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滅んだ世界より愛を込めて(旧版)  作者: よねり
第一章 旧世界のディストピア
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「もう大丈夫だよ」

 しばらく走ると、僕は言った。本当はもっと聞いていたかった。しかし、彼女に疲れ切られてしまっては困る。なぜなら、バックミラーに魔物の姿がチラチラ映り続けているからである。

 彼らは車と同じ速度で走ってきていた。車の運転も出来るようだったが、あんなに速く走れるのなら、車など必要ないのではないかと思った。顔も走り方もまるで猿とそっくりだった。物の本によると、ダーウィンという外国人が進化論を唱えたらしい。彼らが進化した猿だと考えると、随分知能が高いのだなと思った。

「疲れちゃった」

 彼女が呟いた。水の入ったボトルを彼女に渡す。

「冷たい水が飲みたい」

「悪いけど、冬にならないと冷たい水は手に入らないよ」

 地下水も十分に冷たいが、井戸を探して水をくんでいる暇はなかった。彼女はしぶしぶボトルの蓋を開けた。

 彼女は安心したようだが、僕の心臓はまだ暴れたままだった。このまま車を止めてしまったら、彼らは追いついてくるだろう。こちらのガソリンが尽きるのが先か、彼らが疲れるのが先か、勝負である。

 後部座席を見る。祖父と一緒に作った図鑑が乗っていた。図鑑、といっても普通のノートに手書きで書いているだけである。彼女の目が見えたら、巨大ザリガニやケルベロス、巨鳥やガーゴイルなどを説明できるのに。図鑑の中には魔物のカテゴリもあったが、他の動物ほど詳細は書かれていなかった。今思うと、わざと祖父はそれを書かなかったのだろう。僕が興味を持ってしまっては困るからだ。それなのに、僕は愚かにも魔物とは話し合えるかも知れないなどと思ってしまった。今更後悔してもどうしようもないが、だからといって彼女を巻き込むことだけは避けなければならない。

 夕暮れ時になっていた。このまま夜のとばりが降りてしまったら、こちらに勝ち目はないだろう。彼らは夜目が利く。あの暗い洞窟で暮らし、夜中に家畜を盗みに来るのだ。恐らく、僕が気づかないうちに殺すことなど、造作もないことだろう。

 国道と名のつく道路を走っていると、工場地帯があった。あちこち、特に海沿いに工場が建ち並んでいた。朽ち果てた金属のパイプや、さび付いた門が見える。どこも共通しているのは、あるときまで普通に操業していたのに、突然人が消えてしまったみたいな状態であることだった。門は開いたままだし、ドアは開いたまま、ものは外に放り出されたまま。そのおかげで、動物や虫が工場内に入り込んで巣を作っていた。

 その中で、建設工事中の工場があった。僕は思いついて、その工事現場の中へ車を進めた。現場の手前に工事業者用の仮説駐車場があり、そこに車を駐める。そのすぐ横に休憩用のプレハブが並んでいた。

 関係者以外立ち入り禁止のロープをくぐると、作業中だったのだろう、工具ボックスや仮設の電源などが広げられたまま並んでいた。工具ボックスの前に、刃の錆びたカッターナイフが落ちていた。僕はそれを拾ってズボンに突っ込んだ。

 入り口の手前に、地面から無数の鉄筋が生えているところがあった。何か建物を作る途中だったのだろうか。細い鉄筋が天に向かって無数に伸びている。

 防音の囲いで目隠しをされた建物に入った。中は建築的な工事は大分進んでいたが、壁が張られていない箇所にはロープが張ってあるだけだった。電線が天井を這い、途中でとぐろを巻いている。

 何かの製造装置だろうか、大きな槽がいくつも並んでいて、その上部にはのぞき窓付きの蓋がついている。中をのぞいてみても、真っ暗で何も見えなかった。辺りには何に使うのかわからない、複雑な機構の機械がいくつも置かれていた。今にも足が生えて動き出しそうだ。操作パネルについたボタンを押してみるが、もちろん動かない。

 仮設の踏み板のような階段を上がると、外で気配がした。見てみると、魔物が軽トラの中を、何かを探すように中をのぞき込んでいた。目的は彼女だろうか。軽トラを揺さぶって、中に誰もいないことを確かめる。彼が上を見上げた瞬間、僕と目が合った。すぐに隠れたが、ちらと見えたその顔は笑っているように見えた。

 僕は急いで階段を上がった。防音の囲いのせいで中は薄暗い。何度も転びそうになった。ボルトやアンカーがそのままむき出しになっている箇所もあり、打ち所が悪ければそのまま刺さって死んでしまいそうだ。だが、僕はこのまま死ぬわけには行かなかった。彼女を守ってあげなくてはならない気持ちがしていた。彼女に対して初めて覚える感情を抱いている。新しい家族ーーならば、僕は兄か。少し照れる。

 そんなことを考えながら最上階に出る。さらに屋上へもいけるようだったが、階段ではなく、ただの足場のような心許ないものだった。最上階には、機械が少なかった。その代わり、他の階よりもたくさんの細長い槽が並んでいた。

 僕は適当な脚立を持ってくると、さび付いたカッターナイフで、防音の囲い布に切れ目を入れていった。さらに壁代わりの落下防止ロープを外す。これで、この布から向う側は完全に外だ。少しでも足を踏み外そうものなら、生きてはいられないだろう。唯一心配なのは、筋交いが張ってるので引っかかってしまうのではないかと言うことだ。

 気配はまだこの階には感じなかった。諦めてどこかへ行ってくれたなら嬉しい。だが、そういうわけにはいかないようだった。

 魔物は気配を隠すことさえしない。大きな足音を立てて、階段を上ってきた。仮設の踏み板が軋む。

 この薄暗い中で、魔物の姿はさらに真っ黒だった。ゆっくり近付いてくる。何かを探すように、辺りを見回しながら匂いを嗅いでいた。

 もう少し引きつけてーーそう思った瞬間、魔物が一気に間合いを詰めてきた。僕は慌てて、防音の囲い布を引く。すると、薄暗かった建物の中に、西日が差し込んだ。突然の光に、魔物は目がくらんだようだった。低く唸り、手で顔を覆った。

 今だーー僕は魔物の後ろに回り込み、ありったけの勢いをつけてぶつかった。魔物は不意を突かれよろけた。

 もう一度ーー勢いをつけてぶつかると魔物は囲い布に寄りかかる格好になり、そのまま外へ体が飛び出した。ここは五階だ。いくら魔物の体が強靱でも、ここから落ちたらひとたまりも無いだろう。

 魔物の体が外に落ちて消えた。思わずガッツポーズをしてしまった。予想よりもあっさりうまくいってしまった。自分は天才なのではなかろうか。あの魔物を、完璧に倒した。世が世なら、三国志の諸葛亮孔明に並ぶ軍師になろう。

 僕は意気揚々と下界を臨んだ。

 勝利を確信して浮かれていたのだろう。ちゃんと観察していれば気付いたはず。いや、魔物の身体能力を考えれば当たり前のことだった。魔物は床の際に手をかけてぶら下がっていた。そして、駆け寄ってきた僕の足を掴んだ。

「うわ!」

 思わず叫んだ。魔物が僕の足を持って外に引きずり出したのだ。慌ててそこにあった脚立を掴む。壁はないが筋交いは張ってあったので、脚立がそこに引っかかった。

「くそっ」

 失敗した。見ると、魔物は猿みたいな顔で笑っているように見えた。捕まれた足首が折れそうなほど痛む。

「やめろ! 離せ!」

 暴れたかったが、落下が恐くて暴れられなかった。

 ここまでかーー諦めた瞬間、僕の耳に彼女の声が聞こえた。魔物にも聞こえたらしい、奴は驚いて僕の足を離した。今だと思って全身の力を込めてよじ登った。

 慌てて声のした方を見ると、魔物の子供が彼女を羽交い締めにして歩いてきているところだった。彼女はプレハブの中に隠したのだったが、見つかってしまったらしい。奴らにとっては、扉の鍵など有って無いようなものだ。

「やめろ、彼女には手を出すな!」

 僕は叫んだ。子供はビクリと体を震わせたが、決して彼女を離さなかった。あの子供はとてつもない力持ちだ。彼女の力では、万が一にも逃げ出すことはできないだろう。

 大男の方の魔物が中に登ろうとしたが、体が重いせいかうまく登れずにいた。すると諦めたのか、勢いをつけて手を離し、その勢いで階下の床に着地した。彼らの身体能力の高さには、敵いっこないのだ。

 彼女は不安な顔で震えている。恐怖で声が出ないようだった。

「あの歌を・・・・・・」

 僕が言うと、彼女は弱々しく首を振った。

 状況を見て、僕だってわかる。目が見えない彼女が、こんなところまで連れてこられるだけでどれだけ恐かったろう。泣きわめかないだけ、彼女は強い。彼女がいる手前、僕はまだ正気を保っていられたけれど、彼女がいなかったら、小便を漏らし、みっともなく泣きわめいていただろう。もう死ぬのだと言って暴れたろう。だが、彼女は僕の希望なのだ。命が燃え尽きるまで、彼女を守り抜かねばならないのだ。それが兄の使命なのだ。

 僕は叫んだ。生まれてから、こんなに大きな声を出したことがなかった。

 子供の魔物はびっくりしたようだった。目をつぶって耳を塞いだ。その瞬間を見逃さなかった。僕は無我夢中で彼女の手を掴み、こちらに引き寄せた。

「大丈夫?」

 尋ねると、彼女は小さく頷いた。体が震えて、まるで凍えているようだった。

「もう大丈夫だよ」

 子供の魔物が慌てて彼女を奪おうと手を伸ばした。それをかわすと、子供は体勢を崩した。ここぞとばかりに、僕はその子の後ろに回り込み蹴飛ばした。あんなに力が強いのに、彼の体はとても軽かった。加えて、火事場の馬鹿力が出たのだろう、子供の体が外に飛び出した。

 その瞬間の彼の顔は忘れないだろう。恐怖と絶望と憎しみの入り交じった目で、僕をじっと見ていた。

 そのまま落ちていく、と僕は思った。まるでスローモーションの様に見えた。

 そのとき、遠くから地鳴りのような音が聞こえた。音の方を見ると、大男が走ってくるところだった。彼は大きな体をしていたが、とても俊敏な動きで、ためらわずに外へ飛び出した。そして、子供の魔物を抱きしめた。そのまま彼らは落ちて行き、少しの間の後「ぶしゅ」という腐ったトマトが机から落ちたときのような音がした。

 僕の腕の中で、彼女が震えていた。

「もう大丈夫だよ」

 再び言った。

「どうしたの」

「全部終わったのさ」

 それ以上、彼女は何も聞かなかった。代わりに、緊張が解けたのか大声で泣いた。僕の着ている服が絞れるくらい泣くと、彼女は満足したのか僕の胸から顔を上げた。

 上からのぞき込んで見ると、地面から無数に映えた鉄筋に、大男の体が深く突き刺さっていた。魔物の血も赤いのだな、なんてことをぼんやりと思った。

 建物から出ると、血と臓物の臭いがした。ひどい悪臭で、もう虫が寄ってきていた。

 車に乗り込む。エンジンをかけると、ゆっくり工場から出て行った。バックミラーに映った大男は微動だにしなかった。二度と動かないでくれーーそう願った。

 ふと、僕は気付いた。あの大男に抱かれたまま子供の魔物も落ちていったが、あの子供の死体は見当たらなかった。確かに、大男の体は鉄筋に貫かれてぐちゃぐちゃになっていたが、肉塊は二人分には少し足りないように思えた。どこかに放り出されたのか、それともどこかに潜んでいるのか。

 軽トラのシートの隙間に目をやった。

 まさかーー。

 車を止めた。

「どうしたの?」

 彼女が尋ねる。泣きすぎて声が枯れていた。

「いや、ちょっとね」

 僕は車から出て、荷台に回り込んだ。ソッとシートをのぞき込む。

 子供の姿はなかった。僕はホッと胸をなで下ろした。

 運転席に戻ると、彼女はすでに助手席で目をつぶっていた。疲れたのだろう。

 今日は僕も疲れた。しかし、安眠できそうだ。

 長い一日だった。

 藍と茜のグラデーションがかった空を見上げ、僕は大きく吐息をついた。


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