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通報を聞いて駆けつけた刑事の一人に狐目の刑事がいた。少年も一緒である。人混みをかき分け、群衆の中心に躍り出た。
観覧車の根元を見ると、業者が調査をしているところだった。彼らがその場を離れると、観覧車はゆっくり動き始めた。スピーカからアナウンスが流れる。異常は見受けられなかったため、現在乗客を下ろすための運転中ということらしい。
刑事は現場の警官を捕まえて事情を聞いた。
「どうも意味がわからんのですが、小さな男の子が支柱を持って揺すったら、観覧車が揺れた、などという馬鹿な目撃証言がありました。まあ、大方強い風でも吹いたのでしょう」
警官は笑いながら言う。刑事は一切表情を崩さずに尋ねた。
「君はこの近くの勤務かね」
刑事の厳しい声に、警官は驚いて答えた。刑事のただならぬ雰囲気に気付いたのだろう、額に汗が流れる。
「は、はい」
警官は直立の姿勢をとる。
「では聞くが、観覧車が揺れるほどの風が吹いていたかね」
警官は再び姿勢を正し、直立不動で答えた。
「い、いえ、私は感じられませんでした」
「では、先程の意見は」
警官の顔面に、汗が滝のように流れる。目が充血して行くのを、少年は見ていた。
「きょ、局地的にそういったことも考えられるかと思いまして」
刑事は手を後ろに組んで、警官の目をのぞき込んだ。
「ふむ。それは君の妄想かね」
「その通りであります」
警官の汗が、顎から地面に落ちた。
「もう行って良い」
刑事が言うと、警官は慌てて走り去っていった。
「そんなことがあるか馬鹿者め」
吐き捨てるように言うと、刑事は乗車口を見た。小さな子供が泣きわめいている。刑事は舌打ちをした。小さい子供が嫌いだったからだ。彼らは論理的に行動が出来ない。まるで知性の無い動物だ。
「どうしてそんなことをしたのかわかるかね」
少年は首をかしげた。何か言おうと口を開いた瞬間、何かを見つけて突然走り出した。刑事も慌てて走り出す。下ろしたばかりの革靴が痛かった。
「奴を見つけたのか」
刑事の声は、少年に聞こえなかったのだろうか。彼は答えなかった。刑事は舌打ちした。どいつもこいつも、この私を蔑ろにしやがる。一体私を誰だと思っている。キャリア組のエリートだぞ。
少年が駆け寄ったのは、例の少女だった。刑事はこの少女が嫌いだった。小さい頃から大人にちやほやされて育つ子供は、ろくな人間に育たないというのが彼の持論だった。
刑事が少女に軽口を叩こうとして近付くと、少女は白い顔をして震えていた。さすがの刑事もその状態の少女を貶める気分にはならなかった。ただ、実力だけでは無く容姿も人気の秘密だった彼女の、白く透き通った肌は美しいと思った。いつもあれくらい大人しければ可愛げもあるのに、と刑事は思った。それと足が痛かった。
「何があったのか簡潔に答えたまえ」
刑事は手帳を見せ、極めて事務的に、彼女に寄り添っている女性に尋ねた。
「あの、私はこの子のマネージャで、この子は芸能人なんですが・・・・・・」
「そんなことはわかっている。ここで発生した状況だけ簡潔に」
刑事はいらついて言う。
「あ、はい。とはいっても、私には何が何だかわからなくて。観覧車のかごが揺れたと思ったら、彼女が叫びだして、凄く怯えていたんです。気持ちはわかります。私は大人ですが、それでも恐くて叫びたくなりました。彼女を守らなくちゃと言う気持ちが無ければ私も・・・・・・」
刑事は彼女が言うのを手で遮った。
「つまり、あなたは何も見ていないし、何が起こったのかもわからないと?」
マネージャは頷く。刑事は小さく吐息をついた。
「状況はわかりました。そこの子ネズミのように震えているお嬢さん」
「この子はまだ怖がっているんですよ。やめてください」
「あんたが使えないから、その子に聞いているんだ。邪魔をするのはやめたまえ」
「刑事さん」
少年が二人の間に割って入った。
「この子を悲しませないという約束ですよ」
刑事は露骨に嫌な顔をした。面白くなさそうに、刑事は鼻を鳴らす。
「でもね、少年。君もわかっていると思うが、まだやつがこの近くにいるかも知れないんだ。早いところ事件を解決したいというのが、本音じゃないかね。お互いのために」
刑事が少年の胸を指で押す。二人の顔がくっつきそうなくらい接近したが、少年は全く怯まずに刑事をにらみ返す。余計刑事をいらつかせた。
「わかっています。少し、彼女と二人にさせてください」
少年は刑事とマネージャを交互に見て言った。
マネージャが渋ったが、少女が彼女を見てうなずいた。
「私も、伝えなくちゃいけない」
少女は怯えているのか、寒くも無いのに歯をカチカチと鳴らした。
「確かに、あれはあのとき見た魔物の子。カボチャのかぶり物をしていたわ。でも多分、もう近くにはいないでしょう」
それを聞いた刑事はすぐに無線に向かって叫んだ。
「カボチャのかぶり物をした子供を見つけたら捕まえろ。その際、抵抗するようなら腕の一本や二本ちぎっても構わん。ダルマにしてやった方が、面倒も無くて良いかもしれん」
言い終わったと、彼は少年に向かって尋ねた。
「その程度じゃ、奴らは死なないんだったな?」
少年は頷く。
少女は、少年がすっかりこちら側になじんでしまったことが意外だった。以前の彼はもっとキラキラしていて、柔らかな雰囲気を持っていた。家族の元に戻り、ただの平凡な少年に戻ったと信じていた。
「早く見つけて約束を果たさないと」
約束って何ーー少女は訊きたかったけれど、その言葉を口にしたときの少年の表情をみると、訊くことが出来なかった。
彼は変わってしまった。少年は以前の彼では無かった。
「ここにいたら危ない。刑事さんに送ってもらおう」
少年が少女に手を差し出した。その優しさは以前と変わらない。しかし、つかんだその手は、以前の少年のものとは違う気がした。
「では、彼女のことをお願いします」
マネージャが言った。
「あなたも送りますよ」
刑事が言うが、マネージャはその申し出を断った。
「会社に戻りますので」
マネージャは勤勉で仕事漬けの日々だった。少女はそんな彼女のことを心配していた。
マネージャと別れて、少女はパトカーに乗った。帰りの道で、マネージャが子供の手を引いて歩いているのを見た。彼女の子供だろうか。今更ながら、彼女のことを何も知らないのだと少女は気付いた。