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普段、自分の足なら一時間もかからない道のりが、彼女を連れていることで三時間かかった。彼女が歩くのに気をつけねばならないことに加え、何度も休憩が必要だったということも要員の一つである。
家に着き、ソファに座らせる。水を汲んでくると、彼女はまるで乾いた大地のように、ものすごい勢いで水を飲んだ。無限に水を飲み続けるのではないかと思い始めた矢先、彼女は突然ソファに横になって寝息を立て始めた。よほど疲労していたのだろう。僕はそっとタオルケットを掛けてあげた。
蒸し暑い日だった。寝台に横になるが、寝付けなかった。あの子のことを考える。幻では無いかと、何度も彼女の顔を見に行った。そのたびに彼女がそこで健やかに寝息を立てていることを確認して安心した。
外に出た。木を組んで作った椅子に座った。随分色あせていて、いつ壊れるかわからない。
見上げると満月だった。生温い風が皮膚の上を通り過ぎてゆく。どこかから虫の音が聞こえた。眠れない夜は、祖父とこうやって外で過ごした。世界が滅ぶ前は、祖父は河原に住んでいたらしい。ビニールで家を作って、布団が段ボールだったと言っていたが、あれは本当だったのだろうか。
祖父との思い出が頭を過る。久しぶりに人に会ったからだろうか。気分が高揚していた。
月明かりは明るく辺りを照らしていた。草の中から小さなバッタが飛ぶのが見えた。
背後で物音がした。すすり泣く声が聞こえる。彼女がソファから転がり落ちた音だった。
「大丈夫?」
彼女の手に触れると、ビクリと震えた。
「恐い夢でも見た?」
尋ねると、彼女は頷いた。僕はもう一脚の椅子を出してきて外に並べると、彼女の手を引いてそこに座らせた。祖父が使っていた椅子だ。
彼女の顔を見つめた。本当に目が見えないのだろうか。僕の視線に気付いたのか、彼女はこちらを見た。思わず顔を背けてしまったが、彼女はこちらの方を見ただけで、その瞳は僕の姿を捉えてはいなかった。
不意に彼女は涙を流した。
「どうしたの」
聞いてから後悔した。当たり前だ。見ず知らずの土地に流されてきたのだ。事故か事件かわからないが、きっとつらいことがあったのだろう。
彼女は答えなかった。鼻をすする音だけが聞こえる。
「ごめんね、そんなこと聞かれても答えられないよね」
そう言うと、彼女は一層激しく泣き始めた。僕は女の子が泣いているところを見るのは初めてだったので、どうしたらよいかわからなかった。幼い頃、こうやってよく泣いては祖父を困らせたことを思い出した。
困って空を仰いだ。
「ねえ、空を見てご覧。流星群だよ」
見上げると、流星群が落ちて行くところだった。言ってから、僕は後悔した。彼女には見えないのだ。
「ごめんね、そんなつもりじゃ・・・・・・」
彼女は空を見上げていた。たまにしゃくり上げる声が聞こえるが、まるで目が見えているように空に見入っていた。涼しい風が、彼女の髪の毛をさらっていった。
流星が藍色のカーテンから滑り落ちて行く。僕たちは無言で空を見上げた。
しばらくすると、流星は少なくなって行った。
「運が良いね。たまにしか見られないんだ」
もう終ったのかと尋ねるように、彼女は僕を見た。彼女は残念そうに目元をぐいと拭った。
「もう寝よう」
彼女をソファに連れて行った。
彼女が寝付くまで、しばらくそこに座っていた。