50 第一章了
家に戻ってから、もう一度彼女の話を聞いた。それでも、俄かには信じられない。僕が生きてきた十三年が否定された気持ちだった。
彼女の話が本当なら、祖父はここに不法に居座っていたことになる。昨日、海さんが板に向かってしゃべっていたことを思い出す。まさか、祖父は自分たちのために、ここに調査に来た人たちをーー殺していたのか。しかも、魔物を使って。
祖父の部屋に入ると、部屋は荒らされていた。海さんのせいだろう。
荒らされた部屋の中で、一枚の写真を見つけた。この家の前だ。祖父は随分若い。祖父の手に抱かれている赤ん坊は僕だろう。祖父のほかに三人映っている。どの顔も見覚えがないが、いつも僕と話してくれる冒険家のおじさんはいなかった。
写真の中だったが、久しぶりに祖父に会えた気がした。写真を裏返すと『拾った赤ん坊と』と書かれていた。
僕はショックで立ちくらみがした。
拾った赤ん坊。
僕の事だろう。
僕は拾われた?
両親のことを尋ねたことがあった。世界が滅んだときに、祖父は両親から僕を託されたのだと聞いていた。
もう、何を信じて良いのかわからなくなった。
気がつくと、部屋の真ん中で膝を折って、声を上げて泣いていた。音も無く彼女が来て、僕を抱きしめてくれた。彼女だって僕と変わらないくらいの子供のはずなのに。
彼女の手は温かくて柔らかくて、良い気持ちがした。もし、僕に母がいるとしたら、抱きしめられたらこういう気持ちなのだろうか。
玄関の外で車が止まる音がした。彼女がハッとした顔で外を見た。僕達は同時に思った。彼が来たのだと。どこかで車を拾ってきたのだろう。
彼は気の利いたノックの代わりに、玄関の扉を乱暴に蹴破った。木の扉だが今ので壊れたろう。
涙も乾かないうちから、僕達は部屋の窓から外へ抜け出した。車には鍵が刺しっぱなしになっていた。それを見て僕は車に乗り込もうとした。そのとき、彼女が悲鳴を上げた。
彼女の視線の先を見て、僕は戦慄した。車の後部座席に、彼が撃ち殺した魔物と、脳髄に電極を刺されていた魔物の死体が乗っていた。そのほかにも、何かわからないガラクタがいくつか乗っている。彼女の言い方を真似るなら、サンプルと言うことだろう。
叫びそうになるのを必死でこらえて、慌てて車から離れた。それと同時に、車の窓に小さい穴が開いた。破裂音はあとから聞こえたように感じた。
振り返ると、海さんが拳銃を構えていた。腰を落として、拳銃を両手で持ち、まっすぐ僕に向けている。間一髪だった。
「海さん・・・・・・」
彼の目は血走り、口の端から泡を吹いていた。まるで別人だ。肌が黒く変色してきている。まるであの魔物のようだ。
海さんは言葉にならない声を上げ、僕に向かって手を振った。口の端から泡が飛んだ。彼は今、自分が誰なのかわかっているのだろうか。
「彼はどうしてしまったんだろう」
「多分、影響を受けた人はああなってしまうの」
「影響って」
「わからない。だからこそ、ずっとここは閉じられてきたの」
海さんは再び拳銃を構える。僕は慌てて身をかがめると、再び車に穴が開いた。彼は本気のようだ。
「海さんやめてください。どうしたんですか」
僕の呼びかけに、彼は答えない。ただ、言葉にならない声を上げ、口から泡を吹くだけである。
再び銃声。
彼の目的は何だろうか。
そういえば、彼女はどこへ行ったろうか。辺りを見回しても、姿が無い。しかし、ここで彼女を呼んで海さんに場所を悟られるのもリスクである。
彼女のことを信じ、僕は海さんをどうにかすることに専念しようと思った。まずは武器が必要だ。彼は銃を持っている。銃に対抗できる武器など、僕は持っていない。
体を伏せたまま、自分の車の方へ近付いた。まだ、弓が車の中に残っていたはずだ。車の反対側に回って陰に隠れながら移動する。だが、車の陰から顔を出そうとすると、すぐに鉛の球が飛んでくる。弾があと何発あるかわからないが、一発でも食らえばお陀仏だ。慎重にーー。
「ねえ、これ」
突然、足下から声がしてびっくりした。見ると、彼女が車の下に隠れていた。体の小さい彼女なら見つかりにくいだろう。彼女が手に持っていたのは、缶詰の空き缶だった。
僕は彼女から空き缶を受け取ると、彼から死角になっている草の中に投げ込んだ。案の定、彼の思考能力は衰えており、彼は音のした方へ導かれていった。
僕は彼女と一緒に車の下に隠れた。彼が行ったのをみとめると、自分の車へ急いだ。扉を開く音で気付かないように願う。
弓を取り出して矢をつがえた。下生えから出てきた彼は、再び銃を構える。その目は僕のことを見ているのかどうか、わからなかった。緩慢な動きで両手で銃を持ち、腰を落として僕へ向ける。
発砲音。
一瞬、僕の方が早かったのだろう。矢が彼の胸に刺さり、銃は傾いた。弾丸は僕の頬をなで、家の壁に当たった。
手から拳銃がこぼれ、ゆっくりと彼は倒れた。口から赤い泡を吹いた。
「海さん・・・・・・ごめんなさい」
彼は口からヒュウヒュウと音をさせて、立ち上がろうとしたが、体に力が入らないようだった。やがて体を痙攣させて、事切れた。白目の毛細血管が切れて、真っ赤だった。
海さんのポケットから、祖父の日記がのぞいていた。昨夜、彼が手にしていたものだ。
「やったの?」
まるで虫をやっつけたみたいな言い方をして、彼女が車の下から這い出してきた。彼女は最初から、海さんに対して何か壁を作っていた。彼の正体についても知っているようだったし、何か僕の知らない複雑な問題があるのだろう。
「うん」
彼女は彼を見下ろした。
「そう・・・・・・」
彼女は彼の亡骸の前に膝を折り、手を合わせて祈った。僕も見よう見まねで同じ事をした。彼女は海さんを嫌っているわけではなかったのだろう。いや、死んでしまえば誰だって同じなのかもしれない。
弓を引いた指が痛んだ。それと同時に、胸の奥が圧迫されたようにギチギチと痛んだ。
「どうしてだろう。とても、悲しい気持ちだ。狩りをするときには、こんな気持ちにならない無いのに」
僕は指先を見ながら言った。
「それはきっと・・・・・・いえ、なんでもない」
彼女は何か言おうとして、口をつぐんだ。
「これはおじい・・・・・・祖父の日記なんだ。この中に、真相は書いてあると思う」
昨日彼が読んでいた通りなら、祖父は人を殺している。
家の中に入り、僕は日記を開いた。概ね、彼女の説明通り、災害があってこの地域が閉鎖されたことが書かれていた。祖父たちは、完全閉鎖される前にここに入り込んだホームレスと呼ばれる人達だった。僕は今住んでいるあの家に一人残されていたらしい。だから祖父はこの家で、僕を育てていたのだと書かれていた。
僕は仕方なく、誰にも望まれずに育ったのだろうか。いや、祖父もおじさんも、僕を本当に愛してくれていたように思う。
いや、それさえも嘘なのかもしれない。
何が本当か、わからなくなってきた。これ以上何も考えたくなかった。その代わりに、祖父の日記を声に出して読んだ。
「ーー我々に未来は無いが、この子には未来がある。こんなひどい土地に置き去りにされてしまったことを、この子には知られぬように育てよう。そして、一人で生きて行けるように強く強く育てよう。そのために邪魔になるものに対しては、容赦をしない」
日記にはそう書かれていた。祖父が調査の人を殺していたのは、僕のためだったらしい。それは僕にとって、良いことだったのだろうか。そこに、愛はあったように思う。
外に出て、薪を並べて火をつける。
「なにしてるの?」
彼女が尋ねる。
「海さんの死体を焼くのさ」
「こんな男、放っておけば良いのに」
「そんなこと出来ないよ。動物の死骸は放っておくとやっかいだ」
時折道で死んでいる動物を見かけたが、本当に臭いし虫が湧くので出来るだけ焼くようにしていた。祖父からもそう教えられていた。
死体を火の中に放り込むと、強烈に獣臭がして嘔吐いた。まるで灰を巻き上げるみたいに黒い煙が立ち上っていった。祖父を焼いたときとはまるで違って、魔物が煙になって空に昇ってゆくようだった。
彼の死体を焼き終わると、彼女が言った。
「あなたは、これからどうするの」
「どうするって?」
「この世界の真実を知ってしまったじゃない」
これまで、もしかしたら壁の外には普通に人が暮らしているのではないかと妄想していたが、それが現実となったのだ。
「そうだな。僕はーー」