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月の明るい夜だった。いつもならもう少し早い時間にお風呂に行くが、今日は仕方ない。
「こいつぁすごい。天然の温泉だ」
海さんが大げさに叫んだ。この人は何をするにもいちいちうるさい。
僕がお風呂と呼んでいるのは、川の一部である。岩場で仕切られた向う側は温かい水が湧き出すところがある。海さんはそれを温泉と呼んだ。
「ここに来て温泉に入れるとは思っていなかったよ」
こういった場所はあちこちにある。今更なんとも思わなかったが、これほどの喜び方をすると言うことは珍しいものなのだろうか。
「どうだい、満天の星空に、煌々と照るお月様。実にロマンチックだ」
海さんは急に立ち上がって、空に向かって手を広げた。
こうやって、大人の人と風呂に入るのは久しぶりだった。おじさんも、祖父も風呂は嫌いだったから。彼女は僕たちが出た後に入ると言っていた。別に恥ずかしがることはないのに、彼女はとても繊細だった。海さんも一緒に入ろうと提案した僕を止めたが、外の世界ではそういうルールがあるのだろうか。
「こんな良いものに毎日入れるなんて、こういう生活も良いかもしれないな」
彼は気持ちよさそうな顔をして、再びお湯の中に沈んだ。
僕は水面に映った月を眺めた。丁度三日月だったので、まるで船のようだと思った。月の船に乗って、僕は新しい世界に旅立ちたい。そこはどんな世界だろうか。
青白い月が水面に揺らめく。
静謐が僕を包む。
まるで時間が止まったみたいだ。
月をすくってみるーー水滴が手のひらからこぼれる。
月の形を崩した。
船は沈没した。
僕はまた、外の世界へ行くことは出来なかった。
海さんが我慢できずに水上に出てきた。顔はふくよかなのに、彼の体は均整がとれており、美しかった。まるで、美術の本に載っていた彫刻のようだった。体が大きいので太っているのかと思ったが、筋肉で盛り上がっているだけのようだ。
「平和だね。このまま、何事も無く何もかもが保存されたままだったら良いのにね」
「どういう意味ですか?」
海さんは寂しそうな顔をするだけで、何も答えなかった。