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家に着くと、海さんはいつもの調子で走り出していった。家の中に入ると、彼は叫んだ。
「ねえ、水道から水が出ないよ」
猿にやられた傷を流したいらしい。見ると、青黒く変色していた。
「水ですか、井戸なら外にありますよ」
僕は井戸の水を汲んで傷口をあらってあげた。消毒液をかけようとすると、海さんがそれを奪い取って全部使ってしまった。よほど病気になるのが恐ろしいらしい。消毒薬を一本分かけ終えるとガーゼを巻いた。腕から消毒薬がポタポタしたたり落ちる。
僕が小さい頃、怪我をするたびに祖父がガーゼを巻いてくれたのを思い出す。この消毒液も、また店に行ってとってこなければならないなと思った。
「ひどい怪我だ。死んでしまうかも知れない」
まるでシェイクスピアの戯曲のように、彼は悲嘆に暮れた。大げさな人だなと思ったが、おじさんも怪我をするたびに大騒ぎしていたのを思い出した。
家はあのときのまま、窓が割れてガラスが散らばっていた。砂や土が部屋を薄く覆っていて、早く塞がなければならないなと思った。幸いなことに、男手が二人、材料は家の中にあったので、段ボールで塞ぐことが出来た。何故か祖父は段ボールを集めるのが好きで、よく拾ってきては器用に寝床を作ってその中で寝ていた。それが落ち着くらしい。おじさんもよくそうやって寝ていた。祖父とおじさんが違うのは、祖父はこの家に住んでいたこと、おじさんは段ボールなどを持ち歩いて色んなところで寝泊まりしていたことだ。
海さんは僕の事を聞きたがった。特に巨大ザリガニやケルベロス、魔物のことなどに興味を持った。
「出来れば見に行きたいなあ。いけるかな」
魔物の姿を思い出す。ゾッとして冷や汗が流れる。
「是非案内してくれたまえ」
人の気も知らないでーー思ったが口には出さなかった。
「ザリガニなら、この近くの川の奥にいます。お風呂に行くときに案内しますよ」
海さんは飛び上がって喜んだ。
「ただし」僕は海さんに指を突きつけた。「命の保証はしかねます」