29
よほど疲れていたのだろうか。砂浜であんなに眠ったのに、寝台に入った途端、寝入ってしまった。空腹で目を覚ました。
目を覚ましたとき、家の天井を見て、たった数日家を空けただけのはずなのに、とても懐かしい気持ちになった。長い長い悪夢を見ていたような気持ちだった。目のあたりに違和感があって触ってみると、涙を流していた。
寝台から起き上がる。外は薄暗かった。まだ辺りが明るくなるまで少しかかるだろう。ずいぶん寝汗をかいていた。シャツだけではなく、シーツまでびっしょりだ。喉がカラカラだ。水を飲もうと思ってコップを傾けたが、ぬるかった。庭にある井戸から冷たい水をくもうと思った。地下水は冷たい。昔、地下水は地球が終わった日の影響で汚染されていると祖父が漏らしたことがあった。
東の空が明るくなってきた。もうすぐ世界は光に包まれる時間だ。
祖父にも水を汲んでいってあげようーーそう思って井戸から家を振り返った後、もう祖父はいないのだと言うことを改めて思い出した。とてもさみしい。
遠くから狼の遠吠えが聞こえた。声の方向を見上げる。あの毛並みに触れたい。
汗でべっとりと張り付いていた髪の毛に、風が当たって気持ちいい。夏のこの時間は好きだ。
少し歩いた。魚を釣りに行って、巨大なザリガニと戦ったことを思い出した。ずいぶん昔のことのように思える。
しばらく歩くと、海が見えた。潮の香りがする。海に着いた頃には、辺りは明るくなっていた。陽光が肌を焼く。チリチリした感じが気持ち良い。海の方から風が吹いてくる。生温くて湿気っぽい。
魚が泳いでいるのが見える。三メートルもあるだろうか。波止場に体当たりしている。大きな音がした。魚が波止場にぶつかるたびに津波が発生して、逃げ遅れた僕は頭から海水をかぶってしまった。
あの魚は性格は穏やかだが、海藻を全部食べてしまうから嫌いだった。何度か捕獲しようとしたが、普通の釣道具では釣ることが出来ず、銛を投げても刺さらず、水中では近付くことさえ出来なかった。下手に近づけても、丸呑みされてしまう程度には体格差がある。だが、いつか倒してやろうと思っている。ああやって波止場に体当たりして、藻を散らして食べるのが彼の手段だった。
タニシが歩いている。人間の頭と同じ大きさの貝殻を背負っていて、角度によっては人の頭が歩いているように見えるので苦手だった。たまに殻の内側から声が聞こえるが、なんと言っているのかわからない。一度話しかけてみたが、意思の疎通はできなかった。
腹が鳴った。釣り竿を持ってくれば良かったが、森に入れば何かとることが出来るだろう。
視界の隅で、黒い何かが動いた。
僕は悲鳴を上げた。体中の筋肉が収縮して、歯を食いしばっていた。
体が震える。両腕で自分の体を抱きしめ、その場にしゃがみ込んだ。
脳裏によぎったのは、あの魔物たちのことだった。奴らは怒っているだろう。僕を殺しに来るかも知れない。もう二度と、あんなところに囚われたくなかった。
ギュッと目をつぶった。心臓の音がうるさかった。暑いはずなのに体が冷たい。体が冷たいのに汗が流れた。
何秒経ったろうか。時間の感覚が薄れている。
波の音が聞こえてきた。いつの間にか、心臓の音も小さくなっていた。
薄く目を開く。目をつぶる前と変わらない世界が広がっていた。ゆっくり辺りを見回してみるが、何もいなかった。ホッと吐息をついた。立ち上がろうとしたが、下半身に力が入らなかった。地面に手をついて、何とか立ち上がる。
ガサ、と森の方から音がした。再び体中の筋肉がこわばる。頭上が不意に暗くなった。見上げる暇も無いまま、何か大きなものが森の中に突っ込んだ。それはすぐに森から飛び立つ。
あの巨大な鳥だった。爪にウサギを捕らえていた。先程の音は、あのウサギだったのだ。ウサギはでっぷりと太っていて重そうだったが、そんなことお構いなしに、鳥の爪が食い込む。
物の本によると、地上には虫や動物が、空には鳥が多くいたらしい。カラスや雀、ツバメやフクロウなど、愛くるしい鳥を本の中で見た。しかし、滅んでしまったこの世界では、空を飛ぶ生き物はほとんど存在しなかった。たまに見るトンビや烏、あの巨大な鳥くらいなものだろう。あの鳥の背中に乗ることができれば、色んな場所に行くことが出来るのだろう。それに、魔物も追っては来られないだろう。
あっという間に鳥は見えなくなった。あの鳥も、世界が滅ぶ以前は人間に飼われていたのだろうか。




