だから、三つ数えたら、目を開けなければならない。だが、目を開くことが出来なかった。
再び、マネージャの声。
「いち、に、さん」
彼女の声に、少女は目を開いた。瞬間、涙がこぼれた。顔を上げると、いつもの優しそうなマネージャが座っていた。その顔を見た瞬間、少女は声を上げて泣いた。
「少し、痩せたね」
少女が嗚咽混じりに言った。マネージャは微笑んだ。
「さあ、話せ」
刑事が言った。マネージャは諦めたような顔をした後、まっすぐに刑事を見て答えた。
「あの子・・・・・・あの子は私の子です。生まれたあと、すぐに誘拐されてしまったの」
「本当にお前の子供である証拠は?」
刑事の問いに、マネージャは答えた。
「あなた、子供は?」
刑事は怪訝な顔をした。
「いるが、それがどうした?」
「あなたは、自分の子供と、隣の家の子供と入れ替えられてわからない?」
「馬鹿にするな、それくらいわかる」
「それと一緒。女はわかるの。どんなに長く離れていても、どんなに姿が変わっても、自分の子供なら一目見てわかる」
彼女は薄く笑った。刑事は机を叩く。
「馬鹿にするな、と言ったな。生まれたばかりの子供と、何年も経って、しかもフィッツジェラルド病に冒された子供と、見分けが付くはずが無いだろう」
刑事はイライラしたように眼鏡を押し上げる。再び、マネージャが笑う。
「女はわかるのよ。だって、自分のお腹を痛めて産んだ子供よ? 間違うはずが無い。あの子は私の子。それはあなたが人間であると言うことと同じくらい、間違えようのない事実」
「話にならん」
刑事が深い溜息をつく。
「そんな馬鹿な妄想に付き合うためにここに来た訳じゃあ無いんだ。お前の子供かどうかなんて、もうどうでもいい。あのガキはどこにいる?」
彼女は答えない。薄く笑うだけだった。
再び、刑事が机を叩く。
「もう一度だけ聞く。ガキをどこへやった」
「哀れな人。大切なことが何一つわかっていない」
刑事がこちらと彼女を隔てている仕切りに額をぶつけた。
「じゃあ聞くが、大切なこととはなんだ」
まるで野犬が牙をむくように、彼は彼女に対して歯をむき出した。
「母親は、子供のためなら何でもするのよ。あの子が望むことはすべて叶えてあげるの」
「だからなんだ」
マネージャは再び笑う。
「私がどうかしたんじゃなくて、あの子が私を利用していただけなのよ。あの子は今、行きたいところへ行って、したいことをしているわ」
「つまり、お前は何も知らないって事か」
「その通り。ようやくわかってきたじゃ無い」
刑事が再び仕切りを殴る。
「そうならそうと、最初に言え。無駄な時間だった」
そう言うと、刑事は足早に部屋を出て行った。その後を追おうとする少女に、マネージャは「私がいなくても頑張ってね」と言った。その顔は母親の顔だった。




