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元々の才能もあり、人気もあった彼女はより有名になっていった。少年は様々なメディアや政治的な力に利用されていた。ただ、一時ほどの過熱感はなくなっていた。それでも、少年が願った普通の生活はできていなかった。
一年の月日が過ぎ、人々の興味が失いかけた頃、国内で物騒な事件が相次いだ。誘拐事件である。誘拐された人たちに共通点はなく、老若男女姿を消した。当初は失踪事件とされていたが、彼らのうちの一人が死体で見つかったことから、誘拐事件とされた。不思議なのは、身代金の要求などが一切ないことだった。
「どうして、こんなところに来なければならないの。この子がこの数時間でいくら稼ぐと思っているのかしら」
少女の養母がマネージャに不満を垂れながら、薄暗い廊下を歩く。少女はその後ろを歩いていた。誘拐事件の重要参考人、そう聞かされていた。
警察庁の狭い会議室の扉を開くと、少女は声を上げた。そこにいたのは少年だった。思わず駆け寄ろうとした彼女を、養母が制した。そして、少年を薄汚いものを見るような目でねめ付けた。少年は少し困ったような顔で笑い、少し離れた。少女は心が冷えてゆくのを感じた。
「ご足労をかけました」
めがねをかけた細身の刑事が言った。彼は細い髪の毛をオールバックにしており、縁なしのめがねは細い目をより強調して、厳しい印象を持たせた。
「用事があるなら、今度からそちらがおいでになることね。うちの子はあなたやそこにいる男の子のように暇じゃあありませんので」
養母が厳しく刑事を睨む。刑事は少しも怯まずに、吐息をついた。そして、切れ長の目を少女に向ける。
「公にはされていないが、被害者の死体には特徴が有る。死体は二人分。一人はまるで猛獣にでも食べられたかのような無残な姿だ。もう一人は、肌が真っ黒になっていた。まるで・・・・・・そう、君たちを呼んだ理由がわかるだろう」
養母の抗議はまるきり無視されたようだ。それに腹を立て、養母は何かわめいたが、少女の意識は刑事の言葉に釘付けにされた。
「魔物の仕業ってことですか」
少女が言うと、刑事は笑った。口の端を曲げて笑う、嫌みな笑い方だった。
「魔物? ああ、君たちはそう呼んでいるんだっけね。だがね、これはファンタジーじゃあないんだ。おとぎ話のように簡単な話でもない。これは、病名をフィッツジェラルド病と言い、フィッツジェラルド博士が世界で初めて見つけた病なんだ」
刑事はめがねを指でクイと押し上げた。髪の毛を後ろになでつける。話し方と同じくらい、髪の毛もワックスでべたついていそうだ。
「もっとも、この病を作ったのもフィッツジェラルド博士では有るがね」
彼の笑い方は不気味だった。どこまでも口が裂けていくのではないかと思うほど、口を大きくゆがめて笑った。笑い声も不気味で、異様に高い声で耳に障った。
「非常に皮肉な話ではないかね? 博士はその功績とともに、一生罪から逃れられないのだ」
さも愉快とばかりに彼は笑う。少女はうんざりして彼を見る。こうやって、子供相手とみるや見下してくる大人ばかりだ。海さんと呼ばれていた男を思い出した。やつも、そういうタイプの人間だった。一目見たときに、そういう嫌な雰囲気がプンプンしていた。
養母はまだ何かわめいていたが、誰も相手にしないことに腹を立て、どこかへ行ってしまった。慌ててマネージャがそれについてゆく。それを見た刑事は愉快そうに会議室の扉を閉めた。
「さて」刑事は再びめがねを押し上げる。「しょうもない話はここまでにして」彼の目が、糸のように細くなった。まるで狐の妖怪のようだ。こけた頬が、余計すごみを増している。
「この事件を早急に解決したい。君達が子供だからと言って、私は遠慮しないのでそこら辺はわかっておいてほしい。無事解決したら飴玉くらいはあげてもよいが、それ以上は私に期待しないでくれ給え」
そう言って、スーツを正すと彼は机の上に隙間なく資料を並べた。
地図上に、ピンをおいてゆく。ピンには番号が振ってあり、ホワイトボードにその番号に対応した人の写真が貼られていた。
「場所に一貫性はない。どんな法則なのかもわかっていない。雨の日なのか、晴れの日なのかさえも一貫していないんだ。年齢も、学歴も、職歴も全く相関がない。盗られたものも一つもない。失踪当時に身につけていたもの一式、死体と一緒に捨てられていた。札の一枚も減っていない。俺の知る限り、こんな犯罪は少ない」
「彼らは、お金には興味ありませんから」
少年が言う。
「そのようだね。じゃあ、何に興味があるんだね」
少年はため息をついた。
「見てわかりませんか」
「わからないから聞いているのだが」
刑事が少しいらついた声で言う。
「食欲ですよ。ただ、人間の肉が食べたかったんでしょう」
「なんと野蛮な。君がどんな環境で生きてきたか知らないが、ここには牛も豚も鳥も、うまい肉ならいくらでもある。それをわざわざ人間など食べなくても」
刑事が胸ポケットからハンカチを取り出して鼻をおさえる。まるで腐肉が臭っているようなジェスチャだ。
「食べたいから食べる。それだけですよ。あなたは生きてゆくのに、牛だって豚だって鳥だって食べる。でも、別に必要だから食べるわけではないでしょう。食べたいから食べている。彼らも一緒です。もしかしたら、人間を恨んでいるだけなのかもしれないけれど」
少女はあの工場でのことを思い出していた。大男が死んだ後、子供の魔物は姿を消した。もし、あの大男が身内だとしたら、復讐のためにということもあり得るのではないだろうか。
そんな彼女の表情を読んだのか、刑事が言う。
「何か思い当たる節でもあるのかい、お嬢さん」
刑事が少女の顔をのぞき込む。それを遮るように、少年が言った。
「もし魔物なら」
少年は咳払いした。
「ごめんなさい、フィッツジェラルド病患者だとしたら・・・・・・」
刑事が手を上げて遮る。
「魔物、という呼称でも問題はないよ、少年」
「魔物だとしたら。すでに見つかっているはずでしょう。彼らは隠れる術を知らない。隠れる必要がない。邪魔者は殺せば良い」
「つまり」
刑事がめがねを押し上げる。
「誰か、人間が手引きしていると言うことか」
『人間』の部分を強調して刑事が言った。
少年はうなずく。その表情は確固たる自信があるように見えた。少女は彼の顔を見て、変わったなと思った。男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言ったものだ。全くの別世界に来て、混乱するばかりでなくうまく渡り歩いているのだ。彼のインテリジェンスを以てすれば、これほどまでに成長することはわかりきったことである。
「人間相手なら、警察が得意でしょう」
刑事がにやりと笑う。
「魔物相手なら君は得意だというのかね?」
「まあ、そうですね」
少年の顔に影が落ちた。
「きっと、魔物は僕を恨んでいる。僕が囮になればすぐに出てくるでしょう」
「心当たりがあるのかね」
少年は頷く。彼が何を考えているのか、少女にはわからなかった。あんな危険なやり方、もう二度と通用するはずが無い。
「危険なことはしないで」
少女が言う。少年は、また少し悲しそうに笑う。
「僕に出来ることはこれくらいだから」
「だからって、またあんな化け物と戦うって言うの」
「奴を連れてきたのはきっと僕なんだ」
「どういうこと」
「それはだねえ、お嬢さん」
刑事が割って入る。少女は邪魔な男だと思った。
「未曾有の大災害から今に至るまで、あのような化け物が壁を越えてきたことは一度もないのだよ。そのための壁なのでね。しかし、今回このタイミングであの化け物がやってきたということはだよ、お嬢さん。君たちが呼び寄せたと言うことだ」
なんと、この大人は子供に責任を押しつけるつもりなのだ、ということに少女は気づいた。少年はすでに気づいていたのだろう。それに逆らえないと言うことも。
「だからって・・・・・・私たちはただの子供ですよ。警察や自衛隊がやることでしょう」
刑事は馬鹿にしたような笑いのまま答えた。
「それもよいが、ただ君たちが囮になってくれれば簡単に済む話だ。なあに、我が国の暴力は優秀だ。化け物の一匹や二匹、すぐに息の根を止めよう。君たちに危険が及ぶ前にね。簡単さ」
「それでいいの?」
つい、声が大きくなってしまったと思ったが、少女はもう引っ込みがつかない。少年は何も答えず、先ほどと同じ表情で少女を見た。
それが、少女を怒らせた。
「もう、勝手にすれば!」
少女は乱暴に扉を開けると、部屋から飛び出した。刑事が「あの親にしてあの子あり、だな」と言った。部屋の外には、お互いのマネージャが待機していた。少年の方は、マネージャの他に、周辺警護をする厳つい体型の屈強な男たちがいた。
少女のマネージャが慌てて彼女に付いてくる。警察庁の建物は入り組んでいて、出口がどこにあるかわからなかった。すれ違う女性警察官が、彼女を見て黄色い声を上げたが、無視した。少女には愛想を振りまく余裕がなかった。熱い涙がこみ上げてきた。
マネージャが何があったのか聞いたが、少女は答えなかった。悔しくて涙がとまらなかった。